ラベル New York の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル New York の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年5月28日木曜日

Suck it up!

 久しぶりにニューヨークの思い出を投稿したくなった。35年前、私はJETRO N.Y. 事務所で働いていた。
 先日、実家を整理していて当時の写真を見つけた。右がミシェル、左がクリスティーンで、真ん中が私である。
 ミシェルは昨年10月に投稿した「知命庵: Grandpa Kuma」(クリックすると飛びます)に登場している。

35年前のJETRO N.Y. 事務所で

 実はもう一人、仲が良かったのがクリスティーンで、写真を見てのとおり、二人ともとても可愛かった。
 昨年11月投稿の「知命庵: Disgusting」(クリックすると飛びます)に登場した佐藤さんも一緒に飲んだ。
 彼らが話す英語に付いていけない私に、クリスティーンが'Suck it up!'「飲め!」と言ったのを憶えている。 

寄せ書きの表紙

 JETRO N.Y. 事務所にいたのは約1年だったが、帰国の際に特大(縦43cm、横55cm)の寄せ書きをもらった。
 'Is there some way you can leave without going away?' とあって、多くの同僚のメッセージが書いてある。
 因みに、ミシェルとクリスティーンのメッセージは次のとおりで、クリスティーンの真面目な性格が出ている。
  ミシェル:So long and suck it up.
  クリスティーン:Judging by the number of people who signed this card, it's obvious everyone at JETRO enjoyed working with you - me included! I wish you the very best - See you again soon.
  
 クリスティーンはその後日本語教師をしていたが、音信不通になった。いつか連絡が付くことを願っている。

2026年1月18日日曜日

オペラ座の怪人

 私は35年前の1990年4月から1991年4月までの1年間、中小企業金融公庫(現在の日本公庫)からJETRO New Yorkへ派遣されていた。
 ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルの米国予算に関連する記事を読んで、通商弘報の記事を書いていた。
 当時のニューヨーク観光の目玉といえばブロードウェイ・ミュージカルで、その中でも『オペラ座の怪人』が有名だった。

『オペラ座の怪人』 youtubeより

 派遣元の同期の女性2名がアメリカ旅行のついでにニューヨークに立ち寄ってくれた時、『オペラ座の怪人』を一緒に見た。
 筋書きも知らないまま席に座っていたが、この音楽だけは印象に残った。唄っていたのはサラ・ブライトマンではなかったと思う。
 『オペラ座の怪人』は1988年にブロードウェイで開幕し、2012年に公演1万回を達成して、2023年に終演となっている。

『オペラ座の怪人』の終演 youtubeより

 翌日、同期の女性達とマンハッタンのトランプ・タワーへ行った時、片方の女性のバッグが置き引きに遭ってしまった。
 ニューヨーク警察署まで探しに行ったが、結局見つけることができなかった。現地に住んでいた私の失態だった。
 バッグの中にはパスポート等も入っていたと思うが、女性達がなんとか無事帰国することができただけ幸いだった。

 当時のことを振り返ると、ミュージカルを見たブロードウェイの劇場よりバックを探しに行った警察署の方が記憶に残っている。
 

2026年1月13日火曜日

Unchained Melody

 "Unchained Melody"は映画『ゴースト』の主題歌だった。'Oh, oh my love, my darling."で始まる特徴的な曲である。
 『ゴースト』は1990年のアメリカ映画で、当時ニューヨークに住んでいた私は現地で映画館に並んで見たことを思い出した。
 映画の英語は聞き取れなかったが、ストーリーは何となくわかった。とにかく主演女優のデミ・ムーアがとても可愛かった。

"Unchained Melody" youtubeより

 "Unchained Melody"は1955年の楽曲で、刑務所映画『アンチェインド』の主題歌として作曲されたと今回知った。
 100以上バージョンがあるそうで、『ゴースト』の主題歌は1965年6月のRighteous Brothersのバージョンである。
 1990年にリバイバルされシングルチャート1位となったもので、道理で映画で流れた時に聴いたことがあると思った。

 まさにlovers only(恋人限定)といった感じの曲だが、sappy(感傷的すぎる)と思う人もいるかもしれない。

2026年1月12日月曜日

Just the Two of Us

 昨年9月投稿の"If You Don't Know me by Now"でSimply Redのアルバムをニューヨークで購入したと書いている。
 実はもう1枚、Grover Washington Jr.の『ワインライト』というアルバムをニューヨークで購入している。
 Grover Washington Jr.はサックス奏者で、スムースジャズの父として知られていることを今回知った。

