2026年5月17日日曜日

延命寺

延命寺の本堂
 
 延命寺という名前の寺はいろいろな所にあるが、真夏日が予想される中、武蔵野市の延命寺へ自転車で出かけた。
 第二次世界大戦中、中島飛行機工場の真南約200mに位置していたため、境内に爆弾が落ちるなどの被害を受けた。
 檀家に犠牲者が多く、三十三回忌を機に、住職の呼びかけで浄財を集め、1978年に本堂前に平和観音菩薩像が建立された。

平和観音菩薩像(左下は砲弾の破片)

 また、佐竹仙寿丸(秋田藩第5代藩主佐竹義峯の幼名)の銘が入った護摩炉があり、佐竹氏と関係があったと見られている。
 佐竹氏の祖は源頼義の三男の源義光である。義光は、滋賀の三井寺にある新羅善神堂で元服したので新羅三郎と呼ばれる。
 今回は滋賀と関係ないだろうと思っていたが、佐竹氏に由来するものがあると知って、近江とまた繋がってしまった。

護摩炉の説明板

 日本全国各地に滋賀と関係するものはある。それに思いがけず気づいては喜んでいる。近江にはこんな楽しみ方もある。

フレディもしくは三教街

「フレディもしくは三教街」 youtubeより

 さだまさしが51作目のアルバムを発売したとニュースで聴いた。私がさだまさしを聴くようになったのは姉の影響である。
 「精霊流し」で始まる『三年坂』というアルバムを姉が持っていて、その中に「フレディもしくは三教街」も入っていた。
 ライブ・アルバムで、さだまさしは「今までで一番長い曲」と言っていた。上記のyoutubeも、8分21秒かかっている。

 歌の舞台になっている漢口(ハンカオ)には、かつてイギリス、ロシア、フランス、ドイツ、日本の租界があった。
 国際都市・漢口での平和な生活を描いた歌と思って聴いていると、途中からそうではなく反戦の歌だとわかる。
 「あなたさえも奪ったのは 燃えがあがる紅い炎の中を飛び交う戦闘機」という歌詞を聴くと涙ぐんでしまう。

 目的が何であれ、解決手段として戦争をしてはいけない。それは皆わかっているが、始めは別の顔で忍び寄る。 

2026年5月14日木曜日

青葉城恋唄

「青葉城恋唄」 youtubeより

 仙台市在住のI氏とメールのやり取りをしていて、1978年にさとう宗幸が歌った「青葉城恋唄」を思い出した。
 10年ぐらい前にI氏と仙台市の歓楽街・国分町にあったカラオケ・スナックへ行った時、私も歌った記憶がある。
 「時はめぐりまた夏が来て あの日と同じ流れの岸」という歌詞を口ずさむと、また暑い夏がやってきたと思う。

 あと何回、夏を迎えることができるのだろう。季節はめぐり、そのたびに思い出が螺旋階段のようによみがえる。

2026年5月13日水曜日

不実な美女か貞淑な醜女か

『不実な美女か貞淑な醜女か』

 米原万里は「才女」という言葉が相応しい女性だと思う。しかもなかなかの美人である。生前は結構もてたのではないか。
 ロシア語の専門家で、サハロフ博士やゴルバチョフなどが来日した時に通訳を務め、その道の達人として知られている。
 ウィットに富んだ文章を書くのが上手い。上記の本の帯に「井上ひさし氏絶賛」とあるのもわかるような気がする。

 『不実な美女か貞淑な醜女か』(徳間書店、1994年)を古書店で見つけた時、なんてベタなタイトルだろうと思った。
 結論は決まっていると思って手に取ったが、女性ではなく通訳の話だった。「いい訳とは何か」について述べている。
 訳文が整っている場合は美女、ぎこちない訳文である場合は醜女にたとえて、どんな通訳が望ましいか整理している。

 結論は「時と場合によるというの正確な答えだろう」である。図書館への寄贈を考えていたが、再読したくなってきた。

2026年5月12日火曜日

Sacrifice

「Sacrifice」 youtubeより

 久しぶりに英語の歌を投稿することにしたい。エルトン・ジョンが1989年にリリースした「Sacrifice」である。
 当初は全英55位だったが、ラジオで話題になり1990年に再リリースされ、彼のソロとして初の全英1位となった。
 私は、長野に出張した際に中古ショップで『Love Songs』というCDをたまたま購入して、この曲の存在を知った。

