| 近藤勇の墓のそばの石碑 |
今朝、深大寺へサイクリングへ出かけた際、気が変わって深大寺入口を過ぎて野川沿いを走っていた。
大沢の里にあった地図を見て、近くに近藤勇の墓があると知った。人見街道沿いの龍源寺に墓はある。
本堂の左側から裏に回って、墓地に入ってすぐの右手に、「近藤勇の墓」と書かれた案内板があった。
| 「近藤勇の墓」の案内板 |
ウィキペディアによれば、板橋刑場での処刑後、遺族が遺体を引き取り、龍源寺に葬ったものらしい。
墓所には、近藤勇以外の祖先の墓も並んでいて、上掲の石碑の正面には真新しい近藤家の墓があった。
近藤家以外の人がお参りしている感じはなかったが、龍源寺の入口の左側には近藤勇の胸像もあった。
| 近藤勇の胸像 |
新選組は幕末に京都で「松平肥後守御預」となった。「松平肥後守」は会津藩主の松平容保のことである。
会津藩も新選組も佐幕として朝敵に回った。『会津藩始末記』(注)を読んで近藤勇に呼ばれた気がした。
(注)知命庵: 会津藩始末記(クリックすると飛びます)




