2026年9月30日水曜日

武蔵野の水源池の謎

『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形編』(2013年、中公新書)


 先日、滋賀県の安土城址の地形について投稿したが(注1)、今回は東京の武蔵野の水源地についての話である。
 (注1)知命庵: 日本史の謎は「地形」で解ける【環境・民族編】(クリックすると飛びます)

 近所の古書店で購入した『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形編』に「武蔵野の水源地の謎」という項があった。
 「地図を見ていて不思議に思ったことがある。ほぼ南北に並んでいる三宝寺池(練馬区)、善福寺池(杉並区)、井の頭池(三鷹市)の標高を読み取ると、池の水面の高さがどれも45メートルから50メートルと似通っているのだ」と書かれている。

『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形編』(51頁)

 上掲の地図のとおり、「いずれも東京を流れる代表的な河川の水源地で、もとは武蔵野台地
の谷頭に連なる湧水池である」とされている。
 しかし、「現在のこれらの池は、自然湧水で満たされているわけではない。深さ100メートル以上の地下からポンプで汲み上げた地下水を導水している」とも書かれている。
 神田川の源流池として知られる井の頭池は、「現在では八ヵ所の井戸から1日3500トンの水を汲み上げて、池に導水している」そうだ。

 その理由として、「畑や雑木林で覆われた武蔵野の高台は、ほとんどが住宅地や舗装道路となり、かつて豊かな湧水をはぐくんだ池の後背地の武蔵野台地に降りそそぐ雨水は、地下にしみ込むことなく、コンクリートで固められた暗渠で遠い下水処理場へ運ばれてしまうのだ。これでは湧水など生まれようもない」と書かれている。
 因みに、練馬区の「練馬わがまち資料館」には、「石神井川は、現在、小平市の花小金井南町二丁目と三丁目の境、小金井カントリー倶楽部東側から下流とされていますが、昔は、さらに西方の鈴木町一丁目の武蔵野団地付近が水源でした」(注2)と書いてあった。
 (注2)石神井川の源流と名称 | 練馬わがまち資料館(クリックすると飛びます)

 上記の武蔵野団地の一帯は低地で、西側の新小金井街道とかなり段差があり、かつて水源であったことがイメージできる。

東京

 
「東京」 youtubeより

 私のような地方から東京に出てきた者にとっては、1974年10月発売のマイ・ペースの「東京」は何故か記憶に残っている歌である。
 ウィキペディアによれば、深夜放送や有線放送でよくかかってロングヒットとなり、累計で約100万枚の大ヒットとなったそうだ。
 「最終電車できみにさよなら」で始まり「東京へはもう何度も行きましたね」で終わる歌詞が、新幹線に乗る時に頭に浮かんだ。

 彼女はいないのに、もし東京に彼女がいたらこんな気持ちになる気がしていた。今は東京在住だが、帰省の時そんな気持ちになる。

2026年9月29日火曜日

Melodies of Love

 
「Melodies of Love」 youtubeより

 ジョー・サンプルの曲は今年2月に「Carmel(渚にて)」(注)を投稿しているが、もう1曲だけ投稿したい。
 (注)知命庵: Carmel(渚にて)(クリックすると飛びます)

 「Melodies of Love」は1978年のアルバム『Rainbow Seeker』に収録されていて、1度聴いて覚えてしまった。
 フュージョン風のソフトなタッチで曲が始まるが、サビの部分は鍵盤を叩きつけるような激しい演奏になる。

 過ぎ去った恋愛の出逢いから別れまでがメロディに表現されているような気がして、たまに聴きたくなる。

蓮如

『原田伴彦著作集 第6巻 人物史夜話』(思文閣出版、1982年)
 
 原田伴彦は日本史学者で『原田伴彦著作集』全7巻を遺している。このうちの第6巻が古書店で売られていた。
 『第6巻 人物史夜話』の中には「日親と蓮如ー室町教団の双峰」という項がある。私は蓮如に興味があった。
 蓮如については「すぐれた政治力、巧みな組織能力と、異常なエネルギーにあふれた肉体を恵んだ」と書かれている。

 「異常なエネルギーにあふれた肉体」については3回言及しており、原文のまま下記に引用させていただくことにする。

彼は二十七歳頃に、平貞房の女である如了夫人と結婚し、わずか十年の間に、たちまち七人の子女をもうけた(222頁)

時に彼は五十七歳であるが、(中略)この歳よりさかのぼる十二年の間に、彼は、第二の妻である、亡き如了夫人の妹如祐夫人に、五男五女、合わせて十人の子をもうけている。ほとんど「としご」の連続であった(225頁)

畠山政栄の女の蓮能に、七十六歳のときには九男兼照を、七十七歳で十男兼俊、八十歳で十一男兼住、八十一歳で十二男兼継、八十三歳で十四女妙宗を、そして八十四歳で、最後の子、十三男兼智を、オートメーションのように、規則正しく生ませるという人間的、絶倫ぶりを示した(231頁)

 拙著では「滋賀県にある3000あまりの寺院のうち半分以上が浄土真宗と言われており、その多くは蓮如の時代に増えている」と書いた。
 また「各地で忙しく布教を続けながら、蓮如は五人の女性を妻として十三男十四女をもうけている」とも書いている(注)。
 (注)『「びわ湖検定」でよみがえる』 223~226頁

 この生命力が本願寺の発展につながったことは間違いない。今更ながら蓮如の超人ぶりに驚くばかりである。

2026年9月28日月曜日

Naked Like the Moon

「Naked Like the Moon」 youtubeより

 「Michael Learns to Rock」という変わった名前のロックグループの曲は以前にも取り上げたことがある(注)。
 (注)知命庵: Out of the Blueを参照(クリックすると飛びます)

