2026年5月31日日曜日

男は明日はくためだけの靴を磨く

「男は明日はくためだけの靴を磨く」 youtubeより

 伊勢正三には何故作ったのだろうと思う曲がいくつかある。「男は明日はくためだけの靴を磨く」もその一つだ。
 1975年発売の『風ファーストアルバム』に収録されており、私はベスト・アルバムを聴いてからこの曲を知った。
 一人暮らしの男が一輪ざしの花が咲いて枯れるのを見て「そんなちいさな生きざまを見つけたい」とつぶやく。

 花ほどではないが人生は短い。一度しかない人生を自分の思うように生きることは、思っているよりも難しい。

2026年5月30日土曜日

腕時計「OMI」

腕時計「OMI」


 私の趣味の一つは腕時計である。曜日ごとに違う腕時計をしていて、上記の写真は土曜日用の「OMI」である。
 ブランドではなく、買った時の記憶や機能性に興味がある。7つの時計のうち2つは35年前にN.Y.で買ったものだ(今年3月投稿の「知命庵: ストラップ・ハンガー」を参照)。
 一番のお気に入りは、1冊目の拙著が懸賞を受賞した時に賞金で買ったMaurice Lacroixのムーン・フェイスである。

Maurice Lacroix

 デジタル時計は1つだけで、ひげそりで有名なBRAUN製である。スマートウォッチに見えるが普通の時計である。
 この他、時、分、秒の3針が別々のregulator、分針や秒針がなく1針のみで時刻を表示するMeisterSingerも持っている。
 この度、滋賀県大津市石山のJIOS(Japan, Ishiyama Otsu Shiga)の腕時計「OMI」を購入して、7つの時計が揃った。

 今日は土曜日なので、この腕時計をしている。琵琶湖カラーでとてもいい。今日も良い日になりそうな気がする。 

China

「China」 youtubeより

 昨日は一日暑かった。こんな日の夕暮れに聴くのにピッタリの曲、ボビー・コードウェルの「China」を投稿する。
 日本では「ミスターAOR」と呼ばれるほど人気があった。代表的なアルバム『Heart of Mine』の最後の曲である。
 'Ten thousand miles can't keep us apart. I swear I will come back to you. China, I do.' という歌詞が胸を打つ。

 mellowなメロディに乗せて、Chinaに残した恋人に必ず帰って来ると歌っている。是非、聴いてみてください。 

2026年5月29日金曜日

義民ロード

義民ロード案内図

 先日の晴れた日、細君に付き合って、京成電鉄の宗吾参道駅から麻賀多神社まで「義民ロード」を歩いた。
 途中の宗吾廟堂には、約360年前の承応年間に佐倉藩の悪政に立ち上がって処刑された名主が祀られている。
 死後100年経って藩主から「宗吾」の法号を贈られたいわゆる義民であり、「義民ロード」はそれに由来する。

宗吾廟堂

 宗吾廟堂までは10分程で道もよく整備されていたが、そこから麻賀多神社へは歩道が少なく車道の端を歩いた。
 麻賀多神社由緒には「日本武尊御東征の折」と書いてあったが、東日本一と言われる大杉が信仰の源だろう。
 大本教の岡本天明が『日月神示』を記したことに由来する「天日津神社」もあって、平日でも参拝者がいた。

麻賀多神社の大杉

 徐々に気温が上がり復路はしんどかった。お昼に宗吾廟堂前の蕎麦屋で食べたざるそばが美味しかった。

片想い

「片想い」 youtubeより

 浜田省吾が同郷の広島県出身なのは知っていた。私より年上の1952年生まれで、呉三津田という名門高校卒である。
 演歌みたいな歌詞のポップス「片想い」は、1981年発売の7thアルバム『愛の世代の前に』に収録されている。
 「あの人のことなど もう忘れたいよ」で始まり、「愛を求めた片想い」で終わる、悲しい片想いの歌である。

 片想いにも良い点はある。恋は永遠に続かないが、片想いに終わりはない。モテない男の強がりと思いつつ。

2026年5月28日木曜日

蒲団

『蒲団』

 上記の文庫本が古書店の軒先に50円で並んでいた。田山花袋の『蒲団』(新潮文庫、1952年)を読もうと購入した。
 『蒲団』のことは高校の教科書に「私小説の始まり」と書いてあったと記憶しているが、読んだことはなかった。
 明治40(1907)年の執筆で現在とは時代背景が異なるが、主人公の中年男が若い女の弟子に抱く感情は同じ気がした。

 田山花袋の文章は読み易かった。「同衾」という言葉をこの小説で知った気がしていたが、本には出てこなかった。

Suck it up!

