2025年6月12日木曜日

豊島一族と太田道灌

 東京都練馬区にある石神井公園の三宝寺池のほとりに石神井城址がある。石神井城は中世武士の豊島氏の城で、南北朝時代には石神井郷を領有していたとされる。
 室町時代、城主豊島泰経(としまやすつね)は関東上杉氏の内部抗争に巻き込まれて江戸城主の太田道灌(おおたどうかん)に攻められ、石神井城は1477年(文明9年)4月に落城したと伝えられている。この豊島一族と太田道灌の闘いを「江戸にもあった関ケ原の戦い」と言う人もいる。
 1998年(平成10年)から6年間にわたって実施した市民参加の発掘調査で堀と土塁が見つかり、小規模な掘立柱(ほったてばしら)建物が建てられていたと考えられている。1967年(昭和42年)9月17日建と書かれた記念碑は字がよく読めないが、豊島・太田一族をともに供養する旨が刻まれている。

石神井城址の石碑と記念碑

 JR御茶ノ水駅の聖橋口を出て、池田坂のあるお茶の水仲通りを靖国通り方面へ下っていく途中に太田姫稲荷神社はある。左手に三井住友海上火災保険の立派なビルがある交差点の右手の片隅に石造りの鳥居がある。
 太田姫稲荷神社縁起と書かれた看板に古社名を一口(いもあらい)稲荷神社として説明が書いてあるわかりにくい説明であるが、もともと山城国(京都府)の南にある一口稲荷神社から、太田道灌の娘の病気の際に祈祷の品を授かって江戸城内本丸に神社を建立し、1457年(長禄元年)に江戸城の鬼門に移して太田姫稲荷大明神としたようである
 その後、1606年(慶長11年)の江戸城大改築の際に現在の場所へ移されたとのことであるが、江戸城内から太田姫稲荷神社の辺りまでは太田道灌の勢力が及んでいたと考えていいのではないかと思う。

太田姫稲荷神社

 豊島屋は神田猿楽町にある酒造業者で、東京における最古の酒舗といわれ、1596年(慶長元年)に創業者の豊島屋十右衛門(としまやじゅうえもん)が、神田鎌倉河岸(現在の千代田区内神田)で酒屋兼居酒屋を始めたのが起源とされている。
 豊島屋のホームページには豊島一族との繋がりについては触れられていない。豊島一族については、太田道灌に攻められ1477年(文明9年)4月に石神井城が陥落し、逃亡した城主の豊島泰経が翌年1月に再起を図ったものの、道灌に再び敗れたとされている。豊島屋十右衛門が創業する百年以上前である。
 豊島泰経は足立から北に逃げたと言われているが、その足取りは杳として知れない。石神井城址の西側に隣接して石神井氷川神社がある。神社の説明によれば、旧社地は「石神井川沿いの低地にあった」とも伝えられ、応永年間(1394~1428年)に豊島氏が大宮の武蔵一の宮・氷川神社の分霊を奉ったことに始まるとされている。
 境内には1699年(元禄12年)に豊島氏の子孫と称する豊島泰盈(やすみつ)・泰音(やすたか)親子が寄進した石灯籠が残されている。ということは、豊島一族は完全に滅んでおらず、豊島屋と何らかの関係があるのではないかと思ってしまう。
 
鎌倉河岸跡の説明版
(鎌倉橋を神田方面に渡った左側にある)

 太田道灌の息がかかった太田姫稲荷神社からそんなに離れていない神田鎌倉河岸で、豊島一族に繋がる人物が酒舗を始めるということがあるだろうか。石神井城の陥落から百年以上経っているとはいえ、豊島・太田一族の戦いは人々の記憶に残っていたに違いない。
 一方で、「道灌」という銘酒を造っている滋賀県草津市の太田酒造は、太田道灌公を遠祖に持つとホームページに書いている。お酒との関係は豊島一族よりも太田道灌の方がありそうな気がする。
 かつて筆者はこのような情報を基に歴史ミステリーのようなものを書きたいと思ったことがある。しかし、「牽強付会(けんきょうふかい)が得意」と言われたことのある私でもその時は上手く行かなかった。むしろ豊島屋という屋号を用いることで人々の話題になることを狙った巧妙な宣伝だったのかも知れない。




6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

神社仏閣と豪族との歴史という視点は面白いと思います。
そうした時代の状況を触れていく中で、その時代の人間、社会、歴史について我々に何か気づきみたいなものにも触れていただくと嬉しいです。

匿名 さんのコメント...

ありがとうございます。示唆に富んだ投稿となるように努めます。

匿名 さんのコメント...

興味深く読ませていただきました。
内神田の豊島屋ビルは通勤途中にで、東村山の豊島屋酒造は営業途中に前を通ったことはありますが、詳しい歴史は知りませんでした。
今回、新たな知識が増えました。

大鯰 さんのコメント...

ありがとうございます。

匿名 さんのコメント...

東京23区には随分たくさんの城趾があるらしい。戦国時代の名残りか。石神井城趾もその一つ。面白いのは練馬城趾が現在の豊島園、とか。? 豊島園は豊島区にはなく、練馬区にある。石神井豊島氏の発祥の地は現在の豊島区? 豊島氏は古い名家〜豪族、国人コクジン。庶流も随分あって、酒屋になったのまで済々。以上、ブログオーナーを上回る牽強付会の一席〜匿名ですが、こじつけ庵と称します。

大鯰 さんのコメント...

こじつけ庵さん、流石ですね。牽強付会でもないような気がします。私は滋賀好きなので、草津の太田酒造と結び付けたかったのです。道灌の遺言は「当方滅亡」という意味不明な言葉だったと言われていますが、その遺言に従って太田氏の子孫が豊島屋として酒屋を始めたというふうに考えたのですが、やはり牽強付会のそしりを免れないですね。