2026年11月7日土曜日

TACO

tacos plate

 今日のお昼は近所のタコス料理店へ行った。ランチメニューの中から上掲の'tacos plate'を選んで食べた。
 前から店があるのは知っていた。最近テレビに出て有名になり、11時半の開店前から待っている客がいた。
 タコスは確かに美味しかった。お昼を食べ終わる頃には店内は満席になり、店の外で待っている客もいた。

 タコスには苦い思い出がある。35年前に仕事でN.Y.にいた時、休暇でアトランタへ行きレンタカーを借りた。
 TACO BELLという店のドライブ・スルーでタコスを注文し、支払で店員に「ホー オー マー」と言われた。
 意味不明だったが「オー」は'or'だと思ったので'both'と答えた。店員はソースは'hot or mild'と聞いていた。

 アトランタでは、南北戦争の南軍の将軍のレリーフがあるストーン・マンウンテンへ行ったのを覚えている。
 その他にキング牧師の墓へお参りをした。お墓のそばの売店で買ったキーホルダー用タグをまだ持っている。
 昨年5月に投稿した「伝説的演説 'I have a dream'の原稿のポスター」(注)もその時購入したのだったと思う。
 (注)知命庵: Martin Luther King Jr.を参照(クリックすると飛びます)

キーホルダー用タグ

 因みに、'taco'は単数で'tacos'は複数形である。上掲の'tacos plate'は'taco'が2つあるからいいのかもしれない。
 なお、トランプ大統領の渾名の'TACO'は'Trump Always Chichen Out'「いつもびびって逃げる」から来ている。

大津祭

「大津祭からくりうた」のNHKニュース

 先日、NHKニュースで「大津祭」と言うので気になって聞いてみたら「大津祭からくりうた」の話だった。
 30年前につくられて途絶えてしまっていたオリジナルのうたが、地元の小学校でことし復活したらしい。
 「大津祭からくりうた」は知らないが、「大津祭」は大津に住んでいた2008年に一度だけみたことがある(注)。
 (注)『「びわ湖検定」でよみがえる』22~26頁を参照

 もう20年近く前になると思うと懐かしい。こぢんまりとしたいいお祭りだった。もう一度見たくなった。

「大津祭」 youtubeより

2026年11月6日金曜日

邪馬台国 清張通史①

『邪馬台国 清張通史①』(講談社文庫、1986年)

 私がこの本を買ったのは今春の早稲田古書店街だったが、他に読む本があったのでそのままになっていた。
 さすがに松本清張だけあって緻密な資料分析に基づく推理がなされ、いい加減な専門家は批判されている。
 邪馬台国は九州北部にあった「女王国」であり、敵対していた「狗奴国」は九州南部にあったとしている。

 清張通史は①から⑥まであり、まとめて6冊600円で売られていた。次に読むのは②「空白の世紀」である。

2026年11月5日木曜日

冬のリビエラ

「冬のリビエラ」 youtubeより

 1982年11月に発売された森進一の「冬のリビエラ」。大滝詠一の作曲であることはよく知られている。
 若い頃の上司で既に亡くなったKさんの年賀状に、私がこの曲を歌った声を思い出すと書かれていた。
 確かに新入社員の頃にカラオケスナックで歌った記憶があるが、そんな事はもうすっかり忘れていた。

 鼻歌で歌うと当時のことを想い出す。Kさんはもの静かな人だったが、肝心の時には毅然としていた。
 大瀧詠一には「夏のリビエラ」という曲もある。あまり知られていないと思うので、下記に掲載する。

「夏のリビエラ」 youtubeより

2026年11月4日水曜日

ランボー詩集

『ランボー詩集』(新潮文庫、1951年)


 ランボーといえばシルベスター・スタローン主演の映画だが、ひと昔前までは詩人のランボーのことだった。
 1854年生まれのランボーは15歳で詩を書き始め19歳で詩作を放棄したが、早熟の天才詩人と言われている。
 この詩集には、ランボーが17歳の時に書いた、傑作といわれる「酔いどれ船」などの作品が収められている。

 翻訳者は自身も詩人の堀口大学だが、時代背景も異なり古風な文体は今の時代にはなかなか受けないだろう。
 参考までに、大塚博堂の「私はもう女です」という曲に「ランボー詩集」が出てくるので下記に掲載します。
 
「私はもう女です」 youtubeより

2026年11月3日火曜日

近藤勇の墓

近藤勇の墓のそばの石碑

 今朝、深大寺へサイクリングへ出かけた際、気が変わって深大寺入口を過ぎて野川沿いを走っていた。
 大沢の里にあった地図を見て、近くに近藤勇の墓があると知った。人見街道沿いの龍源寺に墓はある。
 本堂の左側から裏に回って、墓地に入ってすぐの右手に、「近藤勇の墓」と書かれた案内板があった。

「近藤勇の墓」の案内板

 ウィキペディアによれば、板橋刑場での処刑後、遺族が遺体を引き取り、龍源寺に葬ったものらしい。
 墓所には、近藤勇以外の祖先の墓も並んでいて、上掲の石碑の正面には真新しい近藤家の墓があった。
 近藤家以外の人がお参りしている感じはなかったが、龍源寺の入口の左側には近藤勇の胸像もあった。

近藤勇の胸像

 新選組は幕末に京都で「松平肥後守御預」となった。「松平肥後守」は会津藩主の松平容保のことである。
 会津藩も新選組も佐幕として朝敵に回った。『会津藩始末記』(注)を読んで近藤勇に呼ばれた気がした。
 (注)知命庵: 会津藩始末記(クリックすると飛びます)

街道をゆく1

『街道をゆく1』(朝日文庫、2008年)

 司馬遼太郎の 足掛け25年の『街道をゆく』シリーズ・全43冊の1は、「湖西のみち」で始まっている。
 「『近江』というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである」と冒頭に書いている。
 このことは、拙著『やっぱり滋賀が好き』の帯で引用し、「私も、それくらい『滋賀』が好きだ!」と書いた。

 『街道をゆく』は、24の「近江散歩」でも滋賀が登場する。他にも『歴史を紀行する』(注1)などで近江に触れている。
 (注1)知命庵: 歴史を紀行する(クリックすると飛びます)

 また、白洲正子が『近江山河抄』(注2)で「えたいの知れぬ魅力にとりつかれてしまった」と書いていることも紹介した。
 (注2)知命庵: 近江山河抄(クリックすると飛びます)

 司馬遼太郎や白洲正子と自分を比べるのは大変おこがましいが、私も「近江」にはまっているのは間違いない。

 滋賀は小さな県であるが、その歴史の深さを踏まえて立体的に考えると、日本でも有数の体積なのかもしれない。
 私が見聞きして知っていることは、まだ2割にも満たないだろう。どこまで行けるかわからないが、挑戦を続ける。