2025年7月9日水曜日

プエルトリコ

 プエルトリコへは一度行ったことがある。30年以上前に仕事でニューヨークにいた時、独身だった私はクリスマスの休暇を一緒に過ごす相手がいなかったため、どこかへ旅行しようと旅行代理店に相談したところ、カリブ海のバージン諸島を勧められた。
 バージン諸島へは、ニューヨークからプエルトリコまでジェット機で飛んで、小さなプロペラ機に乗り換えた。ニューヨーク郊外のラガーディア空港から予定の便に搭乗しようとしたが、表示板になかなか出てこない。
 実は、私がいたのは国際線のターミナルで、そこでプエルトリコ行きは国内線であることに気づいた。プエルトリコはオリンピックでは単独の地域として参加するが、米国の準州であり(州より格下で議会に代議員がいない)独立国ではない。


 プエルトリコの空港は州都サンファンにある。プロペラ機の乗り換えまで時間があったので、空港を出て旧市街を抜けて北西の岬の突端にある「エル・モロ要塞」まで歩いた。
 他に行くところがなかったからであるが、スペインの植民地時代の要塞から大西洋を見ただけで、そのまま空港へ引き返した。途中、のどが渇いたので旧市街のバーでカクテルでも飲もうかと思ったが、治安が悪いと聞いていたので立ち寄らなかった。
 ゴンゾ(無頼派)ジャーナリストとして1970年代に活躍したハンター・S・トンプソンの『ラム・ダイアリー』には、そんなサンファンの様子が描かれている。空港に向かって北側の断崖にはスラム街が見えたが、今もそのままだろうか。

『ラム・ダイアリー』より

 バージン諸島には米領と英領がある。私が乗ったプロペラ機はプエルトリコを発って1時間ほどで米領バージン諸島の最大の島・セント・クロイ島にある空港に無事着陸した。
 空港からホテルまではタクシーに乗ったが、米国だから左ハンドルは当たり前として、左車線の道路を走っている。もともと英領の頃の左車線のまま、車だけが左ハンドルになったようだが、追い越しは大変である。もっとも車が少ないので危険は感じなかった。
 ホテルの部屋は瀟洒な感じで、料理も美味しかった。目の前の海ではシュノーケリングをしている人もいたし、ショートホールだけのゴルフ場もあった。独りはつまらなかったが、寒いニューヨークにいるよりマシなのは確かだった。


 プエルトリコやバージン諸島はラム酒の産地として有名である。自分へのお土産として、BACARDIのロゴが入ったTシャツとアルコール度数が80度近いラム酒を買った。
 ラム酒にはflammable(可燃性)と記載されていて、さすがの私もなかなか飲む気にならなかった。日本に帰国する前、国内に持ち込めるかどうか不安になり、誰かにあげたような気がする。
 Tシャツの方は帰国後も長い間持っていた。洗濯で縮んでしまい着れなくなったので、結局捨ててしまったが、BACARDIのロゴを見るとカリブ海へ行ったことを思い出す。あんな機会でもなければ行くことはなかっただろう。
 


4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

楽しい旅行記をありがとうございます。
プエルトリコは今までもこれからも行く機会はなさそうなので、新鮮な気持ちで読まさせていただきました。
米国の準州であれば多くのメジャーリーガーを輩出するわけがわかりました。

大鯰 さんのコメント...

コメントありがとうございます。やはりアメリカン・ドリームなんでしょうね。

匿名 さんのコメント...

カリブ海と言えば(When it comes to the Caribbean Sea)、小生は2009年3月から翌年5月までの1年ちょっと、ジャマイカに住んでいました。海賊をしていたわけではなく、ジャマイカ産業省に勤務しておりました。🌉遅くまでレゲーで踊り狂っても翌朝🕗にはきちんと出勤しておりました。13時から昼休みで、そのあとぐっすり昼寝、夕方起きてその日の反省レポートを書いて、日が沈めがレゲー。その前に食べるスパイスまみれのジャークチキンが美味かった。あの味、どうしても再現できない。住んでいたキングストンからコーヒーで有名になったブル=マウンテンの隣の山を越えてオーチョリスに着くと、カリブの中でもいっちゃん美しいと言われる海が広がる。岬の向うに自然主義の美女たちの楽園があって、小生は無謀にもシュノ=ケルで岬を回って楽園に向かい、強い海流に巻き込まれたが九死に一生をえた。カリブ海は甘酸っぱい思い出ばかり。

大鯰 さんのコメント...

コメント、ありがとうございます。さすがですね。岬の向うへ行きたいお気持ちはよくわかりますが、シュノーケルですか。生き延びて気づいた時には自然主義の美女に囲まれていたなんてオチでは?まさに浦島太郎ですね。