2026年2月4日水曜日

石原和昌氏を偲ぶ

  私には師と言うべき人が数名おられるが、石原和昌氏はその一人である。石原さんが亡くなって1年半近くが経過した。
 石原さんにはとても良くしていただいた。ご自宅に伺って執筆に関する話を聞いてもらったり、書籍も何冊かくださった。
 しかし、亡くなられる少し前から私の方が体調を崩してお会いすることができず、残念ながら訃報も後から知った。

『企業存立の条件』(日本経済評論社、1987年)

 石原さんは中小企業金融公庫(現在の日本政策金融公庫中小企業事業)の先輩で、3冊の著書を出版されている。1冊目は『企業存立の条件』である。
 新潟支店長をされていた時に書かれたもので、生物学及び生態学と産業論、企業論とのアナロジーに着目した名著といえる。
 第1章の「結び」に書かれた「永遠に生き続けることを願うならば、全ての執着を捨て、常にシステムの革新を怠ってはならないのである。」という一節は永遠の真理であろう。

『良知の人 河井継之助』(日本経済評論社、1993年)

 勤め先の先輩とはいえ仕事上の接点はなく、私の入社時に新人研修の懇親会で人事部次長だった石原さんと挨拶を交わしただけだった。
 石原さんが執筆された河井継之助が陽明学派であり、拙著『「びわ湖検定」でよみがえる』で触れた中江藤樹が我が国の陽明学の始祖というのが接点になった。
 拙著を贈呈したところ、石原さんから著書3冊と長文の手紙が届いた。それ以来、石原さんとの付き合いが始まった。

『経営の突破口は儒学にあり』(東洋経済新報社、2000年)

 石原さんの最後の著書は『経営の突破口は儒学にあり』である。著名な創業者について、朱子学と陽明学の観点から記述している。
 儒学に造詣の深い石原さんならではの著作と言える。巻末に「あなたは朱子型か陽明型か」という判定チェック・リストもあって面白い。
 河井継之助が好きなことでわかるとおり石原さんは陽明型だったが、朱子型の良さも持ち合わせたバランスの良い方だった。

 私の記憶の中の石原さんは今でも生きている。師から教わったことを大切にして自らの道を歩んで行きたい。

2026年2月3日火曜日

天保の義民

  1月30日の金曜日、雪が降る中、所用のため日帰りで滋賀へ出かけた。訪問したのは草津線沿線にある中小企業である。
 草津線は滋賀県草津市の草津から三重県伊賀市の柘植に至る路線で、途中の貴生川で信楽高原鐡道と近江鉄道に接続している。
 草津から貴生川の一つ手前に三雲という駅があり「天保義民の碑」があるので、この機会に立ち寄ろうと予定を立てた。

『天保の義民』(岩波新書、1962年)

 早朝に家を出て品川から「ひかり」に乗ったが、その時から雪の影響による遅れの見込みが車内で放送されていた。
 実際には新幹線への影響はそれほどでもなく、米原駅に着いた時は1分遅れだった。問題は琵琶湖線の方だった。
 乗換の電車は始発なので座ることができ、10分ほどの遅れで米原駅を出発した。近江八幡あたりから異常に混んできた。

『天保の義民』に掲載された地図

 車内が満員になって駅に着くとホームに多くの乗客が待っている。乗り切れない人もいて、私も草津での下車は一苦労だった。
 後からわかったが、北陸まで直通する「新快速」の運行をJRが中止していた。「普通」しか走っていないので混んでいたのだ。
 草津線は1時間に1本で、予定の電車に乗り換えることができず、「天保義民の碑」へ行くのはお預けになった。

 上記の『天保の義民』は天保13年(1842年)10月に起きた大一揆の顛末記である。碑にはいつか行く機会があるだろう。




2026年2月2日月曜日

伝えたいことがあるんだ

 私は二度の海外勤務の経験があり英語をそれなりに話すことができる。しかし、英検1級ではなく準1級しか持っていない。
 それでも英語が苦手な人から英語の上達法を尋ねられると、小田和正の「伝えたいことがあるんだ」という曲のことを話す。
 つまり、英語は伝達手段であり「伝えたいことがある」ことが重要である。それがないと英語が話せても意味はない。

「伝えたいことがあるんだ」 youtubeより

 伝達手段として重要なのは基本的な文法と語彙である。文法がわかっていないと、文章を作ることはできない。
 語彙は多いのに越したことはない。しかし、ネイティブでない場合、細かいニュアンスや使い分けは理解できていない。
 日常会話レベルの英語は日々の暮らしで慣れる。しかし、自分の気持ちを伝えるには基本を学んでおく必要がある。

 さて、あなたには誰かに「伝えたいことがありますか」?それがなければ、英語どころか言葉にさして意味はない。
 
 





