己高山と書いて「こだかみやま」と読む。湖北の木之本から山側に少し入った古橋に登山口がある。標高九百二十三メートルというから、さほど高い山とは言えないだろう。この山に前から一度登りたいと思っていた。その理由は山頂の近くに鶏足寺跡があるからである。鶏足寺は「己高山由緒」において行基によって創建され泰澄も入山した後に荒廃し、最澄が再興したと書かれている。琵琶湖を望む台地に礎石、石垣、庭園等が姿をとどめているとのことであり、そこまでの登山案内図が上の写真である。下の写真は往時の鶏足寺の様子を描いたもので、そこにかつて安置されていたとされる仏像が収蔵されている麓の己高閣(「ここうかく」)の前にあった。右上に白山が描かれているが、己高山の山頂まで登れば遠く白山を望むことができるそうである。膝を痛めていたこともあって、六地蔵の手前までしか行けなかった。白山への道は遠い。
2016年8月16日火曜日
2016年6月12日日曜日
雨森芳洲
雨森芳洲が滋賀県出身ということは前から知っていた。高月町の渡岸寺(どうがんじ)
の隣にある歴史民俗資料館で郷土の名士として展示があったと思う。最近、先輩から教えてもらって永留久惠氏の「雨森芳洲」という本を購入した。上の写真もその本の巻頭に載っている。江戸時代に木下順庵門下で雨森芳洲は新井白石とともに随一の人材と言われた。朝鮮通信使を通じて当時の朝鮮外交に果たした役割は大きい。隣国と「誠信」の交わりを掲げ、新井白石を「暴戻の儒」と弾劾することも雨森芳洲だからできたのだろう。対馬藩に仕官しその生涯を終えた雨森芳洲は、陶山訥庵、宗助国と並び「対馬の聖人」と称される。
2016年3月20日日曜日
近江国輿地志略
古本屋で購入したもの。先週見つけて欲しいと思ったが、高価だったので買うのを躊躇った。
ネットで調べてもなかなか無いし、第一巻だけでもかなりの値段が付いていたので、思わず買ってしまった。団体が保管していたもので、蔵書印があるし、インデックスが付いていた。「滋賀文化財教室シリーズ」No.231によれば、「近江の歴史を研究する人々にとって『近江輿地志略』ほど重宝な資料(地誌)はないだろう」とされている。近江に関する書籍が相当増えてきたので、古本屋巡りは止めて読まずに貯まった本に目を通していきたい。
2015年12月14日月曜日
棟持ち猿
日吉大社の棟持ち猿。写真の中央上部に正に棟を支えるかのように挟まっている。
西本宮楼門だけで東本宮楼門にはない。お猿さんは神様のお使いで神猿(まさる)
と呼ばれ、魔除けの象徴として境内で猿が飼育されている。猿のおみくじやお守り
もあり、参拝券を見ると「平成二十八年は申年です」と書いてある。猿だらけである。
雄琴港
夜明け前の雄琴港。雄琴温泉に泊まって朝の散歩をしていた時に撮った。まだ薄暗いので良い写真は撮れないだろうと思っていたが、思いの外きれいに撮れた。中央のはるか向こう、琵琶湖の対岸には近江富士と呼ばれる三上山が霞んで見えている。我々の世代は「雄琴」と聞けば特定のイメージを持っているが、今では家族連れやカップルも多い。豊富な湯量に加え、京阪神からのアクセスの良さを考えれば、人気があるのも頷ける。昭和4年に開業した一番の老舗に泊まったが、文句の付けようがない程心地良かった。また是非泊まりたい。
2015年12月13日日曜日
寿長生の郷
「冬の花」と尋ねられて何を思い浮かべるだろうか?それは「あじさい」と教えてくれた人がいる。その花の写真が撮りたくて「寿長生の郷」を訪れた。写真の真ん中にあじさいの新芽が写っている。色の乏しい冬にその紅は花のように見えるに違いない。そんな感性の鋭い方だった。「寿長生の郷」を造った叶匠壽庵の前会長、芝田清邦氏である。その芝田氏が今年の初めに急逝された事を後で知った。本当はもう一度お会いしてもっとお話を伺いたかった。それができないのは残念でならないが心よりご冥福をお祈り申し上げる。
2015年10月3日土曜日
両大師
慈恵大師と慈眼大師をまつるので両大師と言われている。慈恵大師は良源大僧正で永観3年(985)正月3日に死去しているので元三大師とも言われる。
慈眼大師は寛永寺の開祖天海僧正であり、元三大師を深く信仰していた。今日は毎月3日の法要があるせいか、10時前から人出がある。
千年以上法要が続いているのはすごいが、今の僧侶は元三大師をどれだけ知っているのだろう。
「応和の宗論」で教条主義の南都六宗を論破した姿勢には崇高な学僧のイメージが重なる。その教えは現代にも通用するに違いない。
実りの秋、上野公園には銀杏拾いの後の臭いが少し残っていた。
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