『案山子』youtubeより
案山子(かかし)を最近は見ることがない。というか、今までに案山子を実際に見たことがないような気もする。
しかし、案山子がどんなものであるかは知っている。たぶん、本や雑誌で案山子の写真を見たのだと思う。
さだまさしの『案山子』は1977年11月のリリースで、ちょうど私が大学進学のため上京した時期と重なっている。
「元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る」で始まる歌詞は、私のように地方出身の学生にはドンピシャだった。
また、「手紙が無理なら電話でもいい 『金頼む』の一言でもいい お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ」という部分は、携帯電話などなかった当時の状況をよくあらわしている。
もう母は亡くなってしまったが、そんな気持ちではなかったのかと、今でもふと思って涙が出そうになることがある。
『加速度』youtubeより
『案山子』が収録された、さだまさしのソロ3枚目のアルバム『私家集』(アンソロジィ)には初期の習作が詰まっている。
最後から2番目の『加速度』という曲は、公衆電話から別れを告げる恋人の声に耳を傾けている歌である。
「最後のコインが今落ちたから今迄のすべてがあと3分ね」という歌詞があるが、携帯電話があたり前の今の若い人には伝わらないだろう。
当時、学生で個人の電話を持っている人は少なかった。下宿先の電話も管理人からの呼び出しというのが多かったと思う。
恋人に電話するなら公衆電話が当たり前で、10円で3分だったから上記の会話が成り立つ訳であるが、それを「今迄のすべてがあと3分」と表現するのが上手い。
電話加入権付きの固定電話を下宿に設置した時はとても嬉しかった記憶があるが、恋人ではなく故郷の家族と話すことの方が多かった。
『主人公』youtubeより
『私家集』の最後の曲は『主人公』である。さだまさしのファンの人気投票では1位になる人気曲であり、「自分の人生は自分が主人公」ということが歌われている。
「時には思い出ゆきの旅行案内書(ガイドブック)にまかせ 『あの頃』という名の駅で下りて『昔通り』を歩く」という歌詞で始まる。
先日、大学時代の友人と久しぶりに会って昔話をした時、友人が「当時の下宿先へ行ってみたが何も残っていなかった」と話していた。
下宿先に風呂が付いていることはなく近くの銭湯へ行っていたので、かぐや姫の『神田川』の歌詞の「小さな石鹸 カタカナ鳴った」は普通だった。
その銭湯も残っていない。その後の宅地開発で跡形もなく消えてしまった。今では銭湯の入口で恋人が出てくるのを待つことなどあり得ない。
時の経過はすべてを変えてしまう。『主人公』の歌詞のとおり、想像の中で過去へ遡ることはできたとしても、それを糧に現在を生きるしかないだろう。
2 件のコメント:
当時は不便だったかもしれませんが、どこか人の温もりを感じます。
平成初めに学生時代を送った私の時代の恋愛ソングは、ユーミンや山下達郎のクリスマスイブなど華やかですが、バブルのせいか、どこか浮わついた感じでした。
地方出身の私には縁はありませんでしたが。
知らない時代を知ることができてありがたいです。
またの投稿を楽しみにしてます。
どうもありがとうございます。時間がかかるという意味では不便だったかもしれませんが、それしか手段がない以上特に不便だと感じたことはありませんでした。
最近でも時々手紙を書きます。ポストに投函してから相手に届くまで日数がかかりますが、いつかは届くとわかっているので、それを待つ時間を楽しむことができます。
ただ、夜に書いた手紙は明朝にもう一度読み直してから出すようにしています。
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