 美しいメロディとともに「no sacrifice」が繰り返される。失恋の歌だと思うが、犠牲ではなかったということか。 

2026年5月11日月曜日

鴨稲荷山古墳

鴨稲荷山古墳

  鴨稲荷山古墳は滋賀県高島市の安曇川駅を西へ出て、真っすぐ南へ下り鴨川を越えてすぐの右手に横たわっている。
 一昨日、針江に泊まっていた私は早朝に宿を出て新旭駅から6時前の湖西線に乗り、一つ京都寄りの安曇川駅で降りた。
 そこからは以前に歩いたことがある。拙著『やっぱり滋賀が好き』で書いたとおり、10年前に古墳の手前まで行った。

石棺(実物)

 実際に古墳のそばへ行くと、道路わきに盛り上げられた土の上にプレハブが建っており、その中に実物の石棺があった。
 窓ガラス越しにしか見ることができないが、それでも迫力がある。やはり現地を見なくてはいけないと改めて思った。
 埋葬されていたのは三尾氏の族長ではないかと言われている。現在も、安曇川駅から古墳までに三尾里という地名がある。

胞衣塚

 鴨川を渡る手前の右手に、継体天皇が生まれた際の胞衣(赤ちゃんを包む膜・胎盤など)を埋めたと伝わる胞衣塚があった。
 10年前も来たが、キャリーバッグを引きずっていたのでそばまで行けなかった。今回近くまで行くと、説明板が立っていた。
 継体天皇は高島で生まれたとされており、母親の振姫が妊婦の時に座った「もたれ石」や父親の「田中王塚古墳」がある。

副葬品(複製)

 宿に戻り朝食を食べチェックアウトして再び安曇川駅に来た。今度は東側の「中江藤樹・たかしまミュージアム」へ行った。
 藤樹神社の横にあり以前は藤樹関連の資料館だったが、昨年6月のリニューアル・オープン後は古墳の副葬品が展示されている。
 古墳の発見は明治35(1902)年であり、朝鮮半島の影響を受けた純金製の宝冠、耳飾り、靴などの豪華な副葬品が出土している。

 今回、10年越しでやっと鴨稲荷山古墳と副葬品を見ることができ、古代のロマンに想いを馳せた。近江は本当に素晴らしいと思う。

2026年5月9日土曜日

針江・生水の郷

針江の「かばた」


 昨日、広島から東京への途中で滋賀に立ち寄り、高島市新旭町にある「針江・生水(しょうず)の郷」を見学した。
 針江では湧き水を生活用水に使っており、「かばた」と言われる。上記の池の中にいる鯉が残飯等を処理してくれる。
 20年近く前に大津で仕事をしていた時に行きたかったが都合が付かなかったので、今回で漸く実現したことになる。

 見学後は近くの「ラシーヌホーム針江」に泊まった。生水を使ったお風呂に浸かりながら自分が鯉になった気がした。

針江地区の水路



 

2026年5月7日木曜日

初恋

「初恋」 youtubeより

 今日はいいお天気だが、そのうち雨も降るだろう。今回は「五月雨は」で始まる村下孝蔵のヒット曲「初恋」である。
 1983年2月発表だから社会人になった頃である。広島出身とばかり思っていたが、今回調べていて熊本生まれと知った。
 「ゆうこ」や「踊り子」といった報われない恋の歌が多く、もてない男としてシンパシーを感じることが少なくなかった。

 「放課後の校庭を走る君がいた」という歌詞には既視感(デジャブ)を感じる。まるで自分が校舎から見ていたような。

2026年5月5日火曜日

府中町

  私の広島の家は安芸郡府中町にある。府中町は広島県西部安芸地方にあって、周囲を広島市に囲まれた飛び地である。
 バスで広島市中心部から30分、JR広島駅から20分足らずで、その間にマツダスタジアムとイオンモールがある。
 私は小学校4年から高校3年までの9年間を過ごしたが、大学進学で東京へ行ってから、東京暮らしが長くなった。

府中町のホームページより

 最近、府中町が市になることを検討しているとニュースで耳にした。人口は5万人を超えているので可能らしい。
 府中市は既に東京都と広島県東部備後地方にあり、それだけでも異例なので、安芸府中市とでもするのだろうか。
 府中町にはマツダの本社とキリンビールの工場(現在はイオンモール)があり、広島市とは合併してこなかった。

 それはともかく広島の家の方がのんびりできる。もうじき東京に戻るが、しばらくしたらまた帰省するだろう。

2026年5月3日日曜日

瀬戸田(生口島)

瀬音山から向上寺三重塔を望む

 昨日、瀬戸内海の瀬戸田(生口島)へ行った。しなまみサイクリングロードは大変なので三原港から船に乗った。
 最初に、向上寺三重塔を見に行った。瀬戸田港を見下ろす瀬音山にあって国宝であるが、訪れる人は少なかった。
 その後桟橋近くでランチにしようとしたが、人から教えてもらった店がカフェだけだったので商店街へ向かった。