 久しぶりにニューヨークの思い出を投稿したくなった。35年前、私はJETRO N.Y. 事務所で働いていた。
 先日、実家を整理していて当時の写真を見つけた。右がミシェル、左がクリスティーンで、真ん中が私である。
 ミシェルは昨年10月に投稿した「知命庵: Grandpa Kuma」(クリックすると飛びます)に登場している。

35年前のJETRO N.Y. 事務所で

 実はもう一人、仲が良かったのがクリスティーンで、写真を見てのとおり、二人ともとても可愛かった。
 昨年11月投稿の「知命庵: Disgusting」(クリックすると飛びます)に登場した佐藤さんも一緒に飲んだ。
 彼らが話す英語に付いていけない私に、クリスティーンが'Suck it up!'「飲め!」と言ったのを憶えている。 

寄せ書きの表紙

 JETRO N.Y. 事務所にいたのは約1年だったが、帰国の際に特大(縦43cm、横55cm)の寄せ書きをもらった。
 'Is there some way you can leave without going away?' とあって、多くの同僚のメッセージが書いてある。
 因みに、ミシェルとクリスティーンのメッセージは次のとおりで、クリスティーンの真面目な性格が出ている。
  ミシェル:So long and suck it up.
  クリスティーン:Judging by the number of people who signed this card, it's obvious everyone at JETRO enjoyed working with you - me included! I wish you the very best - See you again soon.
  
 クリスティーンはその後日本語教師をしていたが、音信不通になった。いつか連絡が付くことを願っている。

Killing Me Softly with His Song(やさしく歌って)

 
'Killing Me Softly with His Song' youtubeより

 この曲はネスカフェのCMで初めて聴いた。ロバータ・フラックの'Killing Me Softly with His Song'である。

 'Strumming my pain with his fingers.'から(Strum:つま弾く)
 'Singing my life with his word.'と続いて、
 'Killing me softly with his song.'となる。(Kill:悩殺する)

 CMが流れている時は言葉の意味など調べずに、なんとなく珈琲のイメージに合っているとだけ思っていた。

 今回、この曲が何を歌っているのかやっとわかってきた気がする。歌詞を理解することはやはり大切である。

 なお、「Fugees versionが好き」というブログの読者のコメントがあったので、下記を追加することにしたい。

'Fugees version'

2026年5月27日水曜日

甲賀びわます ささゆり

 「琵琶湖の魚で一番美味しいのはビワマスだと聞いた」と拙著『「びわ湖検定」でよみがえる』(100頁)で書いている。
 大津に住んでいた時は残念ながら食べる機会がなかったが、その後、東京や滋賀で何度か口にする機会があった。
 刺身はサーモンピンク色で臭みがなく、とても美味しかった。「ビワサーモン」と呼ばれているのがわかる気がする。

「甲賀びわます ささゆり」

 先日、滋賀県草津市に本社がある(株)アクアステージの代表取締役、大谷洋士氏と東京で会う機会があった。
 大谷氏とは私が大津に住んでいた時からの付き合いで、拙著『やっぱり滋賀が好き』にも登場している(105頁)。
 無換水で排水の出ない水質浄化装置を独自に開発し、様々な魚やエビの「完全閉鎖型陸上養殖」に取り組んいる。

「甲賀びわます ささゆり」の希少性

 ビワマスもその一つで、滋賀県甲賀市の廃校で養殖し、「甲賀びわます ささゆり」と命名して販売している。
 「お刺身サイズ」以外に「塩焼きサイズ」や「天ぷらサイズ」もあり、「コアユ」(注)に飽きた人に好評だと言う。
  (注)「コアユ」については、今年1月の投稿「知命庵: コアユ」を参照のこと
     (クリックすると飛びます)