 「Naked Like the Moon」は、1995年8月のアルバム『Played on Pepper』の最後に収録されている。
 「naked」は「裸の」という意味で、「naked like the Moon」とはむき出しの月面のことを言っている。
 ピアノの伴奏と静かなボーカルが印象的だが、次のとおり歌詞の最後で地球の環境破壊を嘆いている。

Inpatient with the human race
Still Nature shows a friendly face
And I believe in paradise on Earth

But when I saw the News today
So horrible I had to pray
Don't leave the Earth naked like the Moon
Naked like the Moon 
 
 昨今の気候変動に関するニュースを聞いていると、地球は「naked」にならずにいられるだろうかと思う。

ハンナ・アーレント

『ハンナ・アーレント』(中公新書、2014年)

 先日投稿した「民主主義は終わるのか」(注)の中でハンナ・アーレントに触れられていたので、もっと知りたいと思った。
 (注)知命庵: 民主主義は終わるのか(クリックすると飛びます)

 ブックオフ公式オンラインストアで検索すると上記の本が示された。店舗受取りで注文して最寄りの店で昨日購入した。
 難しい本だろうと思っていたが、著者の文章は読み易かった。内容も興味深かったので、どんどん読み進むことができた。

 副題に『「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』とあるとおり、ナチが台頭した後も亡命生活の中で全体主義と対決し続けた。
 その思考は事実を重視しており、因果関係の説明といった伝統的な方法では先例のない出来事を語ることはできないとする。
 その結果、元ナチ官僚アイヒマンをめぐる裁判の報告『イェルサレムのアイヒマン』は、刊行後に激しい非難にさらされた。

 「理解することは、生きることの人間的なあり方である」というハンナ・アーレントの言葉が、その孤高の思索を物語る。

2026年9月27日日曜日

EUROPA ( Eeath's Cry Heaven's Smile )

"EUROPA" youtubeより

 一度聴いたら忘れられない、エレキギターの名曲"EUROPA" 。邦題は「哀愁のヨーロッパ」だった。
 米国サンフランシスコ出身のラテン・ロックバンド、サンタナの曲で、1976年に日本でヒットした。
 リーダーのカルロス・サンタナはメキシコ生まれで、私はずっとメキシコのバンドだと思っていた。

 副題の"Eeath's Cry Heaven's Smile"は環境破壊に対する警鐘のようにも聞こえるが、よくわからない。
 「哀愁のヨーロッパ」の意味もよくわからないが、上掲の動画のとおり、夕陽がピッタリの曲である。

Cさんのご冥福を祈る

  昨夜、Facebookを見ていて、私がフィリピンにいた時の知り合いのCさんが先日お亡くなりになったことを知った。
 私は在フィリピン日本大使館の日本広報文化センターで専門調査員として働いていて、Cさんは所長の秘書だった。
 今年1月、たまたま来日していたCさんと30年ぶりに武蔵小杉のショッピングモールでお会いしたばかりだった(注1)。
 (注1)知命庵: 日・フィリピン友好年を参照(クリックすると飛びます)

 その時はお元気そうに見えたが、何が起きるかわからないものだ。あの時にお会いしておいて本当に良かったと思う。
 私のフィリピン人の知り合いがいなくなってしまった。もう一人のフィリピン大学の教授は
とっくに亡くなっている(注2)。
 (注2)知命庵: コレヒドール島(Corregidor)を参照(クリックすると飛びます)

 とても残念だが仕方がない。次はマニラを再び訪問してCさんにお会いしたいと思っていたが、叶わぬ夢となった。

 友人、知人も高齢化しており、会いたいのならば早目に会うしかない。Cさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

2026年9月26日土曜日

夢より遠くへ

「夢より遠くへ」 youtubeより

 1990年11月発売の来生たかおの「夢より遠くへ」、JR東日本「びゅうジャパン」のテレビCM曲だった。
 私は1995年リリースのアルバム『夢より遠くへ melodies & stories』に収録されているのを初めて聴いた。
 「二人の アリバイは 都会時間に消して」という歌詞には、不倫の曲のような感じがしないでもない。

 人は夢の中で自分の願望を叶える。その夢より遠くとは、夢を現実の中で実現するということだろうか。

滋賀ふるさと観光大使

滋賀ふるさと観光大使(滋賀県のホームページより)


 滋賀ふるさと観光大使は、T. M. Revolutionの西川貴教です。ウィキペディアによれば、野洲市出身となっています。
 先日、いつもお世話になっているSさんから「ご当地グッズへの愛着者こそが観光大使にふさわしい」と言われました。
 今までも、私が滋賀がとても好きなのを知った人から「観光大使になれるんじゃないの」と言われたこともありました。

 観光大使の選定基準は地方自治体ごとに異なり、私の知り合いにも奈良県観光大使を名刺に印刷している人がいます。
 滋賀県の場合は地元出身の有名人が選ばれており、 滋賀好きで本を書いたからといって観光大使には選定されません。
 それは各地方自治体の考え方であり、観光大使になりたいと思わなくなりました。正直、以前には少しありましたが。

 私が滋賀ふるさと観光大使にお勧めする有名人が二人います。モデルのSHIHOとお笑い
コンビ「ダイアン」の津田です。
 SHIHOが滋賀県草津市出身とはあまり知られていません。観光大使になってもらえれば、宣伝効果は高いと思います。
 津田は「ゴイゴイスー」でブレイクして、子供でも知っています。「ダイアン」の二人はいずれも滋賀県愛知郡出身です。

 滋賀県出身でなければ、タモリは「ブラタモリ」で何度も滋賀を訪れています。きっと滋賀が好きなのでしょう。
 私は、滋賀県出身でも有名人でもありませんが、滋賀が好きなことについては観光大使に負けていないと思います。