向上寺三重塔の説明板

 商店街にあるアオリイカの刺身や天ぷらのお店へ行くと、11時オープンから5分しか経っていないのに満席だった。
 30分近く待って食べた定食は美味しかった。それから商店街を奥へ進んで平山郁夫美術館へ行って港に戻った。
 耕三寺へは行かなかった。ヒジャブをかぶったイスラム教の女性を見かけたので、人気の場所があるのだろう。

三原港

 生口島へ船で行けるとわかったので、次の機会には輪行して多々羅大橋を渡り大三島まで行けるかもしれない。

2026年5月1日金曜日

空へ

「空へ」 youtubeより

 「ぼんやりと浮かんだ雲のように さまよいたいと思った頃から」で始まるこの曲は、カルメン・マキの「空へ」である。
 1977年の発売というから私は高校3年だった。大学受験を控えて、そろそろ勉強にも疲れてきた頃だったのだろう。
 2巡目の「あんたの好きなように生きて行けばいいと すりきれたレコードおまえのブルース」という歌詞が好きだ。

 今も道に迷った時、この歌を思わず口ずさむ。自分の好きなように生きていけばいいし、生きていく以外にはない。 

2026年4月22日水曜日

沙沙貴神社

 昨日、所用があって広島から滋賀県の安土まで出かけた際、安土駅の南にある沙沙貴神社に立ち寄ることができた。
 駅から南へ15分ほど歩くと東参道があり、そこから境内に入って楼門へ回り拝殿の左横を抜けて本殿でお参りをした。
 沙沙貴神社は近江源氏である佐佐木源氏一族の氏神として敬拝されており、全国の佐々木姓の始まりとされている。

沙沙貴神社の楼門

 近江の守護大名で観音寺城を居城としていた六角氏は佐々木源氏であり、観音寺城の戦いで信長に敗れている。
 また、鎌倉時代末期から南北朝時代に婆娑羅大名として活躍した佐々木道誉も佐々木源氏の京極氏の出身である。
 「沙沙貴神社 参拝 ご案内」によれば近江源氏祭が斎行されており、佐佐木源氏一族が全国から参集するらしい。

 水田が広がるのどかな風景の中にこんなに由緒のある神社があるところが、いかにも近江らしくていいと思う。

2026年4月20日月曜日

似島(安芸小富士)

似島行きフェリー


 昨日、広島湾にある似島へ出かけた。広島港へは自転車で1時間足らずで、駐輪場に置いて8時30発の似島行きフェリーに乗った。 
 フェリーは想像していたよりも大きく、乗客は30人ほどだった。日曜日だったのと有人島なので住民も利用しているのだろう。
 20分で島の西側の似島港に着いて、安芸小富士に登った。狭い路地の間を抜けると登り口があり、急な上り坂が続いていた。

山頂から広島港を望む

 山頂までは1時間ぐらいかかった。途中で道を間違えそうなところもあったが、家族連れが先を歩いていたので助かった。
 お弁当を食べてすぐに下山を始め、似島学園方面は道が悪いというので、ユーハイム似島歓迎交流センター側へ下りた。
 もともとそこが目的地で島の東側の学園前桟橋からの方が近いが、13時20発の広島港行きまで時間が空くので登山をした。

ユーハイム似島歓迎交流センター

 旧・広島市似島臨海少年自然の家だったものを2024年4月にリニューアルしており、バウムクーヘン作りを体験できる。
 野外炊飯、キャンプファイア、海カヌー、フィールドゲーム等もでき、当日もダンス・スクールの子供達で一杯だった。
 ユーハイムが第一次世界大戦後にドイツ人捕虜としていた似島は、日本のバウムクーヘンの発祥の地とされている。

購入したバウムクーヘン

 ユーハイム似島歓迎交流センターでバウムクーヘンを購入したが、バウムクーヘン作りを体験する気は今のところない。

2026年4月17日金曜日

しまなみ海道サイクリングロード

因島大橋(因島側から)

 昨日、快晴の空の下、「しまなみ海道サイクリングロード」へ出かけた。JRで自転車を輪行して簡単に行けると思っていた。
 最寄りのJR駅から始発に乗って、糸崎で乗り換えて尾道駅に午前7時半頃に着いた。駅前で輪行袋から自転車を取り出した。
 駅のそばの桟橋から向島へ渡船に乗ったが、通学時間帯で生徒で満員だった。向島にある尾道学園の生徒だったのだろう。

「はっさく屋」の「はっさく大福」

 サイクリングロードを因島に向かったが、高速道路と違って海岸近くを走るので因島大橋の入口まで1時間ぐらいかかった。
 高いところにある橋まで緩い坂のサイクリングロードを上った後、因島大橋も1270mあるので渡るだけでも一苦労だった。
 橋を渡って因島側のサイクリングロードを下り、レストハウスの「はっさく屋」に着いた時には10時近くになっていた。