 「コアユ」の佃煮や塩焼きも美味しいが、「ビワマス」の天ぷらと聞いて、思わず食べたくなってしまった。

「甲賀びわます ささゆり」 お刺身サイズ

 水質浄化装置は、有機汚泥を減少させ本来の景観を取り戻すもので、既に宇治平等院の池で実績を上げている。
 また、「完全閉鎖型陸上養殖」は、廃校や空いている団地の活用により地域活性化への貢献が期待されている。
 昨年7月に投稿した「知命庵: 鯖街道③」(クリックすると飛びます)でも触れたが、非常にユニークな事業だと思う。

 将来の夢を語る大谷氏と会って話をするのはいつも楽しい。その事業が益々発展することを心から願ってやまない。

2026年5月26日火曜日

倚鍤(いそう)碑

 「御門訴(ごもんそ)事件」をご存じだろうか。明治3(1870)1月に多摩地域で起こった農民たちによる民衆運動である。
 明治新政府による過酷な貯穀供出の命令に対して武蔵野新田12か村が反対し、当時の品川県の担当者は一旦認めた。
 しかし、県知事がそれを覆し、12か村の村役人は捕らえられ、取り調べの拷問により獄死するなど、犠牲者が出た。

御門訴事件記念碑(倚鍤碑)の看板

 私は、地元の物知りな人から「御門訴事件」を知り、ネットで調べていて「倚鍤(いそう)碑」の存在を知った。
 最終的に農民の要求が通り、この事件を記念して犠牲者を慰霊するため、明治27(1894)に「倚鍤碑」が建立された。
 漢和辞典では、「倚」は「たのむ」、「鍤」は「すき」(農具の一種)であり、農具を頼りに抵抗した農民のことだろうか。

「倚鍤碑」

 「倚鍤碑」は武蔵野市八幡町の五日市街道沿いに立っている。私は何度も自転車で通り過ぎながら今まで知らなかった。
 人間が暮らす地域には必ず歴史がある。知らないまま過ごしていることが多いが、それに気づくと景色も変わってくる。

2026年5月24日日曜日

拙著のご購入について(参考情報)

 先日、拙著2冊をAmazonで購入された方に『やっぱり滋賀が好き』の方は中古品しか買えなかった」と言われた。
 確かにAmazonで見ると『「びわ湖検定」でよみがえる』は新品があるが、『やっぱり滋賀が好き』は中古品しかない(新品やコレクター商品もあるが値段が異常に高い)
 ちょうど手持ちの在庫がなくなり出版社から新品を購入したところだったので、出版社へ問い合わせてみた。

 出版社からの回答は、概ね次のとおり。
・倉庫には新品在庫はまだあるが、Amazon売上予測システム自社内のデータしか見ないため、一般書店やリアルな場でなどの売れ行きが反映されない。
Amazonの倉庫も限りあるスペースという環境下にあることから、AIが一時的に発注を取りやめてしまっているのが原因と思われる。

・現在、Amazon上で「中古品」として表示されているものは、Amazonと契約を結んでいる外部の古書店や出品業者が、独自の在庫(古本など)マーケットプレイスという仕組みを通じて出品しているもの。


 私は、個人で数冊の在庫を常時保有し注文があれば郵送ないし手渡ししており、その際、簡単なペーパーを添付しています。
 そのペーパーには、それぞれの拙著について簡単な説明を書いており、お読みいただく上での参考としてお渡ししています。
 拙著のご購入を希望される方に私からの直接購入をお勧めしているのは、そのペーパーをお渡ししたいという理由もあります。

 拙著のご購入を希望される方は、私のメールアドレスskodama0601@gmail.com)宛送付先の住所を記載してご連絡ください。ご希望の住所へゆうメール等でお送りします。
 送料と消費税はおまけしており、代金(1冊目:2000円、2冊目:1800円)は所定の口座(書籍を郵送する際にお知らせします)に振り込んでいただきます。
 因みに、2冊とも私に著作権はなく、仮に売れたとしても私に儲けはありませんが、自分が書いたものを読んでいただきたいという気持ちはあります。

