2025年9月10日水曜日

雨のウェンズデイ

『雨のウェンズデイ』youtubeより

 水曜日に雨が降ったので『雨のウェンズデイ』である。大滝詠一の大ヒットしたアルバム『A LONG VACATION』に収録されている。
 冒頭の『君は天然色』や太田裕美も歌った『さらばシベリア鉄道』が有名だが、ほぼ全ての曲が秀逸である。
 急変硬直化した彼女に嘆く『Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語』やワムの『ラストクリスマス』に似ている気がする『恋するカレン』もいい曲である。
 『雨のウェンズデイ』の「昔話するなんて気の弱い証拠なのさ」という歌詞は、こんなことを言ってみたいと思っていた。
 ウェンズデイは水曜日だから雨にかけてあると今頃気づいた。

"Saturday Night" youtubeより

  一週間の曜日を用いた歌はたくさんあるが、私の記憶に一番残っているはBay City Rollersの"Saturday Night"である。
 "S-A-T-U-R-D-A-Y night"の連呼で始まる歌詞はリズミカルなアップビートの曲に乗って、1976年1月に全米ナンバー・ワンになった。
 今聴いてもいい曲だとは思うが、よくよく考えると、週休二日制が導入される前の土曜日の夜が一番盛り上がる時代だった。
 今ならさしずめ「ノー残業デー」の水曜日や休日前の金曜日になるのだろうが、かつてのような盛り上がりは期待できない。


 仕事始めの月曜日の曲ということならば、Carpentersの"Rainy Days and Mondays"が一番だろう。
 ラブソングであるが、"Rainy days and Mondays always get me down"というサビの部分が心に響く。
 月曜日が 嫌なのは万国共通であり、雨となれば最悪である。今や年金生活の私には関係はなくなった。


安土城址

  一冊目のエッセイ『「びわ湖検定」でよみがえる』では、第5章「歴史」で安土城という項を設けている。そこで書いたとおり安土城址の入り口まで行ったものの、天主に登ったことがなかった。
 この度、近江八幡市のA社を訪問する機会に、安土城址に登ることを思い付いた。出かける前に安土城について勉強しておこうと思って買い求めたのが、デアゴスティーニ・ジャパンの『隔週刊 日本の城 DVDコレクション 7 安土城』である。
 デアゴスティーニ・ジャパンはシリーズで冊子を発行し模型を組み立てたりするのが有名で、このシリーズはDVD付きで日本各地の名城を紹介している。DVDに加え図面や写真も豊富でわかり易い内容になっている。

品川から「のぞみ」に乗り、名古屋から「こだま」、米原から在来線に乗り替えて、9時前に安土駅に着いた。駅前のレンタサイクル店でインターホンを鳴らすと奥から人が出てきた。安土城址まで片道20分、天主まで登るというと2時間のレンタルになった。
 レンタサイクル店で教えられたとおり、一つ目の通りを左折して直進し二つ信号を過ぎて突き当りの神社を右折し、百々橋(どどばし)を渡ると安土城址の入り口に着いた。駐輪場に自転車を停めて大手道へ向かい、受付で700円の入場料を支払った。
入口に木の枝を切った杖が置いてあり、受付で「持って行ってください」と言われたので1本だけ手にしたが、それで正解だった。天主までずっと急な石段が続いている。歳のせいもあるだろうが、杖がないと登れないくらいだった。

天主跡
『隔週刊 日本の城 DVDコレクション 7 安土城』より

 登り切ったところにある天主跡は意外と狭かった。周囲が土手のようになっていて、木の梯子を上って琵琶湖の方向を眺めた。大中の湖が干拓されるまでは城のある安土山は琵琶湖に突き出た岬だった。
 『隔週刊 日本の城 DVDコレクション 7 安土城』に記載された安土城本丸復元図によれば、山頂は全て本丸御殿であったことがわかる。現在の二の丸や三の丸の跡も含むかたちで御殿が建てられ、その中心に天主がそびえ建っていたと考えられている。
 因みに、「天主」は信長の専売特許で、岐阜城、安土城、二条城、坂本城という信長に関係する城だけで使われているそうで、一般的には「天守」が使われている。