因島大橋の手前にある「しまなみ海道サイクリングロード」の説明板

 「はっさく屋」で「はっさくソフト」と「はっさく大福」と持参した弁当を食べた。この先へ進むのは無理なので帰ることにした。
 因島大橋を再び渡って、向島の海岸を来たのと同じ道をひたすら走った。後輪の空気圧が減っていたのでペダルが重たかった。
 道を間違えて別の桟橋になったが、12時前に尾道駅に帰ることができた。因島の先の大三島まで行くつもりだったが甘かった。

 輪行袋はこの日のためアマゾンで購入したが、今回で小さな穴が開いてしまった。大三島へは改めてチャレンジしたいと思う。

「糸」 youtubeより

 先日、NHKの番組で中島みゆきのリクエスト特集を放送していた。たくさんの有名な曲の中に「糸」も入っていた。
 1998年2月のリリースでテレビドラマの主題歌に使用されている。テレビドラマを見ない私は後からこの曲の存在を知った。
「なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない」で始まる歌詞は全くそのとおりだと思う。

 一方で、なぜ別れたか、いつ別れたかは、知っているし憶えている。そうならないためにはそうなりたくない人とは別れないようにするしかない。

2026年4月10日金曜日

広島港

広島港から似島を望む

 昨日、小雨の降る中、市内中心部から広島電鉄に乗って広島港まで出かけた。久しぶりで前回がいつだったか思い出せない。
 広島港は第二次大戦中は「宇品」と呼ばれ、多くの兵士が大陸へ向けて出征した一方で、戦後は多くの兵士が復員した。
 「安芸小富士」と呼ばれる似島も陸軍の検疫所があったことから、原爆投下後は1万人とも言われる被災者が運び込まれた。

「広島みなと公園」の案内板

 私が広島港へ行ったのは、近くにあるヤマネホールディングス株式会社を訪問して、山根会長とお会いするためである。
 港の周辺は「広島みなと公園」として整備されている。山根会長の話では貯木場もあったというが風景は一変している。
 全てのものは変化することが避けられず、チャレンジ精神を持って変化に対応しなければ企業が存続することは難しい。

 山根会長の「今を生きる」という言葉が印象に残った。その言葉を励みにして、私ももう少し頑張ろうと思う。

2026年4月8日水曜日

日浦山

日浦山の山頂

 今日は朝から天気が良かったので、家の近くの日浦山の登山に出かけた。旧山陽道の坂を下って徒歩で30分ほどかかった。
 大師寺が入口になっていて墓地の階段を上りながらBコースの登山道に入った。345mだが海抜0mからなので結構きつかった。
 特に最後の岩場はなかなか大変で1時間半かかってやっと頂上に着いた。山頂からは広島湾が一望でき、遠くに宮島も見えた。

山頂からの眺め

 帰りは別ルートのAコースで下山することにしたが、途中で道を間違えてしまった。谷の方へ下って道がわからなくなった。
 尾根に上ろうとしても勾配がきつくて上手くいかない。やっとのことで登山道に戻ることができた時は正直ほっとした。
 「ひまわり観音」がある薬師禅寺で登山口を出て、旧山陽道を歩いた。江戸時代には街道筋だったが今は見る影もない。

 登山道には「猪などの野生動物に注意」という看板があったが、野生動物だけでなく登山する人にも全く会わなかった。

2026年4月4日土曜日

伊都国歴史博物館

 
「伊都国歴史博物館」の入口の銅鏡(複製)

 福岡県糸島市在住の知人K氏を訪ねた機会に、「伊都国歴史博物館」に行った。魏志倭人伝の「伊都国」は糸島に比定されている。
 車がないと不便な場所にあり、行きは筑肥線の周船寺駅から歩いて1時間半近くかかった。重いリュックが影響したかもしれない。
 10時半頃について隣接する「ファームパーク伊都国」でお弁当を買い、博物館の4階の展望スペースで食べてしばらく昼寝をした。

展示されている内行花文鏡の一つ

 博物館の近くに「平原遺跡」があり、昭和40年(1965)に伊都国の王墓から、銅鏡40枚、鉄刀1本、勾玉などが出土している。
 その中には直径46.5cm、重さ約8kgの内行花文鏡5枚が含まれており、日本最大の銅鏡として国宝に指定されている。
 先日投稿した銅鐸博物館の「野洲市歴史民俗博物館」と比べれば、「伊都国歴史博物館」は銅鏡博物館と言ってもいいだろう。

