2026年9月10日木曜日

びわこマスキングテープ

「びわこマスキングテープ」

 先月投稿の「第79回国民スポーツ大会(滋賀県)の切手」(注1)を読み返していて、「びわこマスキングテープ」を掲載してなかったことに気づいた。
 (注1)知命庵: 第79回国民スポーツ大会(滋賀県)の切手(クリックすると飛びます)

 上掲がその現物である。「びわこマスキングテープ」1本と「ヨシメッセージカード」5柄が入って440円である。
 インターネットでも購入できる(注2)ので、手持ちがなくなりかけると5個ぐらいまとめて注文している。

 最近、人から教えてもらって、下記の「DAISOのマスキングテープカッター」に入れて使うようになった。
 手紙を封筒に入れてテープのりで封をして、「びわこマスキングテープ」を貼る時に切るのにちょうどいい。
 マスキングテープが一巡するのを3回に分けて切っている。「ビワコオオナマズ」が出たら大当たりである。

「DAISOのマスキングテープカッター」

 「びわこマスキングテープ」の話をすると興味を持つ人もいて、今までに2回、原価でお譲りしている。
 いずれも妙齢の女性であるが、私は「びわこマスキングテープ」が好きなだけで、受けを狙ってはいない。

東京の「地霊」(ゲニウス・ロキ)

『東京の「地霊」(ゲニウス・ロキ)』(文藝春秋、1990年)

 この本は随分前に読んだが、とても面白かった。都内13カ所にまつわる話を「地霊」としてまとめている。
 4カ所目の『「江戸の鬼門に「京都」があった』は上野公園である。上野公園の北に東叡山寛永寺がある。
 上野は、寛永寺開山堂⦅両大師(注)⦆に祀られている慈眼大師・天海が作ったことはよく知られている。
 (注)知命庵: 両大師を参照(クリックすると飛びます)
    『やっぱり滋賀が好き』の123頁にも書いています   

 天海は、江戸城の鬼門に東叡山寛永寺を建立して比叡山延暦寺の写しとし、不忍池を琵琶湖に見立てた。
 不忍池にある中の島は、琵琶湖にある竹生島の写しとして人工的に作られたと、この本には書かれている。
 したがって、中の島にも竹生島と同様に弁財天が祀られている。竹生島は江の島、宮島(広島)と並んで日本三大弁天と言われるが、一番行き難いと思う。私は大津にいたおかげで全てに行っている。

不忍池(上野恩賜公園・公式ホームページより)

 因みに、2カ所目の『「暗殺の土地」が辿った百年の道のり』は、大久保利通が暗殺された紀尾井町である。
 明治11年(1878)5月、下記の略図の真ん中、現・ホテルニューオータニの前あたりで大久保は暗殺された。
 道路の反対側の現・清水台公園には大久保を哀悼する石碑が立っているが、その理由を知る人は少ない。

『東京の「地霊」』37頁から引用

 私はこの本を読んで現地へ行った。草むらを歩くと小さな蛇が出たが、「地霊」の化身に会った気がした。

2026年9月9日水曜日

あの唄はもう唄わないのですか

「あの唄はもう唄わないのですか」 youtubeより

 私は伊勢正三が好きで何度か投稿している。「あの唄はもう唄わないのですか」は一番好きな唄と言っていい。
 有名な「22才の別れ」に続いて、1975年にリリースされたフォーク・デュオ「風」の2枚目のシングルである。
 「雨が降る日は 近くの駅まで ひとつの傘の中 帰り道」という歌詞の部分が今の季節に合っていると思う。

 一度聴いたら忘れない歌詞とメロディだが、最近はあまり流行らないだろう。でも、私はあの唄を唄い続ける。

式子内親王伝

『式子内親王伝』(朝日文庫、1994年)


 式子内親王は後白河法皇第三皇女で、忍ぶ恋の歌人として名高い。有名なのは百人一首の次の和歌だろう。
 
玉の緒を絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

 先日投稿した『録外録』(注1)の巻末の朝日文庫のリストで、『式子内親王伝』という本があるのを知った。
 (注1)知命庵: 録外録を参照(クリックすると飛びます)

 第一回紫式部文学賞受賞ということよりも、「面影びとは法然」というサブタイトルの方が私は気になった。
 
「法然上人足曳きの御影」(アールクリエーションより)

 上掲の「法然上人足曳きの御影」はこの本にも出てきて、「目のやさしさは印象的である」と書かれている。
 二人の出会いは「法然五十代の、式子三十代の、それぞれ半ばあたり(中略)まさに成熟の年代」であった。
 斎院(注2)を務め結婚が許されない内親王と戒律を守って生涯を送った僧侶は、運命的に出会ってしまった。
 (注2)賀茂神社に奉仕した皇女