 山頂からの下りは順路に従って摠見寺(そうけんじ)本堂跡を経由するルートを取った。大手道に戻る手前に羽柴秀吉、大手道の向う側に前田利家の邸宅があったという。つまり、大手道の入り口は秀吉と利家に固められていたことになる。
 再びレンタサイクルに乗り、来た時と同じ道を安土駅まで戻った。お昼までは少し時間があったのでエレベーターで駅の反対側にある安土城郭資料館に行った。こちら側に来たのは初めてで資料館の存在も知らなかった。
 入館料200円を支払って資料館に入ると、まず安土城に関する簡単なビデオが放映される。来館者が数名まとまったところで、安土城を復元した模型が二つに割れ内部が見られるようになっている。 

安土城天主雛型・断面
『復元 安土城』(講談社選書、1994年)より

 安土城については、復元計画があるらしい。クラウドファンディングで必要資金の調達が検討されている。仮に復元されれば観光の目玉になるだろう。信長が天下統一を目前にして築いた城であり、西洋の城に匹敵すると言われた(注)。
(注)イエズス会の宣教師で信長との会見が18回におよんだルイス・フロイスは、その著書『日本史』で次のとおり書いている。
  
「信長は、中央の山の頂に宮殿と城を築いたが、その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それはヨーロッパのもっとも壮大な城に比肩し得るものである。(中略)そして(城の)真中には、彼らが天守と呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。(中略)この天守は、他のすべての邸宅と同様に、我らがヨーロッパで知るかぎりのもっとも堅牢で華美な瓦で掩われている。」
   『完訳フロイス日本史3 安土城と本能寺の変 -織田信長篇Ⅲ』(中央公論新社、2000年)
 
 しかし、復元可能なのだろうか。名古屋城でも、鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建された天守閣が老朽化したため、木造復元が計画されているが難航している。
 加えて、大中の湖は埋め立ててしまっており、琵琶湖に面した水城であった面影を取り戻すことはできない。安土山の高台にある天主を琵琶湖に浮かぶ船から見上げることができれば最高の景色になったに違いないが。
 
 天主から下りて安土城址の受付を出て土産物屋に立ち寄った時、お店の方がお客に「石垣しかなくて」と話しているのが耳に入った。
 絶対君主の信長が贅を尽くして築いた絢爛豪華な安土城、それが残っていれば見事なものだったに違いない。しかし、信長が本能寺の変で倒された以上、安土城も焼失して良かったのではないだろうか。
 遺跡には失われたものだけが持つロマンがある。古代ギリシアのパルテノン神殿やローマのコロセウムも復元されてはいない。私は、頭の中で安土城を想像する方が拡がりがあって楽しい気がする。

近江国蒲生郡安土古城図(国立国会図書館所蔵)
『隔週刊 日本の城 DVDコレクション 7 安土城』より

(2021年11月30日)

2025年9月3日水曜日

ムーミンパパ

 

『ムーミンパパの思い出』のムーミンパパ

 ムーミンパパのことはほとんどの人が知っているが、ムーミンパパがどういう人(妖精と言うべきか)であるかはほとんどの人が知らない。
 例えば「ムーミンパパの職業は何か」という質問にどれだけの人が答えられるだろう。私は「彼が小説家で、まだ一冊の本も出したことがない」ということを聞いたことがあるが、そのことを話すと大抵の人は「そうだったんですか」という顔をする。

 『ムーミンパパの思い出(新装版)』(2011年、講談社文庫)によると、ムーミンパパはみなしごだったそうである。第1章の書き出しは次のとおり始まる。
「ずっと前のことです。陰気な風のふくある八月の夕がた、ムーミンみなしごホームの階段の上に、ごくありふれた買い物用の紙ぶくろが一つ見つかりました。この紙ぶくろの中にいたのが、ほかでもない、このわたしでした。むぞうさに、新聞紙につつまれていたのです。」