"Just the Two of Us" youtubeより

 "Just the Two of Us"は『ワインライト』の最後の一つ前の曲で、Grover Washington Jr.はサックスだけでなくボーカルを披露している。
 『ワインライト』は1982年の発表なので、私が購入した時は既に10年ほど経過していたが、全く色褪せていなかった。
 なかでも"Just the Two of Us"は秀逸である。大ヒットしてグラミー賞ベストR&Bソング賞を受賞している。

"Make Me a Memory" youtubeより

 『ワインライト』から、もう2曲紹介する。1曲目はアルバムの最後に収録された"Make Me a Memory"である。
 "Sad Samba"というサブタイトルのとおり、サンバ風の暗いメロディーが延々と続く別れの曲である。
 "Make Me a Memory"は直訳すると、「私を思い出にして」ということだろうか、いずれにしても哀しい曲である。

"Winelight" youtubeより

 2曲目はアルバムのタイトルで、最初の曲として収録された"Winelight"である。ジャケットにもワイングラスの写真が載っている。
 調べてみたが、winelightは英英辞典にもなく造語である。レストランでワインのグラスを傾ける時の鈍い灯りのイメージだろうか。
 私には夜の曲にしか聴こえないが、朝の感じがするという人もいた。インスツルメンタルはそんなものかもしれない。

 今回、邦題は「クリスタルの恋人たち」だと知ったが、"Just the Two of Us"のままの方がいいのは言うまでもあるまい。




2025年12月17日水曜日

Last Christmas

 
"Last Christmas" youtubeより

 Wham!のLast Christmas、クリスマスソングの定番としてリリースから40年以上経つのに今もこの季節になると巷に流れる曲である。
 美しいメロディーラインが受けていると思うが、歌詞を読むと失恋ソングであり、おめでたいクリスマスには似つかわしくない気もする。
 このメロディの作者は作詞・作曲を担当したジョージ・マイケルで、リリースから1年半後にWham!は解散し、ソロ活動を開始した。

"Careless Whisper"  youtubeより

テレサテンが唄う"Careless Whisper"  youtubeより

 Wham!はラップも素晴らしいが、特徴のあるメロディはジョージ・マイケルの得意とするところである。
 上記のCareless Whisperもそんな曲の一つで、Wham!時代にリリースされており、印象的なサックスの前奏で始まる。
 日本でも多くの歌手がカバーしていて、テレサ・テンがコンサートで英語で歌っているのを聴いたこともある。

"One More Try" youtubeより

 ジョージ・マイケルはゲイで、公然わいせつ事件をきっかけにカミングアウトした。そのほぼ20年後、53歳の若さで亡くなった。
 たくさんの良い曲を残したが、ソロになって最初のアルバム"Faith"から"One More Try"を選ぶことにしよう。
 1988年4月のリリースで、私がニューヨークにいた頃にMTVでもよく流れていたと記憶している。

 好きな人に切々と想いを伝えるバラードの名曲で、"Maybe just one more try"という最後の歌詞が心を打つ。


2025年11月19日水曜日

In My Life

 たくさんあるビートルズの曲の中では地味な曲だが、私は“In My Life”が好きである。淡々と過去を振り返って、思い出の場所や人を懐かしむ感じで曲は始まる。しかし、今の君と比べられるものはないというラブソングになるのは流石である。

“In My Life”   Youtubeより

 ビリー・ジョエルにも“My Life”という曲があるが、内容はかなり異なる。ウェストコーストへ行って成功した友人がいろいろと心配してくる。しかし、最後は友人に“Leave me alone”(ほっといてくれ)と言い放つ。

“My Life ”  YouTube より

 まだ経験したことがないが、美女に囲まれて言ってみたい、“Leave me alone”

2025年11月13日木曜日

Disgusting

 日本語で言うと「鼻持ちならない」と言う感じだろうか。私がこの言葉を耳にしたのは35年前のニューヨークだった。同じ職場にいた佐藤さんの口癖だった。
 翻訳の専門家として勤務していたのが佐藤紘彰氏だった。佐藤さんは英語俳句でも有名で、猪瀬直樹氏の『ペルソナ 三島由紀夫伝』を元に独自に書き加えた作品など、多くの著作がある。
 さすがに英語の達人で、私の英語など佐藤さんから見ると幼児に等しい。もっとも外国人の幼児の英語ですら私には十分に理解できているとは言い難いが。

