2026年7月24日金曜日

しまなみ海道サイクリングロード③

  昨日、かねてからの計画どおり、「しまなみ海道サイクリングロード」の多々羅大橋を自転車で渡りに出かけた。
 早朝に最寄り駅から自転車とともに電車に乗り三原駅で降りた。三原港から瀬戸田行きの船には20分しかなかった。
 輪行袋を畳むと時間がかかるので、そのままリュックに入れたのが良かった。乗船して席に座ると船は動いていた。

多々羅大橋の入口

 30分ほどの乗船中に、輪行袋を畳み日焼け止めを塗った。後方からの日差しを遮るインナーキャップも被った。
 多々羅大橋までは思ったより短く感じた。他にサイクリストはおらず、橋の入口で自転車を降りて写真を撮った。
 橋の中間で県境を越えて愛媛県に入った。自動車道と並走しているが、因島大橋ほど高くはなく恐くなかった。

大山祇神社の総門

 橋を下りてから大山祇神社までの方が長く感じた。しばらく海岸線を走った後、宮浦へ峠を越える道が続いた。
 誰もいないサイクリングロードをひたすら走り、海の近くに神社はあった。観光客を尻目に簡単に参拝をした。
 自転車置き場の休憩所で、持参したおにぎりを食べた。自販機で水を買って補給し、すぐに帰路へスタートした。

横から見た多々羅大橋

 帰り道は短く感じる。峠を越えると海岸線まで緩やかな下りが続いた。多々羅大橋の手前の道の駅で休憩をした。
 橋を渡り横から見た橋の写真を撮った。瀬戸田から三原港行きの船の出発時刻が近づいていたので、道を急いだ。
 なんとか間に合って船に乗った時はさすがにほっとした。多々羅大橋を自転車で渡り、大山祇神社まで往復できた。

安芸灘とびしま海道

 次は、「瀬戸内しまなみ海道」ではなく、「安芸灘とびしま海道」(上記地図を参照)で大崎下島まで行きたい。
 途中の下蒲刈島は朝鮮通信使の停泊地だった。朝鮮通信使には、近江出身の儒学者・雨森芳洲が関係している(注)。
 (注)拙著『やっぱり滋賀が好き』の「朝鮮通信使」(196、197頁)を参照。

 広島へ帰省して近江関連のネタがなく困っていたが、やや強引に近江に関連付けて、今回の投稿を終わる。

2026年7月21日火曜日

夏まつり

 
「夏まつり」 youtubeより

 梅雨が明けて、暑い日が毎日続いている。こんな時に思わず、井上陽水の「夏まつり」という曲を思い出す。
 「十年はひと昔 暑い夏」ではじまるこの曲は、1972年発売の『陽水Ⅱ センチメンタル』に収録されている。
 「ふるさとはふた昔 夏まつり」という終わりの歌詞には、当時24歳だった陽水の故郷への郷愁が感じられる。

 ふた昔どころか、50年ぶりに故郷で暮らしている。やはり「ふるさとは遠きにありて想うもの」だろうか。

2026年7月18日土曜日

しまなみ海道サイクリングロード②

しまなみ海道サイクリングロード

  4月投稿の「しまなみ海道サイクリングロード」(注)のとおり、あの時は尾道から因島大橋を渡るのが精一杯だった。

 今回は、尾道より手前の三原から瀬戸田(生口島)へ船で行き(注)、多々羅大橋を渡って大三島まで行く計画である。

 折りたたみ自転車では長距離が辛いので東京で新しい自転車を購入し、中央線と新幹線を輪行して広島へ持って来た。

新しく購入した自転車

 電車は輪行袋に入れないと乗れない。前輪を外しハンドルをフレームと平行にし輪行袋に入れ電車に乗る練習をした。
 防犯登録をした自転車屋で後ろからの日差しを遮るものが必要と言われ、帽子の下に被るインナーキャップを購入した。
 熱中症対策に水分補給は欠かせないので、ボトルケージを自転車に装着した。L.L.Beanのおまけのボトルが使えた。