2026年9月25日金曜日

Weekend in New England

 
'Weekend in New England' youtubeより

 私はバリー・マニロウが好きでたまに聴きたくなる。この'Weekend in New England'もそんな曲の一つだ。
 ニューヨーク在住の男性が週末をニューイングランドで過ごし、出会った女性と再び会うことを願っている。
 私が好きなのはサビの部分で、歌詞は以下のとおり。訳すと台無しになるので、そのまま掲載させていただく。

And tell me
When will our eyes meet
When can I touch you
When will this strong yearning end
And when will I hold you again

 'yearn'という動詞を英和辞典で引くと「慕う、あこがれる」である。'strong yearning'に気持ちが表れている。

【悲報】びわこマスキングテープ(廃番)

「びわこマスキングテープ」

 今月10日に投稿したばかりだが、「びわこマスキングテープ」(注1)が廃番になっていることがわかった。
 (注1)知命庵: びわこマスキングテープ(クリックすると飛びます)

 インターネットでの注文に際し、送料無料(3000円以上)にするため7個(1個440円)をカートに入れた。
 在庫不足と表示されたので取寄依頼を行ったところ、メーカー欠品で取り寄せできないとの連絡があった。

 そこでメーカーのコクヨ工業滋賀へ電話して確認したところ、昨年の時点で廃番になっていると教えてくれた。
 残るは流通在庫のみであり、東京で取り扱っている「ここ滋賀」(注2)に電話したが、既に在庫はなかった。
 (注2)知命庵: ここ滋賀(クリックすると飛びます)

 正直少し焦ったが、オンラインショップに僅かに残っていた4個をインターネットですぐに購入し確保した。

 コクヨ工業滋賀の担当の人の話では、滋賀のスーパー平和堂にある文具店などには在庫があるそうである。
 手元に未使用のものが2個あるが、国民スポーツ大会の切手(注3)の在庫に見合うだけの量は確保したい。
 (注3)知命庵: 第79回国民スポーツ大会(滋賀県)の切手(クリックすると飛びます)

 滋賀を訪問する機会に大人買いをしよう。それぐらい、この「びわこマスキングテープ」が気に入っている。

使用中の「びわこマスキングテープ」

2026年9月24日木曜日

白い寫眞館

「白い寫眞館」 youtubeより

 中村雅俊の古い歌である。1974年11月の発売というから私は中学生だった。初めて聴いたのはラジオだったと思う。
 ウィキペディアによれば、テレビドラマの主題歌だった。テレビドラマは見ていないが、歌の方だけ記憶に残った。
 写真館の写真を見て一目ぼれした女学生が友人の恋人だとわかって、故郷を去るというストーリーが印象的だった。

 自分自身には好きな人もいないのに、少し復古調の歌詞を聴いて、そんなこともあるかも知れないと思っていた。
 50歳近くになってからこの曲を思い出し、ベストアルバム『想い出のかけら』を購入して再び聴くことができた。
 今でもこの曲を聴くと、中学生だった頃の感覚がなんとなくよみがえる気がする。ほろ苦い青春の思い出である。

民主主義は終わるのか

『民主主義は終わるのか』(岩波新書、2019年)


 ドイツの州議選で極右政党が第1党になった。フランスでも極右政党が勢力を伸ばしている。ヨーロッパはどうなってしまうのか。
 先日、古書店の軒先で『民主主義は終わるのか』をたまたま見つけて購入した。2019年に書かれた本だが、状況は変わっていない。
 筆者は日本の民主主義を脅かしている要因を4つにまとめて現状を分析した上で、民主主義を立て直すため5つの提言を行っている。 

 提言5の「市民の課題」には、「民主主義を担う市民に必要な美徳は、正義感、正確な認識、楽観と持続性である」と書かれている。
 巻末に「読書案内」として掲げられている図書が参考になった。読みたい本がまた増えてしまったが、正確な認識には必要だろう。

2026年9月23日水曜日

シルエット・ロマンス

「シルエット・ロマンス」 youtubeより

 今日は秋分の日で、これから夜の方が昼より長くなる。そんな深まる秋に「シルエット・ロマンス」はピッタリの曲だと思う。
 1981年11月発売の大橋純子の曲で、翌年の日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞した。小柄な人だが歌は抜群に上手かった。
 作曲者の来生たかおがセルフカバーしたバージョンもあるが、この曲は大橋純子のボーカルの方が情感が伝わる感じがする。
 
 こういう感情を持つことはもうなくなってしまったが、2巡目のサビの部分の歌詞を聴くと、今でも心が揺さぶられてしまう。

 ああ 抱きしめて 身動き出来ないほど もっとロマンス 甘くだましてほしい
 ああ 抱きしめて 鼓動がひびくほどに もっとロマンス 激しく感じさせて

日本史の謎は「地形」で解ける【環境・民族編】

『日本史の謎は「地形」で解ける【環境・民族編】』(PHP文庫、2014年)

 昨日、近所の古書店で100円で売られていた『日本史の謎は「地形」で解ける【環境・民族編】』を購入した。
 第1章が『なぜ信長は「安土の小島」に壮大な城を築いたか』であり、何が書いてあるか気になった。「安土の小島」とあるとおり、かつては島のような存在だった安土山に築かれた安土城について書かれている。

『日本史の謎は「地形」で解ける【環境・民族編】』33頁

 上記の地図では、安土山の足元まで琵琶湖の内湖が迫っており、周囲は湿地帯で「安土山は琵琶湖の中に浮かぶ小さな島であった」と筆者は書いている。
 続いて、「信長は琵琶湖周辺のどこでも、自分自身の拠点城として自由に選択することができた。(中略)なぜ、信長はこの安土山を選んだのだろうか?」と問う。
 「地形」の専門家ならではの筆者の答えが導き出されているが、ネタバレになるのでここには書かない。

