一般的に、同じ小説を複数回読むことは少ないのではないだろうか。とても面白いと思っても他にもたくさん作品があるのでなかなか同じものを繰り返して読む気にはならない。
私の場合、辻邦生の『背教者ユリアヌス』だけは3回読んでいる。高校生の時に誰かに紹介されて文庫本を読み、就職後と定年・再就職後に単行本を読んだ。
かなりの長編であり今でもよく読めたと思うが、内容的に何か惹かれるところがあったのだろう。長編作品は一旦面白いと思うと結末まで読まずにはいられなくなる。
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『背教者ユリアヌス』(中央公論社、1972年) |
叙事文学の体裁を取りながら、哲学者皇帝ユリアヌスと先帝の美貌の皇后エウセビアとの禁断の恋をからませて絵巻のように物語が展開していく。北杜夫は「(前略)小説の醍醐味を私は堪能した。」とも書いている。
ローマ帝国の歴史をよく知らない私でも、ヨーロッパ全土にわたる壮大なスケールと登場人物の面白さに加え、「背教者」という言葉の響きが印象に残った。3回読んでも飽きることはなく、辻邦生の作品の中では一番好きである。
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『天草の雅歌』(新潮社、1971年) |
辻邦生でもう一つ好きな作品を上げれば『天草の雅歌(がか)』である。単行本の帯には「鎖国派と海外交易派の政争の渦中で、混血の美女との愛を生きる支えにして、時代の権力に挑んだ長崎奉行所の通辞をとうして描く、鎖国をめぐるロマン」とある。
単行本の帯の裏には「(前略)私たちがかつてたのしい作品を前にして感じた興奮と、期待と、不可思議なおののきとを、もう一度、〝小説〟のなかに取り戻してみたいと思ったのである。(後略)」という作者のことばがあった。
私は地下鉄でドアにもたれてこの本を読んでいる時、悲恋の結末に感極まって思わず落涙しそうになったことがある。急にポケットからハンカチを出して顔を隠した私を、周囲の人は変な奴だと思っただろう。
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「春の戴冠・嵯峨野明月記 展」の冊子の表紙から |
辻邦生は整った顔立ちの人だった。上記の写真は2016年に学習院大学史料館で開催された「春の戴冠・嵯峨野明月記 展」で入手した冊子の表紙に掲載されたものである。小さいのでわかりにくいが、二枚目の雰囲気がある。
この顔でフランス語ができて、学習院大学文学部フランス文学科で教授等をされていた。上記の展示会へ行った際、受付の上品な女性に「辻先生はもてたでしょうね」と声をかけたところ、「それはもう」という答えが返ってきた。
私は拙著『やっぱり滋賀が好き』のまえがきで、辻邦生の『言葉の箱ー小説を書くということ』(メタローグ、2000年)から、「あなた方一人ひとりの大事な一回こっきりの人生ですからね。(中略)この一回こっきりの自分というもの、自分のいまの世界を本当に大事にしてください」という彼の言葉を紹介しており、人生に対する姿勢が好きである。
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