「伊都国歴史博物館」

 コミュニティバスが午後から走っているので、帰りは周船寺駅までそれに乗った。苦労して行っただけの価値はあった。


2026年4月2日木曜日

風のように

 
「風のように」 youtubeより

 私は大容量ハードディスクのウォークマンを持っている。300枚ほど持っていたCDをそれに録音してから売却した。
 今回の広島への帰省の際にはノートパソコンを持って行く必要があったので、さらに重くなるウォークマンは諦めた。
 何か歌が聴きたくなりブックオフで購入した小田和正の『自己ベスト』の14番目に「風のように」は収録されている。

 「あの風のようにやわらかく生きる君が はじめて会った時から誰れよりも好きだった」という歌詞を今日も聴いている。

2026年3月30日月曜日

平和記念公園

原爆ドーム


 昨日は天気が良かったので、平和記念公園へ出かけた。バスで広島駅へ行き、広島電鉄に乗り換えて「原爆ドーム前」で降りた。
 午前9時を少し過ぎたばかりだったが、多くの観光客が来ていた。外国人も多く、ブラジルの国旗を掲げたグループもいた。
 ソメイヨシノが満開になっていて、桜の樹の下で場所取りをしている人や川沿いの桜並木で花見をしている人達もいた。

川沿いの桜(真ん中にカワウがいる)

 最近、広島平和記念資料館で、被爆の実相と平和への願いを伝える被爆者の証言ビデオが新たに展示されたと聞いた。
 現実ではイランでの戦争が続き、罪のない子供たちが亡くなっている。全ての戦争が一刻も早く終わることを祈る。

2026年3月25日水曜日

銅鐸博物館

銅鐸博物館で買った銅鐸のレプリカ

 滋賀県の野洲市歴史民俗博物館は通称「銅鐸博物館」と呼ばれている。出土した銅鐸に加え、復原された銅鐸がたくさん展示されている。
 野洲市の大岩山からは明治14年(1881)に14個、昭和37年(1962)に10個、計24個の銅鐸が出土しており、島根県の加茂岩倉遺跡の39個に次ぐ第2位である。
 明治14年に出土した中に日本最大の銅鐸があり、東京国立博物館が所蔵している。銅鐸には近畿式と三遠式の2種類があり、銅鐸博物館は両方を展示している。
『「びわ湖検定」でよみがえる』209頁から

 拙著『「びわ湖検定」でよみがえる』で書いたとおり、近畿式銅鐸分布域と三遠式銅鐸分布域は琵琶湖のあたりで両者が重なっている。
 銅鐸は祭祀用の道具と考えられている。2種類の銅鐸は異なる文化を示しており、邪馬台国と狗奴国の存在と関係があるのではないだろうか。
 私には、「いぬ」を意味する狗奴国の「狗」と、多賀大社のある犬上郡の古代の氏族「犬上氏」が繋がっているような気がしてならない。

 上記については、拙著『やっぱり滋賀が好き』の多賀大社のところで触れている。興味のある方は是非ご覧いただきたい。 

2026年3月24日火曜日

楽園のDoor

 
「楽園のDoor」 youtubeより

 来生たかおが作曲し、南野陽子が歌った「楽園のDoor」。映画『スケバン刑事』の主題歌としてヒットしたらしい。
 私は主題歌だったことを知らず、来生たかおのセルフカバーでこの曲を知った。映画との関係はよくわからない。
 「人の波にまきこまれて 遠回りでもかまわないわ 一歩ずつ強い優しさに 近づいてゆきたい」という歌詞が好きだ。

 昔のアイドルは綺麗な人が多かったが、沢口靖子と南野陽子は別格である。彼女のバージョンも載せることにしよう。

南野陽子の「楽園のDoor」 youtubeより

茗荷谷

 昨日、中央大学法学部の教授をしている友人を訪ねて茗荷谷へ出かけた。今まで茗荷谷へは行ったことがなかった。
 約束した時刻より早く行き、まず小石川植物園を訪れた。播磨坂を下って20分ほどかかったが、月曜日で休園だった。

小石川植物園の入口

 続いて植物園沿いの道を歩き簸川神社へ行った。石段を上って高台の拝殿にお参りをしたが、社務所がお休みだった。

簸川神社の由緒書き

 仕方ないので、茗荷谷駅へ戻ることにして占春園に立ち寄った。陸奥守山藩松平家の上、中屋敷の庭園の名残りである。

占春園の説明板

 そのまま「教育の森公園」へ入った。旧東京教育大跡地であるが、明治36年の東京高等師範学校が始まりである。

「教育の森公園」の説明板

 駅の東側はわかったので、最後に西側の茗荷坂を下って拓殖大学の東門の傍にあったのが下記の茗荷谷の説明板である。

茗荷谷の説明板

 駅に戻り喫茶店で少し時間を潰して、中央大学の1階ロビーへ行った。卒業式の日で晴れ着の女子大生などで賑わっていた。
 時刻通りに友人が現れて教授の部屋で話をしてから、校内を一通り案内してもらい、その後、駅地下の蕎麦屋で飲んだ。
 茗荷をたくさん食べると物忘れになると言うが、さして用事のない私に付き合ってくれた友人を忘れることはないだろう。

