雨森芳洲が滋賀県出身ということは前から知っていた。高月町の渡岸寺(どうがんじ)
の隣にある歴史民俗資料館で郷土の名士として展示があったと思う。最近、先輩から教えてもらって永留久惠氏の「雨森芳洲」という本を購入した。上の写真もその本の巻頭に載っている。江戸時代に木下順庵門下で雨森芳洲は新井白石とともに随一の人材と言われた。朝鮮通信使を通じて当時の朝鮮外交に果たした役割は大きい。隣国と「誠信」の交わりを掲げ、新井白石を「暴戻の儒」と弾劾することも雨森芳洲だからできたのだろう。対馬藩に仕官しその生涯を終えた雨森芳洲は、陶山訥庵、宗助国と並び「対馬の聖人」と称される。
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