 私も、昨年9月に投稿した「安土城址」(注)で、「大中の湖が干拓されるまでは城のある安土山は琵琶湖に突き出た岬だった」と書いた。
 (注)知命庵: 安土城址(クリックすると飛びます)

 その際に参考にした『隔週刊 日本の城 DVDコレクション 7 安土城』では、安土城は「北陸と京都を結ぶ交通の要衝」と説明されている。

 安土城は、天正4年(1576)から3年の歳月を費やして完成されたが、そのわずか3年後の天正10年(1582)に火災により焼失してしまった。平成元年(1989)から発掘調査が本格的に開始されたとはいえ、まだ謎は多い。

2026年9月22日火曜日

陽はまた昇る

「陽はまた昇る」 youtubeより

 今朝の散歩の時、久しぶりに雲間から朝陽が見えたので、谷村新司の「陽はまた昇る」を投稿しようと思う。
 ウィキペディアによれば、1979年発売のソロデビューシングルでドラマ 「陽はまた昇る」の主題歌だった。
 出だしの「夢を削りながら年老いてゆくことに 気が付いた時 はじめて気付く空の青さに」が身に染みる。

 太陽は毎日上る。人の心はそうはいかないが、「生きてるとは燃えながら暮すこと」はそのとおりだと思う。
 散歩で行く公園の入口は台風で通行止めだったが、中でジョギング中の人もいた。太陽も人も止められない。

2026年9月21日月曜日

樹の声・海の声

  辻邦生の長篇小説、『樹の声・海の声』。上・中・下3冊に分かれた単行本を買ったのは長野の古書店だった。
 当時、私は北関東信越地区を担当する仕事をしており、長野支店へ行った際に立ち寄った古書店にあった。
 外箱の装丁が凝っていて、中の本の表紙も薄緑色で綺麗な状態だったので、一目で気に入ってすぐに購入した。
 
『樹の声・海の声(上)』(朝日新聞社、1982年)

 上巻の帯の裏を見ると「いままで実在の人物を小説に書いたことのなかった私が、なぜ『樹の声・海の声』において実名を出すだけではなく、実在の資料をそのまま生の形で作品の中に使うのか」と書いてある。
 その記述のとおり、この小説は、明治・大正・昭和を通じて実在した女性の人生をもとに描かれている。

『樹の声・海の声(中)』(朝日新聞社、1982年)

 中巻の帯には「私がほしかったのは、本当の自由。生きるって素晴らしい、と思いたい……」と書かれている。
 主人公の女性の人生を通して、懸命に人生を生きようとする人間の姿を辻邦生は描こうとしたのだろう。
 私は辻邦生が好きで作品をかなり読んだが、一度きりの人生を大切にするというテーマは一貫していた。

『樹の声・海の声(下)』(朝日新聞社、1982年)

 下巻の帯に「燃える恋のあとに知った真実の愛ー パリからワルシャワへ、そして祖国へ。」と書かれているとおり、小説の舞台は日本にとどまらない。
 ヨーロッパで活躍する美しい女性の波乱に富んだ人生が描かれており、読んだ時にとても面白かった記憶がある。
 しかし、原稿用紙3300枚の長篇小説であり、持ち歩きに不向き箱入りの単行本は、今ではあまり流行らない。

 私も再読することはないので、まちライブラリー(注)へ寄贈することした。その方が本にとって幸せだろう。
 (注)知命庵: まちライブラリー(クリックすると飛びます)

雨のリグレット

「雨のリグレット」 youtubeより

 稲垣潤一には雨の歌が多いような気がする。1月投稿の「J's LOVE SONG」(注)ではアルペジオが雨音だった。
  (注)知命庵: J's LOVE SONG (ORIGINAL VERSION)(クリックすると飛びます)

 「雨のリグレット」は1982年発売のデビューシングルで、私が持っていたベスト・アルバムの最初の曲だった。
 曲の中間の「雨の街は 暗い海 記憶の船 運んでゆく」という歌詞のとおり、雨の日の記憶を歌っている。

 台風の影響で今日は一日雨の予報である。雨は記憶をよみがえらせる。どちらかというと悲しい記憶が多い。

永遠の記憶

『永遠の記憶』(文藝春秋、2026年)


 今年7月に亡くなった東野圭吾の『永遠の記憶』。刊行される半月前に亡くなったため、事実上の遺作である。
 人気作家である東野圭吾の作品は何冊か読んでいて、ブックオフでたまたま見つけたので買って読んでみた。
 さすがに読み易く、あっという間に読み終わった。内容については、ネタバレになるのでここには書かない。

 「亡くなることがわかっていて書いたと思う」とある人が話していたが、それはどちらとも言えない気がした。
 メルカリに出品すると、買ったのと同じ値段ですぐに買い手が付いてしまった。さすがは東野圭吾作品である。 

2026年9月20日日曜日

雨に泣いてる(Weeping in The Rain)

「雨に泣いてる(Weeping in The Rain)」 youtubeより

 雨の歌はたくさんあるが、この曲も忘れられない。柳ジョージ&レイニーウッドの「雨に泣いてる(Weeping in The Rain)」。
 'Weeping in the rain  Weeping in the rain Weeping in the rain  Weeping in the rain'のフレーズで始まり、執拗に繰り返される。
 フレーズの合間に短い日本語の歌詞が挟まっているが、'Weeping in the rain'という言葉の繰り返しだけが強く印象に残る。

