2026年8月20日木曜日

真夏の果実

「真夏の果実」 youtubeより

 今年の夏は広島へ6週間帰省していた。長かった広島での暮らしも終わり、今日、東京へ戻ることになる。

 先日の投稿でも登場した奈良県在住のSさんから映画『稲村ジェーン』の話が出て、この曲を思い出した。

 「真夏の果実」はサザンオールスターズの1990年7月の曲だが、私はアルバム『稲村ジェーン』で聴いた。

 「こらえきれなくて ため息ばかり 今もこの胸に 夏は巡る」と唄っている。嗚呼、今年も夏が往く。

2026年8月16日日曜日

きっと同じ

「きっと同じ」 youtubeより

 立秋を過ぎて日が短くなり始めた。朝の散歩の時、太陽が昇る前に秋の風を感じる。季節は移ろい始めた。
 1982年7月にオフコースがリリースした楽曲「きっと同じ」は、アルバム『I LOVE YOU』に収録されている。
 「昨日のことは 誰れも聞かない 変わって行くのは 心も同じ」で始まる歌詞は、全くそのとおりだと思う。

 不思議なもので、季節とともに人の気持ちは移ろう。いつまでも同じ気持ちでいることは本当に難しい。 

2026年8月14日金曜日

一歩の距離

『一歩の距離』(文藝春秋、1968年)

  いつもお世話になっている奈良県在住のSさんから教えていただいて、城山三郎の『一歩の距離』を読んだ。
 中古本を購入しようと思ったが、手頃な価格では手に入らないことがわかったので、市立図書館から借りた。
 小説の舞台は、戦争末期の大津航空隊と滋賀航空隊である。予科練を出たばかりの若者の生死が書かれている。

 戦局が悪化したある日、目を閉じた整列の中から特攻を志願する者は一歩前に出るようにという命令を受ける。
 前に出た者のうち、1人は人間魚雷となって戦死し、1人は終戦を迎える。前に出なかった者はずっと悔やむ。
 私が生まれる前の15年前の話である。もし、私が30年前に生まれていたら、1歩前に出られなかっただろう。

 明日は終戦記念日である。戦争で亡くなった方のご冥福を祈るとともに、平和に生きることの有難さを想う。
 

2026年8月12日水曜日

人新世の「資本論」

『人新世の「資本論」』増補新版(集英社、2026年)

 あるテレビ番組でコメンテーターしているのを見て斉藤幸平氏を知り、『人新世の「資本論」』を買って読んでみた。
 この本は2021年に新書大賞を受賞しているので当時は話題になったのだろうが、私は5年遅れでその存在を知った。
 「脱成長コミュニズム」という考え方には興味を持った。経済成長を続ける限り人類は破滅するしかないのだろうか。

 しかし、この本は増補新版であり、著者は「補考」で「脱成長コミュニズム」が広がらなかったことを認めている。
 確かに、気候変動に対抗するには新しい思想が必要だろう。次作の『人新世の「黙示録」』も読んでみようと思う。
 

2026年8月4日火曜日

夏の終り

「夏の終り」 youtubeより

 この1週間、夏風邪で体調を崩していた。夜眠れない程の咳が続いたが、どうやらなんとか治まってきた。
 「しまなみ海道サイクリングロード」などで体力を消耗し、免疫力が低下していたのが原因だろうと思う。
 まだまだ暑い日が続くが、もうすぐ立秋なので1978年10月発売のオフコースの「夏の終り」を取り上げる。

 この曲は夏の終りとともに恋人との別れを歌っているが、私はエンディングの次の歌詞がとても好きだ。

 そっとそこにそのままで かすかにかがやくべきもの
 決してもういちどこの手で 触れてはいけないもの

2026年7月31日金曜日

スラムダンク

「スラムダンク」 youtubeより

 子供達が中学生の頃に読んでいた「スラムダンク」の漫画本を先日メルカリで処分した。簡単に売れたので、今も人気があるのだろう。

 私は中学生の時、バスケ部に入っていた。同じ小学校から進学した1つ上の先輩がバスケ部のエースで、憧れて入ったが全くダメだった。

 昨日、同級生でバスケ部だったI君の伝手で、その先輩と50年ぶりに会うことができた。先輩も歳を取ったが、相変わらず元気だった。

 先輩は天才である。高校生の時、広島選抜で国体に出場し、能代工業を相手に4点得点している。まさに、リアル・スラムダンクだった。 

2026年7月24日金曜日

しまなみ海道サイクリングロード③

  昨日、かねてからの計画どおり、「しまなみ海道サイクリングロード」の多々羅大橋を自転車で渡りに出かけた。
 早朝に最寄り駅から自転車とともに電車に乗り三原駅で降りた。三原港から瀬戸田行きの船には20分しかなかった。
 輪行袋を畳むと時間がかかるので、そのままリュックに入れたのが良かった。乗船して席に座ると船は動いていた。

多々羅大橋の入口

 30分ほどの乗船中に、輪行袋を畳み日焼け止めを塗った。後方からの日差しを遮るインナーキャップも被った。
 多々羅大橋までは思ったより短く感じた。他にサイクリストはおらず、橋の入口で自転車を降りて写真を撮った。
 橋の中間で県境を越えて愛媛県に入った。自動車道と並走しているが、因島大橋ほど高くはなく恐くなかった。

大山祇神社の総門

 橋を下りてから大山祇神社までの方が長く感じた。しばらく海岸線を走った後、宮浦へ峠を越える道が続いた。
 誰もいないサイクリングロードをひたすら走り、海の近くに神社はあった。観光客を尻目に簡単に参拝をした。
 自転車置き場の休憩所で、持参したおにぎりを食べた。自販機で水を買って補給し、すぐに帰路へスタートした。

横から見た多々羅大橋

 帰り道は短く感じる。峠を越えると海岸線まで緩やかな下りが続いた。多々羅大橋の手前の道の駅で休憩をした。
 橋を渡り横から見た橋の写真を撮った。瀬戸田から三原港行きの船の出発時刻が近づいていたので、道を急いだ。
 なんとか間に合って船に乗った時はさすがにほっとした。多々羅大橋を自転車で渡り、大山祇神社まで往復できた。

安芸灘とびしま海道

 次は、「瀬戸内しまなみ海道」ではなく、「安芸灘とびしま海道」(上記地図を参照)で大崎下島まで行きたい。
 途中の下蒲刈島は朝鮮通信使の停泊地だった。朝鮮通信使には、近江出身の儒学者・雨森芳洲が関係している(注)。
 (注)拙著『やっぱり滋賀が好き』の「朝鮮通信使」(196、197頁)を参照。

 広島へ帰省してから近江関連の投稿がなかったが、やや強引とはいえ、やっと近江に関連付けることができた。