 最後に、昨年10月に投稿した「拙著の紹介」を添付させていただきます。
  知命庵: 拙著の紹介(クリックすると飛びます)

Friend

「Friend」 youtubeより

 日本を代表する男性ボーカリストの一人、玉置浩二がソロになる前の「安全地帯」で歌った「Friend」という曲がある。
 1986年に13枚目のシングルとしてリリースされたが、私はベストアルバムの中で聴いたのがこの曲との出会いだった。
 恋人との死別の歌と解釈する向きもあるが、恋人が友達に変わることを嘆いているという方が正解ではないだろうか。

 友達から恋人になった関係が再び友達に戻る。別れられればいいのだが、それができないのは悲しいことに違いない。 

2026年5月22日金曜日

万葉集

『万葉集 全訳注原文付』

 大学時代のサークルの同級生M君と久しぶりに会ってランチをした。M君は「万葉集」の歌を一首ずつ読んでいると言う。
 M君が読んでいる本が『万葉集 全訳注原文付』(講談社文庫、1978年)である(注)とわかって、私も買ってみることにした。
 (注)『私の万葉集』(講談社文芸文庫、2013年)の間違いでした。

 私は2冊の拙著のいろいろな箇所で万葉集について触れているが、実は万葉集の歌をそんなに知っている訳ではない。

『ビギナーズ・クラシックス 万葉集』

 1冊目の『「びわ湖検定」でよみがえる』を執筆した時は、『ビギナーズ・クラシックス 万葉集』(角川文庫、2001年)を参考にした。
 滋賀の枕詞が「さざなみ」であることは、この本で教えられた。「琵琶湖周航の歌」の歌詞の意味に気づいていなかった。
 有名な額田王と大海人皇子の歌も、この本から引用した。全体として素人向けに書かれているので、抵抗なく読めた。

『萬葉集 新 日本古典文学大系』

 2冊目の『やっぱり滋賀が好き』を執筆した時、『萬葉集 新 日本古典文学大系』(岩波書店、1999年)を古書店で購入した。
 万葉仮名で書かれた原文を読んだ方が良いと思ったからだが、いくつかの歌を詠んだ後は本棚でそのままになっていた。
 今回、本ブログへのコメントに柿本人麻呂の歌が書かれていて、この本の存在を思い出したというのが正直なところである。

『古代史再検証 『万葉集』とは何か』

 『古代史再検証 『万葉集』とは何か』(2016年、別冊宝島)も購入しているが、歌そのものを読むことはしていなかった。
 ずいぶん回り道をしたものだと思うが、歌集とはいえ一級の歴史資料である「万葉集」の歌を直接読む意味はあるだろう。
 全てが事実とは言えないものの、歌には詠んだ人の気持ちが残されており、そこから想像できることもあるに違いない。

 時間はかかるだろうが、私も一首ずつ読もうと思う。新しい発見や気づいていなかったことに出会えるかもしれない。

老人のつぶやき

「老人のつぶやき」
 
 オフコースの曲は結構知っていると思っていたが、「老人のつぶやき」という曲を割と最近になってから知った。
 1975年のアルバム『ワインの匂い』のラストにひっそりと入っている。作詞・作曲の小田和正は当時27歳だった。
 「ただあのひとに 私の愛が伝えらえなかった それがこころ残りです」という歌詞の部分で思わず肯いてしまう。

 最後に思うのはそんなことかもしれない。悔いを残さないためには、伝えたい人には自分の気持ちを伝えよう。

2026年5月20日水曜日

T君を偲ぶ

 故人を追悼する記事を今年の1月と2月に2回投稿した。今回のT君で3回目となるが、これで最後にしたい。 
 投稿するのがいいか迷ったが、やはり投稿しようと思う。彼は私の「命の恩人」と言うべき存在である。
 彼が亡くなってから、あと4カ月余りで5年が経つ。会社の後輩で50歳になるかならないかだったと思う。

 ある支店の支店長になっていて、近くへ行く機会に会おうと連絡を取った際、彼が病気になったと知った。
 まだ若かったし、快活なスポーツマンだった。そんな彼が病気になるなんて、私にはとても信じられなかった。
 心から回復を祈っていたが、あっという間に逝ってしまった。最後にもう一度会うことはできなかった。