 ムーミンパパの小太りで(ムーミン一族は全てそうである)優雅な姿からは想像もできないことで、私もそんなことは考えたことがなかった。
 しかし、言われてみればムーミングランパやムーミングランマなんて聞いたことがない。因みに、同じ外国のアニメキャラクターであるバーバパパは、絵本作家の「アネット・チゾンさんとタラス・テイラーさんが街角のカフェで、紙製のテーブルクロスにいたずら書きを交換しているうちに誕生しました」となっている。
 バーバパパもバーバグランパやバーバグランマは存在しないが、ムーミンパパの場合は、ムーミングランパやムーミングランマは存在していたが、捨てられてみなしごだったという点が異なっている。

 ムーミンパパは冒険家で、小説家である。『ムーミンパパの思い出』では、若い頃の冒険の日々を家族に語り、「思い出の記」に書き記す。
 小太りな体型(ムーミン一族は全てそうである)が似ていることから、肥満気味の中高年が集まって「ムーミンパパの会」と称しているのを聞いたことあるが、本当のムーミンパパは一生冒険家である。 
 『ムーミンパパの思い出』のプロローグで、夏風邪をこじらせて死ぬんじゃないかと心配になったムーミンパパは、ムーミントロールとスニフとスナフキンをよんでこさせ、三人に向かって次のとおりいいきかせる。
「おまえたち、ほんものの冒険家として、生きるのだよ。それをけっしてわすれてはならないよ」

 ムーミンパパの相方であるムーミンママは理想的な女性像(女性の妖精像と言うべきか)といったものだろう。
 ムーミンママは母性の象徴的存在で、いたずらばかりしているムーミンを見ても「アラ、アラ、アラ」と言うばかりで叱ったりはしない。
 体型的にふくよかであるが(ムーミン一族は全てそうである)、痩せているよりも少しふくよかな方が女性的と感じるのは私だけだろうか。特に中年になってからは、ふくよかな方がいいと思う。

『たのしいムーミン一家』のムーミンママ


2025年7月30日水曜日

墓じまい

  私は広島県南部の呉市で生まれた。かつての軍港を見下ろす高台にあった借家に、祖母、両親、姉と私の5人で暮らしていたが、父が広島市の近くに家を建てたので、小学校3年の終わりに引っ越した。
 借家の玄関前は細い路地になっていて、路地を出て大きな通りを隔てたところに小学校があった。小学校の軒下にできた氷柱(つらら)をランドセルに入れて私が帰宅したことがあったと母が話していたが、それくらい近い距離だった。
 小学校のそばに戦艦大和の艦橋をかたどった塔があった。旧呉海軍工廠で戦艦大和が建造されたためで、1969年の第30回大和進水日(8月8日)を記念して建てられたというから、私が転校する前の年に当たる。

戦艦大和の塔

 幼い頃、父に連れられて近くの大きな公園で自転車の練習や凧揚げをした記憶がある。当時は今のように子供用の小さな自転車はなく、大人の自転車でいきなり練習をしたので、乗れるようになるまで何度も転んだ。
 凧は走って揚げると癖がつくので、風を使ってなるべく止まったままで揚げるように言われた。とても広い公園だったので電線にひっかかる心配もなく、新聞紙で作った足を自分で付けた奴凧を揚げていた。
 その公園のことを父は「れんぺいじょう」と呼んでいた。私はそういう名前だと思っていたが、大人になってから「練兵場」だったことに気づいた。旧海軍の第一練兵場は、現在、「呉市民広場」となっている。

呉市民広場(旧練兵場)

 広島へ引っ越した後も、墓だけは呉に残っていた。休山の登山口に続く道沿いにある市営墓地へ行く道路は狭くて、対向車とすれ違うのは大変だった。父の墓参りに母は呉駅からタクシーで行き、そのタクシーで駅まで戻っていた。
 母が亡くなって数年経ち、姉もなかなか行くのが難しいし、私自身お参りするのがしんどくなってきたので、このたび東京へ改葬し墓じまいすることになった。
 呉市役所に届を出し改葬許可証の交付も受けており、8月のお盆明けに工事請負業者の立ち合いのもと更地になったことを確認し、遺骨を受け取る手はずになっている。

