2026年10月29日木曜日

微笑みに乾杯

「微笑みに乾杯」 youtubeより

 安全地帯が1988年8月25日にリリースした「微笑みに乾杯」。この曲のリリースをもって安全地帯は活動休止となった。
 「もう涙ふいて歩いてゆこう このままずっとずっと  もうふりむかない きみのために微笑みを」という歌詞がある。
 恋人同士のことを歌っているが、安全地帯というグループについて歌っているようにも聞こえて意味がよくわからない。

 たまたま見つけたユーチューブの映像は琵琶湖のライブカメラだった。雨だれの先に湖岸の高層マンションが見える。

仏教は、いかにして多様化したか

『仏教は、いかにして多様化したか』(NHK出版、2025年)

 西武新宿線の野方へ用事で出かけた時、時間つぶしにブラブラしていたら商店街に小さな書店があった。
 その店の2階でこの本を見つけて、目次の第4章の中の「世俗化した日本の仏教」が気になって購入した。 
 159頁に『明治政府は、「仏教の僧侶は肉食しても、正式な妻を持っても構わない」という衝撃的な布告を発しました』と書いてある。

 これまで私は、日本の僧侶の肉食妻帯は浄土真宗の開祖である親鸞から始まったとばかり思っていた。
 しかし、浄土真宗以外の宗派では肉食妻帯は明治までは大っぴらにには行われていなかったのだろう。
 昨年6月投稿の「アーネスト・F・フェノロサ」(注)で、フェノロサが崇拝した僧侶の敬徳について「僧侶の肉食妻帯が認められても戒律を厳守し布教に命を懸ける高僧」と書いてある意味がわかった。
 (注)知命庵: アーネスト・F・フェノロサ②(クリックすると飛びます)

 肉食妻帯自体の是非を問う気はないが、結果として僧侶は世襲となり、住職を代々継ぐことになった。
 かつて僧侶は学僧であり、仏教が社会に役立つには学問として見直す必要があるのではないかと思う。

2026年10月28日水曜日

宝泉寺

宝泉寺

 昨日、Fさんに会いに早稲田へ行った際、宝泉寺に立ち寄った。地下鉄の出口から大学へ行く途中にある。 
 宝泉寺は、江戸時代に流行した宝くじのルーツ「富くじ」を最も古くから行っていたとされている。
 江戸初期に行われていた「富突」が2023年に400年を経て復活し、毎年5月3日に開催されているらしい(注)。
 (注)江戸時代発祥の宝くじ 富突 | 早稲田宝泉寺(クリックすると飛びます)

 早稲田の近くに以前勤めていたので、時々「富くじ」を引いていた。今度は「富突」を見に行こう。

宝泉寺の「富くじ」

2026年10月27日火曜日

近江山河抄

『近江山河抄』(駸々堂、1974年)

 白洲正子の『近江山河抄』の文庫本は持っているが、単行本が欲しくて買った。上掲のとおり、外箱の装丁は紅葉である。
 私は一冊目の本を書く前、白洲正子やその著書の『かくれ里』に渡岸寺の十一面観音が触れられているのを知らなかった(注1)。
 (注1)『やっぱり滋賀が好き』の208頁を参照

 白洲正子は『近江山河抄』の「近江路」で「えたいの知れぬ魅力にとりつかれてしまった」と書いており、私と似ている。

竹生島

 『近江山河抄』は、冒頭に近江各地の写真が7枚掲載されている。1枚目は上掲の竹生島で、夜明け前の姿が何とも神々しい。
 5枚目は石塔寺・三重石塔で、先日投稿の「歴史を紀行する」(注2)で司馬遼太郎が「近江がわかる」と書いたものである。
 (注2)知命庵: 歴史を紀行する(クリックすると飛びます)

石塔寺・三重石塔

 7枚目は銅鐸で、3月投稿の「銅鐸博物館」(注3)で取り上げた。他にも、三上山(注4)や稲荷山古墳(注5)の写真もある。
 (注3)知命庵: 銅鐸博物館(クリックすると飛びます)
 (注4)知命庵: 御上神社(クリックすると飛びます)
 (注5)知命庵: 鴨稲荷山古墳(クリックすると飛びます)

銅鐸

 また、上記以外にも、妙光寺山の磐坐や廃少菩提寺の多宝塔といった、私が全く知らない場所の写真も載っている。
 これらの写真を見るだけで近江の山河が素晴らしいのがわかる。まだまだこれからだが、できるだけ行ってみたい。

2026年10月25日日曜日

安土往還記

『安土往還記』(新潮文庫、1972年)

 辻邦生(注)の『安土往還記』。最初の歴史小説で、尾張の大殿(シニヨーレ)として織田信長の半生を描いている。
 (注)知命庵: 辻邦生(クリックすると飛びます)

  文芸評論家の饗庭孝男は「辻邦生が(中略)一回かぎりの生を文学という想像力の所産のなかで全体的に永遠に意味あらしめたい、という渇望をいだいていることを私たちは理解する」と解説で書いている。
 私も、上記の投稿で、辻邦生の「あなた方一人ひとりの大事な一回こっきりの人生ですからね。(中略)この一回こっきりの自分というもの、自分のいまの世界を本当に大事にしてください」という言葉を紹介した。

 そんな辻邦生にとって、49歳で亡くなるまで人生を駆け抜けた織田信長という人物は恰好
の題材だっただろう。
 因みに、饗庭孝男は滋賀県大津市出身で、一族の故地の饗庭という地名は滋賀県高島市に現在も存在している。

2026年10月24日土曜日

遠くで汽笛を聞きながら

 
「遠くで汽笛を聞きながら」 youtubeより

 先日、谷村新司の「陽はまた昇る」(注)を投稿したが、今回はアリス時代の「遠くで汽笛を聞きながら」である。
 (注)知命庵: 陽はまた昇る(クリックすると飛びます)

 作詞は谷村新司だが作曲は堀内孝雄で、アリスの時は二人が交互にボーカルをしているバージョンもあるらしい。
 最後の歌詞は「自分の言葉に嘘はつくまい 人を裏切るまい 生きてゆきたい遠くで汽笛を聞きながら 何もいいことがなかったこの街で」である。

 それにしても汽笛をあまり聞かなくなった。帰省した時にコンテナを載せた長い貨物列車が通過する時ぐらいか。

2026年10月23日金曜日

李陵・山月記

『李陵・山月記』(新潮文庫、1969年)

 中島敦の小説を読むと、名文とはこういうものだろうと思う。漢文調の簡潔かつ叙情的な文章が心地よい。
 内容的にも中国の古典を題材にしても現在でも十分に通用するものであり、天才作家というのが相応しい。
 「李陵」は漢の武帝の時代に匈奴に捕らえられた将軍の話、「山月記」は狂って虎になった人の話である。

 中島敦は病弱のため33歳で亡くなった。しかし、解説のとおり「永遠に忘れられぬ作家」 の一人だろう。
 この本は古書店の軒先で50円で売られていた。また、まちライブラリー(注)へ寄贈しに行こうと思う。
 (注)知命庵: まちライブラリー(クリックすると飛びます)