 本当に素晴らしい人物だった。彼のことを悪く言うのは聞いたことがない。周囲の誰からも好かれていた。
 将来は出世すると誰しもが思っていた。その実力は間違いなくあった。本当に惜しい人を失ったと思う。
 まさに運命のいたずらである。彼がもっと偉くなって活躍する姿を見られなかったのが、残念でならない。

 お葬式には行けずお線香を郵送した。三回忌にも手紙とお線香を郵送した。奥様から丁重なお返事をいただいた。
 現在でも、たまに彼のことを思い出すと悲しくなる。長く生きればいいものでもないが、彼の場合は早過ぎた。
 「善人は早死にする」という諺があるが、「早く亡くなった善人は強く記憶に残る」ということではないだろうか。

 私が仕事で一番大変だった時、彼がそばにいた。部下というよりも同僚といった感じで、助けてもらった。
 難しい仕事だった。私はストレスで鬱になり「もうダメだ」と弱音を吐いた。それでも彼は支えてくれた。
 それが「命の恩人」と思う理由である。彼は頭脳明晰で実行力があり、どんな仕事もやり遂げることができた。

 彼がいなければ、現在の私はなかったのではないかと思う。今更御礼のしようもないが、ご冥福を祈りたい。 

2026年5月18日月曜日

黒猫(Chat Noir)

「黒猫(Chat Noir)」 youtubeより
 
 南佳孝をどこで知ったかは憶えていない。『Seventh Avenue South』というアルバムをいつの間にか聴いていた。
 都会的な曲と少しなげやりな感じのボーカルが特徴であるが、そのオリジナリティは高く評価されてもいいと思う。
 アルバムの最後の曲が「黒猫(Chat Noir)」である。「幸福という名の傷跡だけが残っただけ」という歌詞が印象的だ。

 黒猫のような恋人が突然消えていなくなったことを歌っている。それにしても、猫と女性は似通っている気がする。

2026年5月17日日曜日

延命寺

延命寺の本堂
 
 延命寺という名前の寺はいろいろな所にあるが、真夏日が予想される中、武蔵野市の延命寺へ自転車で出かけた。
 第二次世界大戦中、中島飛行機工場の真南約200mに位置していたため、境内に爆弾が落ちるなどの被害を受けた。
 檀家に犠牲者が多く、三十三回忌を機に、住職の呼びかけで浄財を集め、1978年に本堂前に平和観音菩薩像が建立された。

平和観音菩薩像(左下は砲弾の破片)

 また、佐竹仙寿丸(秋田藩第5代藩主佐竹義峯の幼名)の銘が入った護摩炉があり、佐竹氏と関係があったと見られている。
 佐竹氏の祖は源頼義の三男の源義光である。義光は、滋賀の三井寺にある新羅善神堂で元服したので新羅三郎と呼ばれる。
 今回は滋賀と関係ないだろうと思っていたが、佐竹氏に由来するものがあると知って、近江とまた繋がってしまった。

護摩炉の説明板

 日本全国各地に滋賀と関係するものはある。それに思いがけず気づいては喜んでいる。近江にはこんな楽しみ方もある。

フレディもしくは三教街

「フレディもしくは三教街」 youtubeより

 さだまさしが51作目のアルバムを発売したとニュースで聴いた。私がさだまさしを聴くようになったのは姉の影響である。
 「精霊流し」で始まる『三年坂』というアルバムを姉が持っていて、その中に「フレディもしくは三教街」も入っていた。
 ライブ・アルバムで、さだまさしは「今までで一番長い曲」と言っていた。上記のyoutubeも、8分21秒かかっている。

 歌の舞台になっている漢口(ハンカオ)には、かつてイギリス、ロシア、フランス、ドイツ、日本の租界があった。
 国際都市・漢口での平和な生活を描いた歌と思って聴いていると、途中からそうではなく反戦の歌だとわかる。
 「あなたさえも奪ったのは 燃えがあがる紅い炎の中を飛び交う戦闘機」という歌詞を聴くと涙ぐんでしまう。