2026年3月23日月曜日

One More Cup of Coffee

 
「One More Cup of Coffee」 youtubeより

 ボブ・ディランといえば有名な曲が他にもあるが、私はアルバム『Desire』に収録された「One More Cup of Coffee」が好きだ。
 1976年リリースだから高校生だったが、ラジオから偶然流れてきた曲が耳に残った。それ以来、珈琲が飲みたくなると思い出す。
 フォルクローレ風のメロディに「One more cup of coffee 'fore I go to the valley below」という歌詞がどこか物悲しく聴こえる。

  さあ今日も用事がある。少し気が重いが出かけよう。でもその前に、「One more cup of coffee 'fore I go」と言わせくれ。

2026年3月22日日曜日

まちライブラリー

まちライブラリーの入口

 本日、初めて図書館に本を寄贈した。図書館といっても、西東京市の「MUFG PARK」の中にある「まちライブラリー」である。
 「まちライブラリー」は、本棚を置くだけで始められる活動として、まちのカフェ、お店、自宅、オフィスなどに広がっている。
 「MUFG PARK」は企業CSR事業であり公園の中に「まちライブラリー」がある。寄贈は本にコメントを書くだけで簡単にできた。

 本は読者がいなければ存在価値がない。読まれない本は可哀そうである。寄贈して誰かに読んでもらえる方が本は喜ぶだろう。

2026年3月20日金曜日

HANABI

 
「HANABI」 youtubeより

 ミスター・チルドレンの曲はドラマの主題歌によく採用されている。2016年もNHKの朝ドラ「べっぴんさん」の主題歌だった。
 その朝ドラの特集番組で、別のドラマの主題歌として紹介された「HANABI」を聴いたと思う。ドラマは両方とも見てはいない。
 「めぐり逢えたことでこんなに 世界が美しくみえるなんて 想像さえもしていない 単純だって笑うかい?」という歌詞がいい。

 「もう1回 もう1回 何度でも君に逢いたい」に続く部分である。そんなふうに思う人がいるなら大切にしないといけないと思う。

ストラップ・ハンガー

左側がストラップ・ハンガー


 動かなくなっていた腕時計が修理されて戻ってきた。写真の右側である。左側はほぼ同じだが、文字盤が右に15度傾いている。
 買った時、ストラップ・ハンガーと名前が付いていた。ストラップ(つり革)につかまった時に見やすいという洒落である。
 35年前、マンハッタンのリゾーリ書店で買った。1984年の映画『恋に落ちて』の舞台だったが、現在は場所が変わっている。

 秒針がないのも気に入っている。これで二つの腕時計がまた揃った。昔からの友達に再び出会えたみたいで、とても嬉しい。
 

2026年3月19日木曜日

今は、このまま

 
「今は、このまま」 youtubeより

 ビリーバンバンの曲は焼酎「いいちこ」のCMに使われている。この曲も2001年~2004年のCMで流れていた。
 「もう会えないけれど」から始まって「この恋いつの日かかなうなんて ひとり信じてたの」で2巡目は終わる。
 「今は、このまま」はまずCM曲として使用され、その評判が良くて2002年2月にリリースに至ったそうである。

 どんな出会いにもいつか別れがくることがある。なんだか久しぶりに「いいちこ」が飲みたくなってきた。
 

2026年3月18日水曜日

SUV(スポーツ・ユーティリティ・ヴィークル)

 ディーラーの店舗へ車検に行って来た。ターボ付きセダンからハイブリッドのSUVに買い換えて5年になる。
 SUVといってもコンパクト・タイプで面白味のない車だと思っていたが、結果的には運搬車として活躍した。
 また、後部座席を前に倒すと、前輪を外したクロスバイクを載せることができるのも魅力の一つだった。

車に載せたクロスバイク

 今回、車検に2時間かかると言われたので、クロスバイクに乗ってディーラーから外出することを考えた。
 久しぶりに前輪を外したが、思ったより簡単だった。1台だけなので後部座席の一部を倒せば十分だった。
 ディーラーの店舗で前輪をはめるのも問題なくできたので、少し離れた図書館へ行って時間を潰した。