2026年1月31日土曜日

Dare to Live (Vivere)

 イタリア出身の歌手で、盲目のハンディキャップを抱えたテノールとして知られているアンドレア・ボチェッリである。
 私が彼の動画を観たのは、サラ・ブライトマンとデュエットした'Time to Say Goodbye'が最初だったと思う。
 盲目でありながら力強い声で切々と歌い上げる姿が印象的だった。他の曲が聴きたくてCDをすぐに購入した。

'Dare to Live (Vivere)' youtubeより

 そのCDに収録された曲の中で一番好きな曲が上記の'Dare to Live (Vivere)'である。日本語に訳せば「生きる」とでも言うのだろうか。
 同じイタリア出身のラウラ・パウジーニとのデュエットで、ラウラが英語、アンドレアがイタリア語で唄っている。
 何かを訴えているようなアンドレア・ボチェッリの歌唱が素晴らしく、何度聴いても涙が出そうになる。

'Time to Say Goodbye' youtubeより

 彼を知るきっかけとなった上記の'Time to Say Goodbye'も無論素晴らしい。どちらの曲もラウラやサラが姉のようにアンドレアに寄り添っている。
 ご存じのとおり'Time to Say Goodbye'は別れの曲ではない。イタリア語のタイトル'Con Te Partiro'は「君とともに旅立つ」という意味である。
 私は幼い頃歌手になりたいと少し思ったことを思い出したが、フォトジェニックではないので儚い夢で終わって良かったと思う。

 それでもやはり歌うのは好きなので、歩いている時や自転車に乗っている時に鼻歌で歌っている。イタリア語も勉強しておくべきだった。

2026年1月30日金曜日

キホーテ(Quijote)

 「世界の恋人」と称されるスペイン人ポピュラー音楽歌手、フリオ・イグレシアスの「キホーテ」(Quijote)を取り上げる。
 邦題は「さすらい」で、「琵琶湖周航の歌」の歌詞に「さすらい」という言葉があるため、拙著『やっぱり滋賀が好き』で「キホーテ」に触れている。

「キホーテ」 youtubeより

 残念ながら歌詞の意味がわからないが、とても男らしくて気持ちをかき立てられるようなメロディが私は好きである。
 散歩をしている時に時々鼻歌で口ずさんでみるが上手くいかない。第二外国語はスペイン語にしておくべきだった。

2026年1月28日水曜日

縁切寺

 昨日、「今日 鎌倉へ行ってきました」という歌詞で始まるグレープの曲が有名な縁切寺(東慶寺)へ行ってきた。
 付き合ってくれたのは元の勤務先で同期だったT君と彼の高校の同級生で偶然フィリピンで知り合ったE君である。
 E君が鎌倉住まいなので、神社仏閣巡りをしてお昼を一緒に食べようということになって、北鎌倉駅で待ち合わせた。

「縁切寺」 youtubeより

 東慶寺から浄智寺、明月院と続いてお参りし、北鎌倉駅に戻って電車で鎌倉駅まで行って鶴岡八幡宮にお参りした。
 若宮大通を少し入ったところにあるイタリアンでお昼を食べて、用事ができたE君と別れて江ノ電で長谷寺へ行った。
 図書館で借りたガイドブックに「藤原鎌足の孫により開創されたと伝えられる」と書いてあったのに興味があった。

長谷寺のリーフレット

 しかし、長谷寺のリーフレットにはその記載がない。ネットで調べてわかったが、鎌倉の地名が藤原鎌足に由来するという伝説があるようだ。


2026年1月25日日曜日

YOKOHAMA

 昨日、元町・中華街の萬珍楼點心舗で中華料理を食べた。ランチのコースで私だけワインを飲んだが、とても美味しかった。
 付き合ってくださったのは、かつての勤め先の上司、先輩と後輩の女性の3名である。久しぶりだったが、話もはずんで楽しかった。
 ということで思い出した曲が増田俊郎の「YOKOHAMA」である。たぶんニッポン放送の「コッキーポップ」で流れていたと思う。

「YOKOHAMA」 youtubeより

 増田俊郎は1976年の第13回YAMAHA POPULAR SONG CONTEST(ポプコン)で最優秀曲賞を受賞し、1979年に「YOKOHAMA」をリリースした。
 サビの部分の"Yokohama with too much memories"という歌詞が記憶に残っていたが、誰が唄ったのか忘れてしまっていた。
 しかし、今はインターネットで歌詞を入力して検索すれば、誰の曲かわかることがある。この曲もそれで見つけることができた。

 記憶は大切であるが、忘れてしまったこともある。しかし、何かきっかけがあれば、記憶を取り戻すこともできる。