 目的が何であれ、解決手段として戦争をしてはいけない。それは皆わかっているが、始めは別の顔で忍び寄る。 

2026年5月14日木曜日

青葉城恋唄

「青葉城恋唄」 youtubeより

 仙台市在住のI氏とメールのやり取りをしていて、1978年にさとう宗幸が歌った「青葉城恋唄」を思い出した。
 10年ぐらい前にI氏と仙台市の歓楽街・国分町にあったカラオケ・スナックへ行った時、私も歌った記憶がある。
 「時はめぐりまた夏が来て あの日と同じ流れの岸」という歌詞を口ずさむと、また暑い夏がやってきたと思う。

 あと何回、夏を迎えることができるのだろう。季節はめぐり、そのたびに思い出が螺旋階段のようによみがえる。

2026年5月13日水曜日

不実な美女か貞淑な醜女か

『不実な美女か貞淑な醜女か』

 米原万里は「才女」という言葉が相応しい女性だと思う。しかもなかなかの美人である。生前は結構もてたのではないか。
 ロシア語の専門家で、サハロフ博士やゴルバチョフなどが来日した時に通訳を務め、その道の達人として知られている。
 ウィットに富んだ文章を書くのが上手い。上記の本の帯に「井上ひさし氏絶賛」とあるのもわかるような気がする。

 『不実な美女か貞淑な醜女か』(徳間書店、1994年)を古書店で見つけた時、なんてベタなタイトルだろうと思った。
 結論は決まっていると思って手に取ったが、女性ではなく通訳の話だった。「いい訳とは何か」について述べている。
 訳文が整っている場合は美女、ぎこちない訳文である場合は醜女にたとえて、どんな通訳が望ましいか整理している。

 結論は「時と場合によるというの正確な答えだろう」である。図書館への寄贈を考えていたが、再読したくなってきた。

2026年5月12日火曜日

Sacrifice

「Sacrifice」 youtubeより

 久しぶりに英語の歌を投稿することにしたい。エルトン・ジョンが1989年にリリースした「Sacrifice」である。
 当初は全英55位だったが、ラジオで話題になり1990年に再リリースされ、彼のソロとして初の全英1位となった。
 私は、長野に出張した際に中古ショップで『Love Songs』というCDをたまたま購入して、この曲の存在を知った。

 美しいメロディとともに「no sacrifice」が繰り返される。失恋の歌だと思うが、犠牲ではなかったということか。 

2026年5月11日月曜日

鴨稲荷山古墳

鴨稲荷山古墳

  鴨稲荷山古墳は滋賀県高島市の安曇川駅を西へ出て、真っすぐ南へ下り鴨川を越えてすぐの右手に横たわっている。
 一昨日、針江に泊まっていた私は早朝に宿を出て新旭駅から6時前の湖西線に乗り、一つ京都寄りの安曇川駅で降りた。
 そこからは以前に歩いたことがある。拙著『やっぱり滋賀が好き』で書いたとおり、10年前に古墳の手前まで行った。

石棺(実物)

 実際に古墳のそばへ行くと、道路わきに盛り上げられた土の上にプレハブが建っており、その中に実物の石棺があった。
 窓ガラス越しにしか見ることができないが、それでも迫力がある。やはり現地を見なくてはいけないと改めて思った。
 埋葬されていたのは三尾氏の族長ではないかと言われている。現在も、安曇川駅から古墳までに三尾里という地名がある。

胞衣塚

 鴨川を渡る手前の右手に、継体天皇が生まれた際の胞衣(赤ちゃんを包む膜・胎盤など)を埋めたと伝わる胞衣塚があった。
 10年前も来たが、キャリーバッグを引きずっていたのでそばまで行けなかった。今回近くまで行くと、説明板が立っていた。
 継体天皇は高島で生まれたとされており、母親の振姫が妊婦の時に座った「もたれ石」や父親の「田中王塚古墳」がある。

副葬品(複製)

 宿に戻り朝食を食べチェックアウトして再び安曇川駅に来た。今度は東側の「中江藤樹・たかしまミュージアム」へ行った。
 藤樹神社の横にあり以前は中江藤樹記念館だったが、昨年6月のリニューアル・オープン後は古墳の副葬品も展示されている。
 古墳の発見は明治35(1902)年であり、朝鮮半島の影響を受けた純金製の宝冠、耳飾り、靴などの豪華な副葬品が出土している。