 式子が死ぬ前、法然は手紙を受け取るが式子には会わずに返書を出す。この返書がこの本の鍵になっている。
 因みに、瀬戸内海の生口島(注3)に法然と式子に関する伝承があると知った。もう一度行ってみたくなった。
 (注3)知命庵: 瀬戸田(生口島)を参照(クリックすると飛びます)

2026年9月8日火曜日

占領と単独講和

 75年前の1951年(昭和26)9月8日、サンフランシスコ講和条約(正式名称:日本国との平和条約)が調印された。
 翌年4月28日に条約は発効、6年8カ月の占領が終わり日本は独立したが、アメリカ主導による「単独講和」であった。
 講和条約条約締結と同時に、別に日米安全保障条約が締結され、現在に至る日米間の軍事的協力関係が定められた。

『写説 占領と単独講和』(ビジネス社、2006年)

 多くの人に周知のことであるが、私はよく理解できていなかったので、上掲の『写説 占領と単独講和』を購入した。
 「吉田茂は売国政治家か、希代の戦略家か」というサブタイトルが、本件への私の問題意識にピタリ一致していた。
 本著は、『今から振り返ると、吉田の「早期単独講和」の現実的な選択が正しかったといえるだろう』としている。

 一方で、「歴史の偶然、歴史のツキ(幸運)に日本は何度も恵まれた」とし、マッカーサーや朝鮮戦争を上げている。
 そして、「現在の日本を知るためには、やはり、アジア太平洋戦争、占領時代の経緯を振り返る必要がある」と結ぶ。
 確かに、沖縄の米軍基地や核開発・拉致被害者の北朝鮮などの問題は、戦後の状況の中で生まれてきたものである。

「ああモンテンルパの夜は更けて」 youtubeより

 また、7月投稿の安来市加納美術館(注)で触れた日本人戦犯の釈放が当時の流行歌と関係していたことを知った。
(注)知命庵: 安来市加納美術館を参照(クリックすると飛びます)

 渡辺はま子の「ああモンテンルパの夜は更けて」で、この曲のオルゴールがキリノ大統領に献上されたそうだ。
 オルゴールのメロディを聴いたキリノ大統領から、戦犯を釈放するというメッセージが届いたと書かれていた。

 1952年(昭和27)の歌で曲名しか知らなかったが、フィリピンにいた時にモンテンルパへ行っておけば良かった。

2026年9月7日月曜日

秋の雨

日本大歳時記・座右版(講談社、1983年)


 昨日から秋雨が降り続いている。テレビのニュースは大雨の情報ばかりで、交通機関にも影響が出ている。
 「秋の雨」は秋の季語で、『日本大歳時記・座右版』には「春雨と同じく九、十月ごろ、夏・冬の季節風の交替する、定風のない凪の時期に、所々に小低気圧を生じ、そのため曇りがちで小雨の降るような日が続く。じとじとと梅雨のように降り続くことが多いので、秋霖(しゅうりん)とも秋黴雨(あきついり)とも言う」との記載がある。

 秋雨を詠んだ蕪村と一茶の句は次のとおり。

秋雨や水底の草を踏み渡る 蕪村

秋雨やともしびうつる膝頭 一茶
 
 今回は「小雨」ではなく、「線状降水帯」が発生する恐れがある。季節を楽しんでいる場合ではないらしい。

2026年9月6日日曜日

Only the Good Die Young

 
'Only the Good Die young' youtubeより

 先日の投稿で、ジョン・レノンが亡くなったのが40歳だったことを改めて認識し、この曲の連想に繋がった。
 ビリー・ジョエルの'Only the Good Die young'は「善人は早死にする」という諺に似ていると思っていた。
 しかし、歌詞を見ると次のとおり善人であることを否定し、自分に付いてくるよう恋人に呼びかけている。

I'd rather laugh with the sinners than cry with the saints
The sinners are much more fun
You know that only the good die young

 若くして亡くなっても立派な功績を残した人物は多い。中江藤樹は40歳、蒲生氏郷も40歳で亡くなっている。 
 中江藤樹は、11歳の時に志を立て、独学で儒教を学んで「わが国の陽明学の祖」と言われるまでになった。
 蒲生氏郷は、14歳で信長の娘と結婚し、会津で92万石の大名となった。偉人は30年あれば一角の事をする。

 私は、早く死にたくはないが、長く生きればいいとも思っていない。しかし、大した事はできそうもない。