輪行袋に入れた自転車

 最寄り駅から始発に乗れば、瀬戸田には8時前に着く。多々羅大橋を渡って大山祇神社まで1時間余りとわかった。
 多々羅大橋を渡るので精一杯と思っていたが、伊予国一宮の大山祇神社に参拝することも不可能ではなさそうだ。
 参拝後は持参のおにぎりを食べて、再び多々羅大橋を渡る。瀬戸田から船に乗って、三原から輪行する予定である。

装着したボトルケージ

 準備は万端整った。来週は本番である。無理をしないように気をつけるが、ここまできたらやるしかあるまい。

2026年7月11日土曜日

安来市加納美術館

 先日、安来市加納美術館を訪れた。加納莞蕾の絵画の収蔵のため創設されたが、寄贈されて安来市加納美術館となっている。
 加納莞蕾は、フィリピンのキリノ元大統領に日本人戦犯の助命を嘆願した人物であると、ある中小企業経営者から教わった。
 キリノ元大統領は、日本軍とのマニラ市街戦で妻と3人の子供を亡くしたにもかかわらず、日本人戦犯105人に特赦を与えた。

「加納莞蕾の願い」の碑

 その経緯について知るため、広島へ帰省した際に美術館を訪問すると決めていて、松江駅へ行く高速バスに乗った。
 松江駅から美術館までは車で約40分かかるが、鳥取市に在住する35年来の友人が松江駅まで車で迎えに来てくれた。
 入口の左側に「加納莞蕾の願い」の碑があった。「赦し難きを赦す」と書いてあり、キリノ元大統領の次の言葉が刻んである。

 'I do not want my children and my people to inherit from me hate for people who might yet be our friends for the permanent interest of the country.' 

加納莞蕾の絵

 名誉館長の加納佳世子氏と少し話をすることができた。近隣の小学校などで加納莞蕾の話をされているそうだ。
 私は、戦争の悲惨さを継承することよりも、平和の有難さを継承することの方が大切ではないかと思っている。
 戦争の悲惨さは、現在のウクライナや中東を見れば一目瞭然だし、もし戦争になれば嫌でも感じることになる。

 加納莞蕾やキリノ元大統領のように、将来の平和を創ることに努めた人達の話こそ後世に伝えるべきだと思う。

2026年7月8日水曜日

出航 SASURAI

 
「出航 SASURAI」 youtubeより

 昨日から、頭の中に寺尾聰の「出航 SASURAI」が去来している。今朝の早暁、東京を発って広島へ帰省する。
 1980年のリリースで、「ルビーの指環」、「SHADOW CITY」とともに、ベストテンに3曲同時にランクインした。
 「あの雲にまかせて 遙かに彷徨い歩く 生きてゆく道連れは 夜明けの風さ」という歌詞がしっくりくる。

 「琵琶湖周航の歌」の出だしもそうだが(注)「さすらい」という言葉にはロマンを感じる。さあ出かけよう。
 (注)拙著『やっぱり滋賀が好き』の94頁を参照

2026年7月7日火曜日

天文台

「天文台」 youtubeより

 今日は七夕である。星にまつわる歌がないかと考えて、南佳孝の「天文台」という曲を取り上げることにした。
 「丘の上の天文台へ 星を探しに行こう」で始まる曲を聴くと、天文台がある瀬戸内海の島へ行ったのを思い出す。
 本当は二人きりで天文台へ行きたかったけれど、グループで来ていたので、とてもそんなことはできなかった。

 あの時、歌詞のように「光の帯の中で 君を抱きしめる」ことができていたら、願い事が叶っていただろうか。

2026年7月6日月曜日

プーチンの世界

『プーチンの世界』(新潮社、2016年)


 知人が「プーチンの国を守ろうとする姿勢が好き」と言うのを聞いて、『プーチンの世界』を購入して読んでみた。
 私は、KGB出身というだけでプーチンを信用できないと決めつけていて、彼に関する本を読んだことがなかった。
 本書は、「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「ケース・オフィサー(工作員)」の6つのペルソナで、プーチンを論じている。

 確かに、プーチンの行動に理解できるところはある。しかし、工作員の手法を用いているところが気になった。