 今回、10年越しでやっと鴨稲荷山古墳と副葬品を見ることができ、古代のロマンに想いを馳せた。近江は本当に素晴らしいと思う。

2026年5月9日土曜日

針江・生水の郷

針江の「かばた」


 昨日、広島から東京への途中で滋賀に立ち寄り、高島市新旭町にある「針江・生水(しょうず)の郷」を見学した。
 針江では湧き水を生活用水に使っており、「かばた」と言われる。上記の池の中にいる鯉が残飯等を処理してくれる。
 20年近く前に大津で仕事をしていた時に行きたかったが都合が付かなかったので、今回で漸く実現したことになる。

 見学後は近くの「ラシーヌホーム針江」に泊まった。生水を使ったお風呂に浸かりながら自分が鯉になった気がした。

針江地区の水路



 

2026年5月7日木曜日

初恋

「初恋」 youtubeより

 今日はいいお天気だが、そのうち雨も降るだろう。今回は「五月雨は」で始まる村下孝蔵のヒット曲「初恋」である。
 1983年2月発表だから社会人になった頃である。広島出身とばかり思っていたが、今回調べていて熊本生まれと知った。
 「ゆうこ」や「踊り子」といった報われない恋の歌が多く、もてない男としてシンパシーを感じることが少なくなかった。

 「放課後の校庭を走る君がいた」という歌詞には既視感(デジャブ)を感じる。まるで自分が校舎から見ていたような。

2026年5月5日火曜日

府中町

  私の広島の家は安芸郡府中町にある。府中町は広島県西部安芸地方にあって、周囲を広島市に囲まれた飛び地である。
 バスで広島市中心部から30分、JR広島駅から20分足らずで、その間にマツダスタジアムとイオンモールがある。
 私は小学校4年から高校3年までの9年間を過ごしたが、大学進学で東京へ行ってから、東京暮らしが長くなった。

府中町のホームページより

 最近、府中町が市になることを検討しているとニュースで耳にした。人口は5万人を超えているので可能らしい。
 府中市は既に東京都と広島県東部備後地方にあり、それだけでも異例なので、安芸府中市とでもするのだろうか。
 府中町にはマツダの本社とキリンビールの工場(現在はイオンモール)があり、広島市とは合併してこなかった。

 それはともかく広島の家の方がのんびりできる。もうじき東京に戻るが、しばらくしたらまた帰省するだろう。

2026年5月3日日曜日

瀬戸田(生口島)

瀬音山から向上寺三重塔を望む

 昨日、瀬戸内海の瀬戸田(生口島)へ行った。しなまみサイクリングロードは大変なので三原港から船に乗った。
 最初に、向上寺三重塔を見に行った。瀬戸田港を見下ろす瀬音山にあって国宝であるが、訪れる人は少なかった。
 その後桟橋近くでランチにしようとしたが、人から教えてもらった店がカフェだけだったので商店街へ向かった。

向上寺三重塔の説明板

 商店街にあるアオリイカの刺身や天ぷらのお店へ行くと、11時オープンから5分しか経っていないのに満席だった。
 30分近く待って食べた定食は美味しかった。それから商店街を奥へ進んで平山郁夫美術館へ行って港に戻った。
 耕三寺へは行かなかった。ヒジャブをかぶったイスラム教の女性を見かけたので、人気の場所があるのだろう。

三原港

 生口島へ船で行けるとわかったので、次の機会には輪行して多々羅大橋を渡り大三島まで行けるかもしれない。

2026年5月1日金曜日

空へ

「空へ」 youtubeより

 「ぼんやりと浮かんだ雲のように さまよいたいと思った頃から」で始まるこの曲は、カルメン・マキの「空へ」である。
 1977年の発売というから私は高校3年だった。大学受験を控えて、そろそろ勉強にも疲れてきた頃だったのだろう。
 2巡目の「あんたの好きなように生きて行けばいいと すりきれたレコードおまえのブルース」という歌詞が好きだ。

 今も道に迷った時、この歌を思わず口ずさむ。自分の好きなように生きていけばいいし、生きていく以外にはない。