『マンハッタンかるちゃあスクール』より
(佐藤紘彰、フリープレスサービス、1990年)

 普段の佐藤さんは酒好きの人の好いおじさんである。ニューヨークでは、佐藤さんがウォッカのスミノフ、私がバーボンのジャック・ダニエルのロックをいつも飲んでいた。
 職場の女性を誘って近くのバーで飲む時、佐藤さんからSpeak up(はっきり言って)と言われたが、早口でまくしたてる美人を前にしどろもどろだった。
 不思議な縁で現在もメールのやり取りがあり、拙著『やっぱり滋賀が好き』(31頁)に登場していただいた。その影響は甚大で、嫌なことがあるとこの言葉を口にしてしまう。

 Disgusting!

2025年11月11日火曜日

Just the Way You Are

 言わずと知れたBilly Joelの名曲で、1977年のリリースだが今でも時々耳にする。私がこの曲を初めて聴いたのは高校生の時だったと思う。
 同級生の家へ行った時、アルバム『ザ・ストレインジャー』のレコードをかけてくれた。三番目の曲が "Just the Way You Are"だった。
 一度聴いただけでいい曲だとわかった。あれからBilly Joelの曲をいろいろ聴いたが、やっぱりこの曲が一番いいと思う。


“Just the Way You Are” YouTube より

 メロディもいいが、歌詞が素晴らしい。わかり易い単語で素直な気持ちが伝わってくる。
 サビの部分で“l don’t want clever conversation. l never want to work that hard.”と歌った後に、次の歌詞が続く。
 “l just want someone that l can talk to. I want you just the way you are.” 全くその通りである。
 
 

2025年10月30日木曜日

When October Goes

"When October Goes" youtubeより

 ニューヨークのブルックリン生まれのバリー・マニロウの曲である。私は10月の終わりになるとこの曲を思い出す。
 「10月が往く頃」という曲のタイトルが日本的だと思ったが、アメリカでも季節や年月が往くという感覚は共通なのだろう。
 曲の始まりは次のとおりである(拙訳は筆者)。

 And when October goes     そして10月が往く頃
 The snow begins to fly        雪が舞い始める
 Above the smokey roofs     鉛色の屋根の上を
 I watch the planes go by     飛行機が通り過ぎるのを見る
 The children running home     子供が家路を急ぐ
 Beneath a twilight sky      たそがれの空の下

 Oh, for the fun of them        嗚呼、みんな楽しみだった
 When I was one of them      私もその一人だった頃

 10月という冬の訪れを慈しんでいるように聴こえるが、歌詞の二巡目に入るとそうでないことがわかる。

 And when October goes      そして10月が往く頃
 The same old dream appears   同じ古い夢が現れる
 And you are in my arms        君は私の腕の中にいて
 To share the happy years     幸せな歳月を共に過ごす
 I turn my head away       私は顔をそむけて
 To hide the helpless tears       やるせない涙を隠す

 Oh how I hate to see October go    嗚呼、10月が往くのを見るのはなんて嫌だろう

 10月に別れた恋人を思い出し、幸せだった日々を懐かしんでいる。曲の終わりに向かってその気持ちは高まっていく。

 I should be over it now I know     乗り越えなければとわかっている
 It doesn't matter much      でもあまり変わらない
 How old I grow            どれだけ歳を取っても
 I hate to see October go        10月が往くのを見るのは嫌だ

もうすぐ10月が終わる。

2025年10月29日水曜日

Grandpa Kuma

 今回は、私がニューヨークで仕事をしていたときの同僚、Michelle Maiden(以下、ミシェルという)の絵本を紹介することとしたい。
 私がニューヨークにいたのは1990年の春から1年余りで、早いもので35年が経つ。思えば長い付き合いである。
 現在、ミシェルはイギリス在住で、このブログを読んでいる。日本語ができないので、googleで翻訳しているらしい。
 その割には反応が早く、メールでコメントを送ってくる。ブログを英語に翻訳して読んでいるのはおそらくミシェルだけだろう。

