2026年5月17日日曜日

延命寺

延命寺の本堂
 
 延命寺という名前の寺はいろいろな所にあるが、真夏日が予想される中、武蔵野市の延命寺へ自転車で出かけた。
 第二次世界大戦中、中島飛行機工場の真南約200mに位置していたため、境内に爆弾が落ちるなどの被害を受けた。
 檀家に犠牲者が多く、三十三回忌を機に、住職の呼びかけで浄財を集め、1978年に本堂前に平和観音菩薩像が建立された。

平和観音菩薩像(左下は砲弾の破片)

 また、佐竹仙寿丸(秋田藩第5代藩主佐竹義峯の幼名)の銘が入った護摩炉があり、佐竹氏と関係があったと見られている。
 佐竹氏の祖は源頼義の三男の源義光である。義光は、滋賀の三井寺にある新羅善神堂で元服したので新羅三郎と呼ばれる。
 今回は滋賀と関係ないだろうと思っていたが、佐竹氏に由来するものがあると知って、近江とまた繋がってしまった。

護摩炉の説明板

 日本全国各地に滋賀と関係するものはある。それに思いがけず気づいては喜んでいる。近江にはこんな楽しみ方もある。

フレディもしくは三教街

「フレディもしくは三教街」 youtubeより

 さだまさしが51作目のアルバムを発売したとニュースで聴いた。私がさだまさしを聴くようになったのは姉の影響である。
 「精霊流し」で始まる『三年坂』というアルバムを姉が持っていて、その中に「フレディもしくは三教街」も入っていた。
 ライブ・アルバムで、さだまさしは「今までで一番長い曲」と言っていた。上記のyoutubeも、8分21秒かかっている。

 歌の舞台になっている漢口(ハンカオ)には、かつてイギリス、ロシア、フランス、ドイツ、日本の租界があった。
 国際都市・漢口での平和な生活を描いた歌と思って聴いていると、途中からそうではなく反戦の歌だとわかる。
 「あなたさえも奪ったのは 燃えがあがる紅い炎の中を飛び交う戦闘機」という歌詞を聴くと涙ぐんでしまう。

 目的が何であれ、解決手段として戦争をしてはいけない。それは皆わかっているが、始めは別の顔で忍び寄る。 

2026年5月14日木曜日

青葉城恋唄

「青葉城恋唄」 youtubeより

 仙台市在住のI氏とメールのやり取りをしていて、1978年にさとう宗幸が歌った「青葉城恋唄」を思い出した。
 10年ぐらい前にI氏と仙台市の歓楽街・国分町にあったカラオケ・スナックへ行った時、私も歌った記憶がある。
 「時はめぐりまた夏が来て あの日と同じ流れの岸」という歌詞を口ずさむと、また暑い夏がやってきたと思う。

 あと何回、夏を迎えることができるのだろう。季節はめぐり、そのたびに思い出が螺旋階段のようによみがえる。

2026年5月13日水曜日

不実な美女か貞淑な醜女か

『不実な美女か貞淑な醜女か』

 米原万里は「才女」という言葉が相応しい女性だと思う。しかもなかなかの美人である。生前は結構もてたのではないか。
 ロシア語の専門家で、サハロフ博士やゴルバチョフなどが来日した時に通訳を務め、その道の達人として知られている。
 ウィットに富んだ文章を書くのが上手い。上記の本の帯に「井上ひさし氏絶賛」とあるのもわかるような気がする。

 『不実な美女か貞淑な醜女か』(徳間書店、1994年)を古書店で見つけた時、なんてベタなタイトルだろうと思った。
 結論は決まっていると思って手に取ったが、女性ではなく通訳の話だった。「いい訳とは何か」について述べている。
 訳文が整っている場合は美女、ぎこちない訳文である場合は醜女にたとえて、どんな通訳が望ましいか整理している。

 結論は「時と場合によるというの正確な答えだろう」である。図書館への寄贈を考えていたが、再読したくなってきた。

2026年5月12日火曜日

Sacrifice

「Sacrifice」 youtubeより

 久しぶりに英語の歌を投稿することにしたい。エルトン・ジョンが1989年にリリースした「Sacrifice」である。
 当初は全英55位だったが、ラジオで話題になり1990年に再リリースされ、彼のソロとして初の全英1位となった。
 私は、長野に出張した際に中古ショップで『Love Songs』というCDをたまたま購入して、この曲の存在を知った。

 美しいメロディとともに「no sacrifice」が繰り返される。失恋の歌だと思うが、犠牲ではなかったということか。 

2026年5月11日月曜日

鴨稲荷山古墳

鴨稲荷山古墳

  鴨稲荷山古墳は滋賀県高島市の安曇川駅を西へ出て、真っすぐ南へ下り鴨川を越えてすぐの右手に横たわっている。
 一昨日、針江に泊まっていた私は早朝に宿を出て新旭駅から6時前の湖西線に乗り、一つ京都寄りの安曇川駅で降りた。
 そこからは以前に歩いたことがある。拙著『やっぱり滋賀が好き』で書いたとおり、10年前に古墳の手前まで行った。

石棺(実物)

 実際に古墳のそばへ行くと、道路わきに盛り上げられた土の上にプレハブが建っており、その中に実物の石棺があった。
 窓ガラス越しにしか見ることができないが、それでも迫力がある。やはり現地を見なくてはいけないと改めて思った。
 埋葬されていたのは三尾氏の族長ではないかと言われている。現在も、安曇川駅から古墳までに三尾里という地名がある。

胞衣塚

 鴨川を渡る手前の右手に、継体天皇が生まれた際の胞衣(赤ちゃんを包む膜・胎盤など)を埋めたと伝わる胞衣塚があった。
 10年前も来たが、キャリーバッグを引きずっていたのでそばまで行けなかった。今回近くまで行くと、説明板が立っていた。
 継体天皇は高島で生まれたとされており、母親の振姫が妊婦の時に座った「もたれ石」や父親の「田中王塚古墳」がある。

副葬品(複製)

 宿に戻り朝食を食べチェックアウトして再び安曇川駅に来た。今度は東側の「中江藤樹・たかしまミュージアム」へ行った。
 藤樹神社の横にあり以前は藤樹関連の資料館だったが、昨年6月のリニューアル・オープン後は古墳の副葬品が展示されている。
 古墳の発見は明治35(1902)年であり、朝鮮半島の影響を受けた純金製の宝冠、耳飾り、靴などの豪華な副葬品が出土している。

 今回、10年越しでやっと鴨稲荷山古墳と副葬品を見ることができ、古代のロマンに想いを馳せた。近江は本当に素晴らしいと思う。

2026年5月9日土曜日

針江・生水の郷

針江の「かばた」


 昨日、広島から東京への途中で滋賀に立ち寄り、高島市新旭町にある「針江・生水(しょうず)の郷」を見学した。
 針江では湧き水を生活用水に使っており、「かばた」と言われる。上記の池の中にいる鯉が残飯等を処理してくれる。
 20年近く前に大津で仕事をしていた時に行きたかったが都合が付かなかったので、今回で漸く実現したことになる。

 見学後は近くの「ラシーヌホーム針江」に泊まった。生水を使ったお風呂に浸かりながら自分が鯉になった気がした。

針江地区の水路