休山から見た呉港

 我が家の墓の隣は呉で近所だった家の墓である。敷地の広さはほぼ同じであるが、二つの墓が立っている。一つは普通の墓だが、もう一つは立派な軍人の墓である。祖母が仲良くしていたおばあさんが軍人墓地から移転させたと聞いていた。
 おばあさんには三人の息子がいたが、長男は夭折し、次男と三男は戦死した。私の父も同世代であったが、理系に進んだので戦争へ行かずに済んだ。しかし、おばあさんの息子二人は海軍へ入った。
 墓石には次男の戦死は昭和20年初め、三男の戦死は同年8月1日と刻まれている。ボツダム宣言が発せられたのは同年7月26日、もうすぐ終戦記念日の8月15日を迎えるが、おばあさんはさぞかし無念であったろうと思う。



2025年7月26日土曜日

辻邦生

 一般的に、同じ小説を複数回読むことは少ないのではないだろうか。とても面白いと思っても他にもたくさん作品があるのでなかなか同じものを繰り返して読む気にはならない。
 私の場合、辻邦生の『背教者ユリアヌス』だけは3回読んでいる。高校生の時に誰かに紹介されて文庫本を読み、就職後と定年・再就職後に単行本を読んだ。
 かなりの長編であり今でもよく読めたと思うが、内容的に何か惹かれるところがあったのだろう。長編作品は一旦面白いと思うと結末まで読まずにはいられなくなる。

『背教者ユリアヌス』(中央公論社、1972年)

 段ボール紙で装丁された中央公論社の単行本に、「(前略)雄大な規模を持つ二千枚の長篇が、一章を読み終らぬうち、たちまちに我々を魅了し、息つくまもなくぶ厚い人間と歴史の奔流の中へと巻き込んでゆく。(後略)」と北杜夫は書いている。
 叙事文学の体裁を取りながら、哲学者皇帝ユリアヌスと先帝の美貌の皇后エウセビアとの禁断の恋をからませて絵巻のように物語が展開していく。北杜夫は「(前略)小説の醍醐味を私は堪能した。」とも書いている。
 ローマ帝国の歴史をよく知らない私でも、ヨーロッパ全土にわたる壮大なスケールと登場人物の面白さに加え、「背教者」という言葉の響きが印象に残った。3回読んでも飽きることはなく、辻邦生の作品の中では一番好きである。

『天草の雅歌』(新潮社、1971年)

 辻邦生でもう一つ好きな作品を上げれば『天草の雅歌(がか)』である。単行本の帯には「鎖国派と海外交易派の政争の渦中で、混血の美女との愛を生きる支えにして、時代の権力に挑んだ長崎奉行所の通辞をとうして描く、鎖国をめぐるロマン」とある。
 単行本の帯の裏には「(前略)私たちがかつてたのしい作品を前にして感じた興奮と、期待と、不可思議なおののきとを、もう一度、〝小説〟のなかに取り戻してみたいと思ったのである。(後略)」という作者のことばがあった。
 私は地下鉄でドアにもたれてこの本を読んでいる時、悲恋の結末に感極まって思わず落涙しそうになったことがある。急にポケットからハンカチを出して顔を隠した私を、周囲の人は変な奴だと思っただろう。

「春の戴冠・嵯峨野明月記 展」の冊子の表紙から

 辻邦生は整った顔立ちの人だった。上記の写真は2016年に学習院大学史料館で開催された「春の戴冠・嵯峨野明月記 展」で入手した冊子の表紙に掲載されたものである。小さいのでわかりにくいが、二枚目の雰囲気がある。
 この顔でフランス語ができて、学習院大学文学部フランス文学科で教授等をされていた。上記の展示会へ行った際、受付の上品な女性に「辻先生はもてたでしょうね」と声をかけたところ、「それはもう」という答えが返ってきた。
 私は拙著『やっぱり滋賀が好き』のまえがきで、辻邦生の『言葉の箱ー小説を書くということ』(メタローグ、2000年)から、「あなた方一人ひとりの大事な一回こっきりの人生ですからね。(中略)この一回こっきりの自分というもの、自分のいまの世界を本当に大事にしてください」という彼の言葉を紹介しており、人生に対する姿勢が好きである。