 雨の中に一人佇んで泣いているというのだから、もちろん失恋の歌だろう。雨がそぼ降る朝にエレキギターが鳴いている。

佐野厄除け大師・惣宗寺 ~ 藤原秀郷ゆかりの場所

佐野厄除け大師の山門

 昨日、8月投稿の川越大師(注1)に続いて、元三大師が祀られている佐野厄除け大師・惣宗寺へ出かけた。
 (注1)知命庵: 川越大師・喜多院(クリックすると飛びます)

 佐野厄除け大師には以前から一度行きたいと思っていて、栃木県在住のM君と会う機会に実現できた。
 早朝に最寄りのJR武蔵野線の駅を出発し、南越谷で東武線に乗り換えて8時30分に佐野市駅に着いた。

 M君と佐野市駅で待ち合わせ、佐野厄除け大師まで10分ほど歩いた。山門から入って右手に本堂があった。
 お参りしてからおみくじを引いたが、川越大師と同様に本来の元三大師のものとは違い、300円だった。
 初詣や土日祝日は混雑するらしいが、平日の朝で空いていた。元三大師云々より厄除けで繁盛している。

藤原秀郷公墳墓

 惣宗寺は藤原秀郷が創建したと伝えられる。藤原秀郷は平将門を討伐した人物で、ゆかりの史跡がある。
 M君の車に乗って、まず藤原秀郷公墳墓へ行った。鳥居があったが、史跡を示す標識は草に隠れていた。
 続いて、藤原秀郷が築城したとされる唐沢山城址へ行った。関東七名城の一つと説明板に書かれていた。

唐沢山城址の入口

 本丸にある藤原秀郷を祀る唐沢山神社にお参りをした。300円のおみくじは、佐野市の相場なのだろうか。
 最後に、佐野市の西隣の足利市の西の端にある鶏足寺まで、車で40分近くかけて連れて行ってもらった。
 鶏足寺の説明板には、平将門の乱に際し藤原秀郷の請いをうけ将門調伐の修法を行ったと書かれていた。

鶏足寺の説明板

 元三大師の縁で佐野厄除け大師へ行ったが、結果的に藤原秀郷ゆかりの場所もを訪ねることができた。
 藤原秀郷も近江と関係がある(注2)。鶏足寺は滋賀県長浜市にもある。長時間運転のM君に感謝したい。
 (注2)『やっぱり滋賀が好き』140~142頁

 なお、元三大師を祀る「関東の三大師」の残る一つは前橋市の青柳大師・龍蔵寺であり、いつか行きたい。

2026年9月18日金曜日

時代

「時代」 youtubeより

 昔の仲間と会合を予定しており、参加できない人とメールのやり取りをしていて「時代」を思い出した。
 1975年の中島みゆきの曲で、明るくて伸びやかなメロディに、自然で歌いやすい歌詞が付いている。
 現在の私の気持ちは、この歌の出だしの部分の歌詞に近いので、次のとおり引用させていただく。

そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう

 誰にでもつらい時はあるが、いつかきっと終わって、振り返ることができる時が来る。蓋し名言である。

2026年9月17日木曜日

絹と明察②

『絹と明察』(新潮文庫、1987年)

 昨日、三島由紀夫の『絹と明察」(注1)を投稿したら、ニューヨーク在住の佐藤さん(注2)からメールが届いた。
 (注1)知命庵: 絹と明察(クリックすると飛びます)
 (注2)知命庵: Disgusting(クリックすると飛びます)

 佐藤さんは文筆家で、猪瀬直樹氏の『ペルソナ 三島由紀夫伝』を元に独自に書き加えた作品を執筆されており、三島由紀夫の小説では唯一『絹と明察』を訳しておられた。
 「どうも読んでおらんような感じ」というご指摘を受けたが、ご明察のとおり、斜め読みしかしていなかった。

 どうも琴線に触れるというか、地雷を踏んでしまったらしい。悔しいので、再読してからもう一度投稿します。

2026年9月16日水曜日

少しだけ回り道

 
「少しだけ回り道」 youtubeより

 昨日に投稿した「Rainy Day Hello」(注)は、昔の恋人が再び出会ってまた別れていくというストーリーだった。
 (注)知命庵: Rainy Day Hello(クリックすると飛びます)

 これから投稿する「少しだけ回り道」はその逆で、昔の恋人が再び出会ってよりを戻すというストーリーである。
 ハイファイセットの曲で、山本潤子の「Ah, Walkin' in the moonlight」という透き通ったボーカルが印象的だ。

 どちらのパターンもあると思うが、雨の日と月夜では人の気持ちに差が出る。やはり、雨より月の方がいい。

絹と明察

『絹と明察』(新潮文庫、1987年)

 三島由紀夫の『絹と明察』。1964年(昭和39)10月に講談社より単行本刊行され、同年度の毎日芸術賞の文学部門賞を受賞した。
 背表紙には「近江絹糸の労働争議に題材をとり、日本的心情と西欧的知性の闘いを描いた長編小説」と書いてある。
 ウィキペディアによれば、近江絹糸の労働争議とは「1954年6月2日から9月16日までの105日間にわたり、近江絹糸紡績(現:オーミケンシ)において発生した大規模な労働争議」とのことである。

 私が高校生の頃には、国鉄(現:JR)のストライキで電車が止まることがあった。最近は「計画運休」で電車が止まるようになったが、時代も変わったものである。 

2026年9月15日火曜日

Rainy Day Hello

「Rainy Day Hello」 youtubeより

 雨の日になると、脳裏に時々よみがえってくる歌がある。須藤薫の「Rainy Day Hello」もそういう曲の一つだ。
 須藤薫は1954年生まれで、1980年代にポップスシンガーとして活躍した。私はたしか姉から教わったと思う。
 「Rainy Day Hello」は1982年発売のアルバム『Amazing Toys』に収録されていて、作詞・作曲は杉真理である。