 これまでクロスバイクで長時間走っていたが、これからは車に乗せて出かけるのもいいかもしれない。

オール・バイ・マイセルフ(All by Myself)

 
「オール・バイ・マイセルフ」 youtubeより

 1975年12月にエリック・カルメンが発表した「オール・バイ・マイセルフ」。それから50年経ったが記憶に残る。
 最初"When I was young, I never needed anyone."で始まり、最後は"All by myself, don't wanna be."で終わる。
 1996年10月にセリーヌ・ディオンがカバーして脚光を浴びた。迫力がすごいので、彼女のバージョンも掲載する。

セリーヌ・ディオンの「オール・バイ・マイセルフ」 youtubeより

 「ひとりぼっちで生きていく」ことはもう嫌だと嘆いているが、人生とは所詮そういうものかも知れない。

2026年3月17日火曜日

古代の地域支配と渡来人

 昨年11月に写真の『古代の地域支配と渡来人』(吉川弘文館、2019年)を購入し、少しずつ読んでいる。
 『継体天皇と即位の謎』《新装版》(吉川弘文館、2020年)を読んでから、著者の大橋信弥氏のことを知った。
 大橋信弥氏は立命館大学大学院文学研究科修士課程修了で、滋賀県立安土城考古博物館学芸課長を務めていた。

『古代の地域支配と渡来人』(吉川弘文館、2019年)

 定価が12,000円(税前)と高価であり手頃な中古本もなかったので、まず図書館で借りてみることにした。
 蔵書が近くの市立図書館にはなかったが東京都立図書館にはあったので、市立図書館経由で貸し出しを依頼した。
 2週間ほどで届いた本の目次を見て、即座に購入することに決めた。最近購入した本の中では一番高い本である。

「近江古代豪族分布図」

 第一部は「近江の古代豪族と大和王権」、第二部は「近江の渡来人と文字資料」で、私の関心と一致している。
 専門的で難しい本であるが、他では見たことがない「近江古代豪族分布図」や古代豪族の系図も掲載されている。
 古代豪族が壬申の乱によってどのように影響を受けたのかについての考察もあって、とても興味深い内容である。

 近江の古代を語るには渡来人の存在が欠かせない。やっぱり滋賀は面白い、私の興味は深まるばかりである。

2026年3月16日月曜日

遅すぎたラブソング

「遅すぎたラブソング」 youtubeより

 「とんぼちゃん」というグループ名の男性フォークデュオが歌った「遅すぎたラブソング」という曲である。
 1980年2月の発売なので大学生だったが、大学へあまり行かずパチンコ屋の有線で流れるのを聴いていた。
 誰の曲かわからなくなっていたが、インターネットで歌詞から検索して「とんぼちゃん」だとわかった。

 「やさしさなんて口にするけど 誰れも本当の意味は知らない」という歌詞は、今でもその通りだと思う。

明治神宮

明治神宮境内の「五箇条の御誓文の説明」①


明治神宮境内の「五箇条の御誓文の説明」②

 昨日、代々木で用事があった機会に明治神宮に立ち寄った。まだ午前9時前だったが、結構な人が来ていた。
 明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を御祭神として大正9年(1920)に創建されており、その歴史は100年ほどである。
 また、おみくじに吉凶はなく、「大御心」として明治天皇または昭憲皇太后がつくられた和歌が書かれている。
 
おみくじ

 外国人観光客が多かったが、普通の神社との違いは知っているのだろうか。散歩にはいい場所だとは思うが。
 因みに、滋賀県大津市にある近江神宮は天智天皇を御祭神としているが、昭和15年(1940)の創建である。
 この点について興味のある方は、拙著『やっぱり滋賀が好き』の「天智天皇」(p126,127)と「漏刻」(p130,131) をご覧いただきたい。

2026年3月15日日曜日

真夜中のドア~Stay with Me

「真夜中のドア~Stay with Me」 youtubeより

 いい曲は一度聴いたら忘れられない。松原みきの「真夜中のドア~Stay with Me」もそんな曲の一つである。
 1979年11月のリリースだが、20年ぐらい経って聴きたくなって上記のジャケットのアルバム(CD)を購入した。
 2020年にリバイバルヒットした時、「何をいまさら」と私は思った。それぐらい完成された曲で全く色褪せない。

 「stay with me...真夜中のドアをたたき」というサビの部分を聴くと、思わず鼻歌で歌わずにはいられない。

2026年3月14日土曜日

ニッキューナナ

 
「ニッキューナナ」 youtubeより

 男女お笑いコンビの「ニッキューナナ」をご存じだろうか。始めにお断りしておくが、彼らのお笑いは下ネタである。
 最近はお笑い番組を見なくなった。笑点は全然面白くないし、M-1グランプリなどはどこがいいのかよくわからない。
 「ニッキューナナ」はyoutubeで偶然見たのが始まりである。女性メンバーの「こっちゃん選手」も何気に可愛い。