Amazonより

 彼女は以前から絵を描いていて、次のURL(michellemaiden.wixsite.com/illustrations)をクリックすると見ることができる。
 また、インスタグラム(https://www.instagram.com/michellemaiden_illustrations?igsh=MTZ1aHZxbHJyOTkzYQ==)もやっている。
 今回の絵本は2024年4月に発売されたが、それまで相当苦労したらしい。日本の書店で買うことはできないが、Amazonで購入可能である(https://tinyurl.com/3xczd96h)。

 ミシェルとは通路を挟んで隣の席だった。確か彼女からconstipation(便秘)という単語を教わったと思う。
 diarrhea(下痢)という単語しか知らなかった私がopposite of diarrheaと言うと、笑って教えてくれた。
 ミシェルの機嫌が悪い時、"Aren't you a little constipated?"(便秘気味じゃないのか)とからかったら、"You're gross!"(下品)とたしなめられた。

 最後は、ミシェルが"my favorite"(大好物)と言っていた奈良の伝統的なお菓子で終わることにしよう。
 それは"deer shit"、日本語で言うと「鹿のふん」である。形状が似ていることから付いた名前であるが、れっきとしたお菓子である。
 こんなことを書くと、"You're gross!"とまた言われそうだが、いい絵本なので購入をお勧めしたい。audio book付きで声も聴けます。
 

2025年10月24日金曜日

Port Authority

  Port Authorityとは、ニューヨークのマンハッタンにあるバスターミナルのことである。私は2回行ったことがある。
 1回目はコンドミニアムの部屋の大家だったインド人のビジネスマン、いわゆる印僑の郊外の邸宅を訪ねた時だった。
 週末にPort Authorityからバスに乗るため、コンドミニアムから歩いて行った。無事に着いたが、大家が教えてくれたバスの発車場所がどこだかわからなかった。
 
Port Authority(Wikipediaより)

 警備員に尋ねようと胸のポケットからメモを取り出すと、「それは止めた方がいい。我々にはあなたが日本赤軍でないとはわからない」と警告された。
 ピストルを取り出すと判断して発砲する危険があるという意味だった。邸宅に着いて警備員にからかわれたと大家に話すと「それはマジだ」と言われた。
 私が「ニューヨークは人種のるつぼ(Melting pot)だから」と言うと、大家は「インドは3000年前からそうだ」と教えてくれた。


テディベア(Best Presentより)

 2回目にPort Authorityへ行ったのは職場のパーティの後だった。郊外行きのバスに乗るReceptionistの女性が「危険だからエスコートして」と言ってきた。
 イタリア系の若い頃はさぞかし綺麗だったと思われる中年の女性で、「米国に4種類の熊がいる」と言ってはいつも私をからかった。
 実際にいるのは、ホッキョクグマ、グリズリー、ブラックベアの3種類で、4つ目はテディベアというのがオチだった。


2025年10月22日水曜日

Honduras(ホンジュラス)

 ホンジュラスという国の名前を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。私はある人の名前を思い浮かべる。
 ニューヨークで仕事をしていた時、マンハッタンのコンドミニアムに住んでいた。そこでドアマンをしていた人を思い出す。
 彼は中南米の最貧国の一つと言われるホンジュラスの出身だった。ニューヨークへ出稼ぎに来ていた。

ホンジュラス共和国(外務省)

 コンドミニアムは、1st Ave.と53rd St.の交差点からイースト・リバーに少し下った北側にあった。下記の地図では国連本部の少し上になる。
 スタジオ・タイプといって、水回りを除いて部屋の区切りがなく一つの空間になっている間取りで、9階にあった。
 私は酔っ払ってエレベーターで吐いてしまったことがあったが、翌朝は綺麗になっていた。彼が掃除してくれたと後から知った。

マンハッタン
(地球の歩き方 2015~2016 別冊マップ)

 母がコンドミニアムに来た時も彼はとても親切だった。彼自身が家族と離れて暮らしていたからだろう。
 彼はいつも笑顔を絶やさず、ドアマンの中でも評判が良かった。私が帰国した後、彼からクリスマス・カードが届いた。
 2016年、25年ぶりにニューヨークを訪問しコンドミニアムで彼のことを聞くと、"passed away"と言われた。冥福を祈る。