 歌詞は、昔の恋人が雨の日に久しぶりに出会い思い出の喫茶店でひととき過ごすという、ありきたりなものだ。
 結局、Rainy Day Goodbye といって店を出て別々の傘をさして行くという、ありきたりな結末で終わっている。

2026年9月14日月曜日

彼岸花

彼岸花

 早朝に散歩していると、街路樹のたもとに「彼岸花」が咲き始めていた。もうすぐお彼岸である。
 「彼岸花」は別名を「曼珠沙華」という。秋の季語の「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)について、『日本大歳時記・座右版』(講談社、1983年)には次のような説明がある。

曼殊沙華とは梵語で赤い花の意という。彼岸が過ぎると赤い花はいっせいに消え失せ、茎だけが立ち並び、冬に深緑色の線状の葉を多数叢生するが、翌年の春には枯れる。(中略)「死人花」「捨子花」「幽霊花」「狐花」など、どちらかというと不吉な別名が多いが、この不思議な咲き方と花の色によっているのであろう。

 最後に、山口百恵の「曼珠沙華」を掲載する。サビの歌詞は「マンジューシャカ 恋する女は マンジューシャカ 罪作り 白い花さえ 真紅(まっか)に染める」である。

「曼珠沙華」 youtubeより

2026年9月13日日曜日

三線の発表会

発表会のプログラム

 前回投稿の銀座での所用は、上掲の三線の発表会だった。時事通信ホール2階のステージでやっていた。
 かって職場の知人の女性が三線の演奏をするというので見に行ったが、会場は満席で大変な盛況だった。
 沖縄工芸フェアも一緒に開催していて、何も買っていないのにキャンバス生地の買い物袋をもらった。

もらった買い物袋

 女性が出演した演目①の「なりやまあやぐ」を聴いた後、遅くなるといけないので早々に失礼した。
 自分の好きなことに取り組んでいるのは素晴らしい。紹介されたご主人は優しそうで素敵な方だった。

万年筆のコンバーター

LAMYの青の万年筆
 
 昨日の午後、所用で銀座へ出かけた際、久しぶりに伊東屋へ行って万年筆のコンバーターを購入した。
 私は万年筆が好きで全部で5本持っている。モンブランとパイロットが各1本で、LAMYが3本ある。
 インクは、モンブランがロイヤル・ブルーで、パイロットが赤、LAMYは青、緑、赤の3色である。

LAMYのコンバーター

 モンブランとLAMYの青と緑のインクは、カートリッジではなく、コンバーターを使用している。
 コンバーターはインクを吸い込む必要があるし、手が汚れたりして面倒くさいが、私は好きである。
 LAMYの赤のインクもカートリッジがなくなったので、今回、コンバーターに変更することにした。

LAMYの緑のインク

 「緑のインク」で始まる歌の「メランコリー」(注)のことを店員に話すと、とても面白がっていた。
 (注)知命庵: メランコリーを参照(クリックすると飛びます)

永遠の途中

『永遠の途中』(光文社文庫、2007年)

 「今の自分にピッタリで一気に読んでしまった」と人から聞いて、唯川恵の『永遠の途中』を 読んでみた。
 コバルト・ノベル大賞や直木賞を受賞している著者の文章は読み易く、私もあっという間に読み終わった。
 文庫の著者紹介に「等身大の恋愛小説やエッセイで多くの読者を魅了する」と書いてあるとおりだった。

 文筆作品には、①読者が求めていることを書く、②自分が書きたいことを書く、の二つのタイプがある。
 流行作家は、当然ながら①ができなければならない。私には、②しかできないことはよくわかっている。

2026年9月12日土曜日

思秋期

 
「思秋期」 youtubeより

 早朝にウォークマンを聴いていたら、久しぶりにこの曲が流れて来た。岩崎宏美の「思秋期」である。
 1977年5月のリリースの11枚目のシングルだが、岩崎宏美が『スター誕生』に出ていたのは憶えている。
 「青春はこわれもの 愛しても傷つき 青春は忘れもの 過ぎてから気がつく」という歌詞が心に残る。

 最後は、有名な権中納言敦忠(百人一首43)の和歌で締めくくろうと思う。「愁思」は秋の季語である。

 逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり

邪馬台国の秘密

『邪馬台国の秘密』(光文社、1973年)

 先日に投稿した『日御子』(注1)を教えてくれたKさんが、その続きといって新しい本を教えてくれた。
 (注1)知命庵: 日御子(ひみこ)(クリックすると飛びます)

 高木彬光の『邪馬台国の秘密』である。本が好きでいろいろな本をご存じなので、とてもありがたい。
 この本はカッパ・ノベルスで、廃刊したカッパ・ブックスを思い出した。面白い本が多かったと思う。

 「邪馬台国はどこにあったか」という謎に関する本で、応神天皇は異民族ではないかという話が出てくる。
 実は、昨年11月に「八幡まつり」(注2)を投稿して以来、応神天皇と百済との関係が気になっている。
 (注2)知命庵: 八幡まつり(クリックすると飛びます)

 邪馬台国の場所については高木彬光先生と見解が異なるが、渡来人の話が出てきてとても面白かった。

 紅葉で有名な湖東三山の一つ、百済寺へ行ってみる必要がありそうだ。単に滋賀へ行きたいだけだが。

2026年9月11日金曜日

言葉にできない

「言葉にできない」 youtubeより

 「言葉にできない、英語」を検索すると'beyond words'だった。'beyond description'というのは記憶にあった。
 1982年2月発売のオフコースの「言葉にできない」は、1989年に解散するグループへの別れの曲だったらしい。
 「la la la」で始まり、「あなたに会えて ほんとうによかった 嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない」で終わる。