 下ネタでもギリギリ許される範囲内と思うが、地上波で見ることはないだろう。下ネタの嫌いな方はすみません。

朝方ムーンライト

 
「朝方ムーンライト」 youtubeより

 早朝に散歩していると有明の月が見えることがある。そんな時、「朝方ムーンライト」という曲が頭に浮かぶ。
 1981年7月にリリースされたサザンオールスターズの4枚目のアルバム『ステレオ太陽族』に収録されている。
 「つれない思いが アナタにわかるの?」で始まる歌詞を口ずさみながら、大学3年生だった当時を思い出す。

 あれから45年も経つのに精神的にあまり成長していない気もする。わが身を嘆くのは学生の頃と変わらない。

2026年3月13日金曜日

球形の荒野

『球形の荒野』(文春文庫、2010年)

 松本清張の『球形の荒野』を読んだ。読書家のK氏から少し前に教えてもらってすぐに買ったが、そのままになっていた。
 読み始めると面白くて一気に読んでしまった。半藤一利氏の解説にあるとおり、清張の「筆に脂がのって」いたのだろう。
 ネタバレになるので詳しく触れないが、半藤一利氏は「日本の現代史の知られざる裏面が活写されている」とも書いている。

 本が好きな人は人口の1割程度いるらしい。メルカリで売るのがもったいないので、本好きのAさんに差し上げることにした。

大近江展

大近江展の葉書
 
 滋賀県大津市に本社がある株式会社比叡ゆば本舗ゆば八の八木監査役から大近江展の葉書をいただいた。
 日本橋高島屋で開催されていて、葉書と交換で商品をいただけるというので、昨日の午後に行って来た。
 会場は多くの人で賑わっていた。近江牛の弁当や鮒ずしの他に、滋賀関連の書籍や大津絵も販売されていた。

 因みに、高島屋は滋賀県高島市出身の飯田新七が京都で始めた古着木綿商がルーツであり近江商人である。

葉書と交換でいただいた商品




2026年3月12日木曜日

コブのない駱駝

 
「コブのない駱駝」 youtubeより

 「帰ってきたヨッパライの」のヒットで有名なザ・フォーク・クルセダーズが歌った「コブのない駱駝」を投稿する。
 1968年3月の発売であり、小学校低学年だった私はリアルタイムでは聴いていない。大人になってからラジオで聴いたと思う。
 3つの動物が自分のみにくさを嘆きアラーの神に祈る。「コブのない駱駝」は馬、「鼻の短い象」は「河馬」だと言われる。

 痛烈な皮肉が込められているが、3番目の「立って歩く豚」は何かおわかりだろうか。興味のある方は曲を聴いてください。
 

2026年3月11日水曜日

白いページの中に

「白いページの中に」 youtubeより

 「白いページの中に」という曲をご存じだろうか。シンガーソングライターの柴田まゆみが1978年8月にリリースしている
 同年のポプコンつま恋本選会入賞曲で、ラジオ番組の「コッキーポップ」のテーマに採用されて当時よく流れていた。
 「長い長い坂道を 今登ってゆく」という歌詞から始まる旋律が私はとても好きで、今でもたまに口ずさむことがある。

 柴田まゆみの唯一のシングルでこの曲をリリースした後は引退したとわかったが、いい曲が1曲あれば十分だと思う。

2026年3月10日火曜日

針のない時計

「針のない時計」 youtubeより

 この曲は歌詞の一部がメロディーとともに記憶に残っていたが、長い間、誰の何という曲かわからなかった。
 インターネットは便利なもので、歌詞で検索するとレインという男性デュオの「針のない時計」だとわかった。
 大学を留年していた1982年11月のリリースだった。メンバーで作曲した国安修二のCDがあったので購入した。

 覚えていたのは2巡目の「東横線は二度と夢を運ばないさ」という部分で、「針のない時計」は記憶になかった。
 


 

2026年3月9日月曜日

蒸気機関車

蒸気機関車(正面)

 公園に廃車になった蒸気機関車が展示されている。土日だけ公開されているので、昨日は傍まで行くことができた。
 その存在感は圧倒的で、側面から見るとまだ動きそうな気がする。一昨日の土曜日は特別展示で煙を吐いていた。
 SLファンだけでなく、何故か子供たちには絶大な人気がある。お母さんも乳母車に幼児を乗せて見物に来ていた。

 現役を引退しても人気がある蒸気機関車が何だか羨ましい気がしてきた。もっとも私には煙を吐くことはできないが。

蒸気機関車(側面)