2025年10月20日月曜日

New York, New York

"New York, New York" youtubeより 

 フランク・シナトラの"New York, New York"である。彼の曲と思っていたが、もともとは1977年公開の映画『ニューヨーク・ニューヨーク』で、ライザ・ミネリが歌っていた。
 私はニューヨークで少し年上の同僚がカラオケバーで歌ったのを聴いたのが最初だった。米国の大学を卒業し英語が堪能な人で、スローで難しい曲を上手に歌った。
 歌詞の最後の"It's up to you, New York, New York"がとても印象に残った。何度かカラオケで挑戦してみたが、歌も英語も上手くない私は途中で挫けてしまう。

"My Way" youtubeより 

 フランク・シナトラは"My Way"で有名である。日本でもいろんな人がカバーし邦訳されているので歌詞もよく知られている。
 中高年の男性が過去を振り返り、後悔がない訳ではないが自分の人生だったと歌うスローで渋い歌だが、"New York, New York"の方が私は好きだ。
 ニューヨークの自由な感じが出ているし、未来は自分次第というところがいい。全くそのとおりである、自分で決める以外にない。

"Can't Help Falling in Love" youtubeより

 話は変わるが、スローでいい曲として他に思いつくのは、エルビス・プレスリーの"Can't Help Falling in Love"である。
 "Wise men say. Only fools rush in."で始まる歌詞でわかるとおり、恋とは愚か者がすると相場が決まっているらしい。
 しかし、"Can't help ~ing"というイディオムと"fall in love"という言葉のとおり、恋とは落ちてしまうものでもある。 


 

2025年9月17日水曜日

If You Don't Know Me by Now

"Nothing Compares 2 U" youtubeより

  ニューヨークの思い出にMTVがある。"Nothing Compares 2 U"のシンニード・オコーナーはスキンヘッドだったが、やはり美人だった。
 デビューしたばかりのマライヤ・キャリーやM.C.ハマーの独特なダンスも記憶にあるが、シンプリー・レッドの曲が気に入った。
 CDを買いに店に行ったが見つけられずに困っていると、黒人の店員が話しかけてきて私が曲を口ずさんだら見つけてくれた。

"If You Don't Know Me by Now" youtubeより

 上記のアルバム"A New Flame"の2曲目が"If You Don't Know Me by Now"である。ロック調のスローな曲で、私でも口ずさむことができた。
 直訳すると「今でも私のことが理解できないのなら、私を決して理解できないだろう」というような意味のラブソングである。
 ハロルド・メルヴィンのジャズのヒット曲をカバーしたものだと後になって知った(参考までにそのバージョンは下記のとおり)。

ハロルド・メルヴィンの"If You Don't Know Me by Now" youtubeより

 音楽は基本的にオリジナルが一番いいと私は思っているが、シンプリー・レッドの"If You Don't Know Me by Now"は例外である。
 ネットで調べてみると、オーケストラ・バージョンみたいなのもある。日本人でも歌っている人がいるので、やはりいい曲なのだろう。
 邦題は「二人の絆」となっており、歌詞の意味からするとそうだとしても、やはり"If You Don't Know Me by Now"の方がいい。

2025年9月12日金曜日

9.11米国同時多発テロ

NHKニュースより


 9月11日の前後は、2001年9月11日に起きた米国同時多発テロのことがニュースで取り上げられる。私もこの事件は強く記憶に残っている。
 日本時間で火曜日の21時46分というから職場から帰宅していた。乳児の息子を風呂に入れようとしている時、テレビに衝撃的な映像が現れた。
 ニューヨークの世界貿易センタービルに何かが衝突し炎上している。背後にこれから突入しようとしているジェット機の姿が不気味に見える。

NHKニュースより

 10年前の1990年、私は仕事でニューヨークにいた。8月2日にイラクが隣国のクウェートに侵攻し、アメリカの対応が注目されていた。
 日本人駐在員が全員出席する会議で、アメリカがイラクを空爆するか否かについて挙手を求められ、空爆しないという人が大半だった。
 しかし、在米15年以上のある駐在員は空爆するに手を挙げた。理由は「アメリカは準備ができていない」というもので、その通りになった。
 空爆が始まった時は日本料理店で同僚と飲んでいて、テレビの空爆の映像をインベーダーゲームのようだと思った記憶がある。

CNNより

 湾岸戦争が始まり、地上戦が行われた。シュワルツコフ中央軍司令官とパウエル統合参謀本部議長は 記者会見で戦況を報告した。
 casualtyという言葉が聞き取れた。私は事故という意味しか知らなかったが死傷者のことだった。戦争で人が死ぬのは当たり前である。
 戦死者の遺体が入った棺桶は星条旗に包まれ、ニューヨークをパレードして民衆の喝采を浴び、ワシントンのアーリントン墓地に葬られる。