 一生のうちに出会う人の数は限りない。「会えてほんとうによかった」といえる人がいるのは本当に素晴らしい。 

2026年9月10日木曜日

びわこマスキングテープ

「びわこマスキングテープ」

 先月投稿の「第79回国民スポーツ大会(滋賀県)の切手」(注1)を読み返していて、「びわこマスキングテープ」を掲載してなかったことに気づいた。
 (注1)知命庵: 第79回国民スポーツ大会(滋賀県)の切手(クリックすると飛びます)

 上掲がその現物である。「びわこマスキングテープ」1本と「ヨシメッセージカード」5柄が入って440円である。
 インターネットでも購入できる(注2)ので、手持ちがなくなりかけると5個ぐらいまとめて注文している。

 最近、人から教えてもらって、下記の「DAISOのマスキングテープカッター」に入れて使うようになった。
 手紙を封筒に入れてテープのりで封をして、「びわこマスキングテープ」を貼る時に切るのにちょうどいい。
 マスキングテープが一巡するのを3回に分けて切っている。「ビワコオオナマズ」が出たら大当たりである。

「DAISOのマスキングテープカッター」

 「びわこマスキングテープ」の話をすると興味を持つ人もいて、今までに2回、原価でお譲りしている。
 いずれも妙齢の女性であるが、私は「びわこマスキングテープ」が好きなだけで、受けを狙ってはいない。

東京の「地霊」(ゲニウス・ロキ)

『東京の「地霊」(ゲニウス・ロキ)』(文藝春秋、1990年)

 この本は随分前に読んだが、とても面白かった。都内13カ所にまつわる話を「地霊」としてまとめている。
 4カ所目の『「江戸の鬼門に「京都」があった』は上野公園である。上野公園の北に東叡山寛永寺がある。
 上野は、寛永寺開山堂⦅両大師(注)⦆に祀られている慈眼大師・天海が作ったことはよく知られている。
 (注)知命庵: 両大師を参照(クリックすると飛びます)
    『やっぱり滋賀が好き』の123頁にも書いています   

 天海は、江戸城の鬼門に東叡山寛永寺を建立して比叡山延暦寺の写しとし、不忍池を琵琶湖に見立てた。
 不忍池にある中の島は、琵琶湖にある竹生島の写しとして人工的に作られたと、この本には書かれている。
 したがって、中の島にも竹生島と同様に弁財天が祀られている。竹生島は江の島、宮島(広島)と並んで日本三大弁天と言われるが、一番行き難いと思う。私は大津にいたおかげで全てに行っている。

不忍池(上野恩賜公園・公式ホームページより)

 因みに、2カ所目の『「暗殺の土地」が辿った百年の道のり』は、大久保利通が暗殺された紀尾井町である。
 明治11年(1878)5月、下記の略図の真ん中、現・ホテルニューオータニの前あたりで大久保は暗殺された。
 道路の反対側の現・清水台公園には大久保を哀悼する石碑が立っているが、その理由を知る人は少ない。

『東京の「地霊」』37頁から引用

 私はこの本を読んで現地へ行った。草むらを歩くと小さな蛇が出たが、「地霊」の化身に会った気がした。

2026年9月9日水曜日

あの唄はもう唄わないのですか

「あの唄はもう唄わないのですか」 youtubeより

 私は伊勢正三が好きで何度か投稿している。「あの唄はもう唄わないのですか」は一番好きな唄と言っていい。
 有名な「22才の別れ」に続いて、1975年にリリースされたフォーク・デュオ「風」の2枚目のシングルである。
 「雨が降る日は 近くの駅まで ひとつの傘の中 帰り道」という歌詞の部分が今の季節に合っていると思う。

 一度聴いたら忘れない歌詞とメロディだが、最近はあまり流行らないだろう。でも、私はあの唄を唄い続ける。

式子内親王伝

『式子内親王伝』(朝日文庫、1994年)


 式子内親王は後白河法皇第三皇女で、忍ぶ恋の歌人として名高い。有名なのは百人一首の次の和歌だろう。
 
玉の緒を絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

 先日投稿した『録外録』(注1)の巻末の朝日文庫のリストで、『式子内親王伝』という本があるのを知った。
 (注1)知命庵: 録外録を参照(クリックすると飛びます)

 第一回紫式部文学賞受賞ということよりも、「面影びとは法然」というサブタイトルの方が私は気になった。
 
「法然上人足曳きの御影」(アールクリエーションより)

 上掲の「法然上人足曳きの御影」はこの本にも出てきて、「目のやさしさは印象的である」と書かれている。
 二人の出会いは「法然五十代の、式子三十代の、それぞれ半ばあたり(中略)まさに成熟の年代」であった。
 斎院(注2)を務め結婚が許されない内親王と戒律を守って生涯を送った僧侶は、運命的に出会ってしまった。
 (注2)賀茂神社に奉仕した皇女

 式子が死ぬ前、法然は手紙を受け取るが式子には会わずに返書を出す。この返書がこの本の鍵になっている。
 因みに、瀬戸内海の生口島(注3)に法然と式子に関する伝承があると知った。もう一度行ってみたくなった。
 (注3)知命庵: 瀬戸田(生口島)を参照(クリックすると飛びます)

2026年9月8日火曜日

占領と単独講和

 75年前の1951年(昭和26)9月8日、サンフランシスコ講和条約(正式名称:日本国との平和条約)が調印された。
 翌年4月28日に条約は発効、6年8カ月の占領が終わり日本は独立したが、アメリカ主導による「単独講和」であった。
 講和条約条約締結と同時に、別に日米安全保障条約が締結され、現在に至る日米間の軍事的協力関係が定められた。

『写説 占領と単独講和』(ビジネス社、2006年)