2025年7月23日水曜日

I Need You

Best of Soul Ballad のジャケット

 ソウル・バラードの名曲、モーリス・ホワイトの"I Need You"。裸の背中を見せて横たわる女性のジャケットに釣られて買ったCDの1曲目に入っていた。
 この人が歌った曲は、私はこれしか知らない。調べてみると、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのバンドリーダーで、生涯唯一のソロアルバムに収録されたらしい。
 メロウな感じのスローなテンポで始まる曲が、"You say"でいきなり転調し"I need you"と高らかに歌い上げる。その歌声は圧倒的で、何度聴いても思わず口ずさみたくなる。

"I Need You" youtubeより

 防弾少年団(BTS)の"I NEED U (Japanese Ver.)"もいい。デビュー3年目にして音楽番組で1位を獲得した曲だけのことはある。
 韓流には何の興味もなく、「『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンとペヤング・ソース焼きそばは何か関係があるのか」などとふざけたことを言っている私であるが、知り合いの韓流好きの男性に教えてもらった
 サビの部分で合いの手のようにテンポ良く"I need you girl"が繰り返される。見た目だけのアイドルグループと思っていたが、楽曲もしっかり作られている。

"I NEED U (Japanese Ver.)" youtubeより

 最後はバリー・マニロウの"Mandy"である。1974年にレコーディングされ、Billboard Hot 100で第1位を獲得した。
 かつての恋人の優しさを理解できず、遠くへ追いやってしまったことを悔やみ、Mandyという彼女の名前を繰り返し叫ぶ。
 タイトルは"I need you"ではないが、曲のラストの部分で、"And I need you"と歌い上げるバリー・マニロウの声は余韻となって耳に残る。

"Mandy" youtubeより

 "I need you"は"I love you"よりも強い表現である。単に愛しているだけではなく、必要としている。生きていく上でかけがえの無い存在である。その人がいなくては生きていく意味が感じられない。
 そんな"I need you"と言いたくなる人があなたにはいますか?


2025年7月20日日曜日

私の本棚

私の本棚の一部


 三省堂の新明解国語辞典(第七版、2012年)によれば、ブログとは「個人が日記形式で書き込めるウェブサイト。開設者は身辺の出来事や、その感想を記したりし、閲覧者はそれにコメントを記すことができる。」とされている。
 近所の珈琲豆焙煎所で「ブログの閲覧数が伸びない」と愚痴っていたら、ご主人が「今日の出来事を書いてみたらどうですか」と言われたので、昨日、本を売りに古書店へ行った話を書いてみることにする。

 私の小さな部屋には本棚が二つある。一つは近くにあった府中家具店の閉店セールの時に買ったガラス扉付きのもので20年近く愛用しているが、奥行きがあって多くの本が置けないので、下部がレール付きで前後に文庫本などを置ける本棚をニトリで購入した。
 そんなに本を買う方ではないが、辻邦生が好きで単行本があれば買ったり、滋賀に関する本を見つけては買っていたら、徐々に本が増えてしまった。そこで、本当に残したい本と執筆の資料となった本以外は処分することにした。

 主に近所のブックオフへ持っていったが、古い単行本はISBN(国際標準図書番号)がないとか状態が悪いという理由で値段が付かないことが多かった。先日、最後に残った辻邦生の本などを20冊ほど持って行ったが、2冊しか値段が付かないと言われた。
 一旦そのまま持ち帰ることとし、昨日、値段の付いた本を含めた3冊を別の古書店へ持って行ったところ全て値段が付かないと言われた。念のため、もう1軒古書店を当たってみたが、そこでも値段は付かないと言われた。

 結局、再びブックオフへ持ちこんだところ、ISBN(国際標準図書番号)がある比較的最近の本が150円で売れた。ブックオフも古書店も売れない本を買う訳にはいかないので、仕入れに厳しいのは当然であり、査定に不満はない。
 ただ、一般的には古い本はブックオクでは値段が付かないが古書店では買ってもらえると思っていたが、そういうことでもないらしい。写真は最終的に残った私の好きな本である。売ることはないが、値段が付かないのは間違いない。