 アメリカは戦争がある方が求心力が高まるように思った。世界最強の軍隊を持つアメリカは毎年のようにどこかで戦争をしている。
 軍隊は戦死者を埋葬する墓地や遺族への恩給を含めて巨大なシステムだと思う。システムを持つ国は必要とあらば実力行使を辞さない。
 湾岸戦争が遠因となり米国同時多発テロは起きた。それから四半世紀近く経つが、戦争はなくならず不必要な死が繰り返される。

2025年7月9日水曜日

プエルトリコ

 プエルトリコへは一度行ったことがある。30年以上前に仕事でニューヨークにいた時、独身だった私はクリスマスの休暇を一緒に過ごす相手がいなかったため、どこかへ旅行しようと旅行代理店に相談したところ、カリブ海のバージン諸島を勧められた。
 バージン諸島へは、ニューヨークからプエルトリコまでジェット機で飛んで、小さなプロペラ機に乗り換えた。ニューヨーク郊外のラガーディア空港から予定の便に搭乗しようとしたが、表示板になかなか出てこない。
 実は、私がいたのは国際線のターミナルで、そこでプエルトリコ行きは国内線であることに気づいた。プエルトリコはオリンピックでは単独の地域として参加するが、米国の準州であり(州より格下で議会に代議員がいない)独立国ではない。


 プエルトリコの空港は州都サンファンにある。プロペラ機の乗り換えまで時間があったので、空港を出て旧市街を抜けて北西の岬の突端にある「エル・モロ要塞」まで歩いた。
 他に行くところがなかったからであるが、スペインの植民地時代の要塞から大西洋を見ただけで、そのまま空港へ引き返した。途中、のどが渇いたので旧市街のバーでカクテルでも飲もうかと思ったが、治安が悪いと聞いていたので立ち寄らなかった。
 ゴンゾ(無頼派)ジャーナリストとして1970年代に活躍したハンター・S・トンプソンの『ラム・ダイアリー』には、そんなサンファンの様子が描かれている。空港に向かって北側の断崖にはスラム街が見えたが、今もそのままだろうか。

『ラム・ダイアリー』より

 バージン諸島には米領と英領がある。私が乗ったプロペラ機はプエルトリコを発って1時間ほどで米領バージン諸島の最大の島・セント・クロイ島にある空港に無事着陸した。
 空港からホテルまではタクシーに乗ったが、米国だから左ハンドルは当たり前として、左車線の道路を走っている。もともと英領の頃の左車線のまま、車だけが左ハンドルになったようだが、追い越しは大変である。もっとも車が少ないので危険は感じなかった。
 ホテルの部屋は瀟洒な感じで、料理も美味しかった。目の前の海ではシュノーケリングをしている人もいたし、ショートホールだけのゴルフ場もあった。独りはつまらなかったが、寒いニューヨークにいるよりマシなのは確かだった。


 プエルトリコやバージン諸島はラム酒の産地として有名である。自分へのお土産として、BACARDIのロゴが入ったTシャツとアルコール度数が80度近いラム酒を買った。
 ラム酒にはflammable(可燃性)と記載されていて、さすがの私もなかなか飲む気にならなかった。日本に帰国する前、国内に持ち込めるかどうか不安になり、誰かにあげたような気がする。
 Tシャツの方は帰国後も長い間持っていた。洗濯で縮んでしまい着れなくなったので、結局捨ててしまったが、BACARDIのロゴを見るとカリブ海へ行ったことを思い出す。あんな機会でもなければ行くことはなかっただろう。
 


2025年5月7日水曜日

Montauk Peak


 マンハッタンの東側にある横に長い島Long Island の東端の岬Montauk の灯台のポスター。大西洋の鯨を見ることができると聞いて、1990年の夏の休日にLong Island Railway に乗って出かけた。終点で降りて岬までの往復は自転車だった。アップダウンがあってかなり疲れたが、駅の近くのレストランで食べたbroiled flounder (ヒラメの塩焼き)が美味かったのが忘れられない。

Martin Luther King Jr.


 公民権運動の指導者で暗殺されたキング牧師の伝説的演説” I have a dream “の原稿のポスター。1990年にアメリカで購入したもの。同じDから始まる言葉でも、トランプ大統領のdealとはあまりに違う。