 多くの人に周知のことであるが、私はよく理解できていなかったので、上掲の『写説 占領と単独講和』を購入した。
 「吉田茂は売国政治家か、希代の戦略家か」というサブタイトルが、本件への私の問題意識にピタリ一致していた。
 本著は、『今から振り返ると、吉田の「早期単独講和」の現実的な選択が正しかったといえるだろう』としている。

 一方で、「歴史の偶然、歴史のツキ(幸運)に日本は何度も恵まれた」とし、マッカーサーや朝鮮戦争を上げている。
 そして、「現在の日本を知るためには、やはり、アジア太平洋戦争、占領時代の経緯を振り返る必要がある」と結ぶ。
 確かに、沖縄の米軍基地や核開発・拉致被害者の北朝鮮などの問題は、戦後の状況の中で生まれてきたものである。

「ああモンテンルパの夜は更けて」 youtubeより

 また、7月投稿の安来市加納美術館(注)で触れた日本人戦犯の釈放が当時の流行歌と関係していたことを知った。
(注)知命庵: 安来市加納美術館を参照(クリックすると飛びます)

 渡辺はま子の「ああモンテンルパの夜は更けて」で、この曲のオルゴールがキリノ大統領に献上されたそうだ。
 オルゴールのメロディを聴いたキリノ大統領から、戦犯を釈放するというメッセージが届いたと書かれていた。

 1952年(昭和27)の歌で曲名しか知らなかったが、フィリピンにいた時にモンテンルパへ行っておけば良かった。

2026年9月7日月曜日

秋の雨

日本大歳時記・座右版(講談社、1983年)


 昨日から秋雨が降り続いている。テレビのニュースは大雨の情報ばかりで、交通機関にも影響が出ている。
 「秋の雨」は秋の季語で、『日本大歳時記・座右版』には「春雨と同じく九、十月ごろ、夏・冬の季節風の交替する、定風のない凪の時期に、所々に小低気圧を生じ、そのため曇りがちで小雨の降るような日が続く。じとじとと梅雨のように降り続くことが多いので、秋霖(しゅうりん)とも秋黴雨(あきついり)とも言う」との記載がある。

 秋雨を詠んだ蕪村と一茶の句は次のとおり。

秋雨や水底の草を踏み渡る 蕪村

秋雨やともしびうつる膝頭 一茶
 
 今回は「小雨」ではなく、「線状降水帯」が発生する恐れがある。季節を楽しんでいる場合ではないらしい。

2026年9月6日日曜日

Only the Good Die Young

 
'Only the Good Die young' youtubeより

 先日の投稿で、ジョン・レノンが亡くなったのが40歳だったことを改めて認識し、この曲の連想に繋がった。
 ビリー・ジョエルの'Only the Good Die young'は「善人は早死にする」という諺に似ていると思っていた。
 しかし、歌詞を見ると次のとおり善人であることを否定し、自分に付いてくるよう恋人に呼びかけている。

I'd rather laugh with the sinners than cry with the saints
The sinners are much more fun
You know that only the good die young

 若くして亡くなっても立派な功績を残した人物は多い。中江藤樹は40歳、蒲生氏郷も40歳で亡くなっている。 
 中江藤樹は、11歳の時に志を立て、独学で儒教を学んで「わが国の陽明学の祖」と言われるまでになった。
 蒲生氏郷は、14歳で信長の娘と結婚し、会津で92万石の大名となった。偉人は30年あれば一角の事をする。

 私は、早く死にたくはないが、長く生きればいいとも思っていない。しかし、大した事はできそうもない。

貌言視聴思(中江藤樹)

「貌言視聴思」

 昨日の「吉田カバン」の投稿で、上記の「貌言視聴思」を思い出した。私のカバンには、この紙が入っている。
 「貌言視聴思」は、近江聖人といわれる中江藤樹の「五事を正す」という教えの「五事」の具体的な要素である。
  中江藤樹については、拙著『「びわこ検定」でよみがえる』の第2章と第6章で、2回に分けて書いている(注)。
 (注)「近江聖人」(57~62頁)、「中江藤樹」(220~222頁)を参照

 時間が経ったので細かいことは忘れてしまったが、当時、中江藤樹からいろいろな事を学ぶことができた。
 実は、会社の後輩の女性から結婚披露宴のスピーチを依頼され、「貌言視聴思」を使って話したことがある。
 女性が長岡市出身だったので、長岡藩の幕末の英雄、河井継之助が陽明学派であったことから話を始めた。

 日本の陽明学の祖といわれる中江藤樹に話を転じて、結婚した後も「貌言視聴思」が大切であると説いた。
 「貌」「言」「視」「聴」「思」はそれぞれ大切であるが、特に「思」は心の問題であり難しいという話をした。
 話下手の私にしてはスピーチは思いのほか上手くいって、女性から「両親が喜んでいました」と言われた。
 
 改めて「貌言視聴思」を見ると、良いことが書いてある。最近は忘れていたが、もう一度原点に戻ろう。

2026年9月5日土曜日

吉田カバン

一番古い「吉田カバン」

 私のカバンは全て「吉田カバン」である。ブランドは「LUGGAGE LABEL」と「PORTER」の2種類ある。
 写真の一番古いカバンはニューヨークへ行く前から持っているので40年物だが、今でも十分に使える。
 カバンは8つあって、ポーチからリュックサック、キャリーバック、ガーメントケースまで持っている。

 「吉田カバン」のお店へ行って店員と話をすると、「これ以上もう買うカバンがない」という話になる。
 それにしても「吉田カバン」はよくできている。丈夫だし、ロゴの付け替えを含め修理もしてくれる。
 「吉田カバン」は1935年の設立でもうすぐ100年を迎えるが、店員が自社製品が好きなのがよくわかる。

 「吉田カバン」以外のカバンを持つ気にはならない。もう1つぐらい買ってもいいが、欲しいものがない。