2025年4月22日火曜日

レストイン多賀

広島へ帰省するのに東京から車で行くことになって途中のレストイン多賀に泊まった。ハイウェイホテルでサービスエリアの片隅に専用の駐車場とホテルの入り口がある。
2階の受付まで階段だけでエレベーターがなく、キャリーバックを引きずる私にとってはバリアフリーでないのが残念だったが、大浴場があるのは有り難かった。
ツインの部屋はシンプルで快適だった。つかの間の休憩の後、早速大浴場へ向かった。長時間の運転に疲れた体には暖かいお風呂が心地良かった。
風呂から上がってサービスエリアへ夕食に出かけ、昼食が遅かったので、軽めにハンバーガーを食べた。
2回目の風呂の後に飲むビールを買おうとしたが、売店に見当たらない。売り子の人に聞くと、高速道路上なのでアルコール飲料は売ってないと教えてくれた。
その時、古い記憶がよみがえった。30年以上前に仕事でニューヨークに1年ばかりいた時、休暇にロサンゼルスへ旅行に出かけた。
空港でレンタカーを借りて、何マイルも真っ直ぐに続く道路をラスベガスへ向かい、グランドキャニオンを覗いて、モニュメントバレーの近くのモーテルに泊まった。
ビールでも飲もうと思って売店で聞いたところ、アルコール飲料はこの地域では販売していないと言う。車で何マイルか先へ行って地域から出ないとダメだと言われた。
地域というのはインディアンの居留区のことである。アメリカには州境と別にインディアンの部族ごとに決められた境界がある。
インディアンはアルコール依存度が高いので、アルコール飲料の販売が禁止されているというのだ。インディアンにアルコールと性病を持ち込んだのは白人と聞いたことがあるが、その結果がこんなことになるなんて迷惑な話である。
さて、レストイン多賀の入り口のそばに胡宮(このみや)神社への順路を示す看板があった。調べてみると、もともとは敏満寺(びんまんじ)の境内にあった鎮守社だそうである。
敏満寺は聖徳太子開基の天台宗の寺院で、湖東三山と並ぶほど盛えたとされている。この一帯は聖徳太子開基という寺院が多い。
しかし、「胡」は古代中国の北方・西方民族であり、中国からの渡来人と関係があるのではと思ってしまう。湖東三山の一つは百済寺(ひゃくさいじ)であり、朝鮮との関係があるに決まっている。
多賀から蒲生野にかけて琵琶湖と鈴鹿山地の間に平地が広がっている。大陸から日本海を越えて来た人達が琵琶湖を丸木舟で渡って、たどり着いたところに定住した可能性は十分あると思う。
翌朝の散歩に胡宮神社へ行こうとしたが道を間違えて行けなかった。レストイン多賀は名神高速の下りのサービスエリアにあり、そこから歩いて胡宮神社まで15分ほどなのに高速を跨ぐ歩道橋を渡って上りのサービスエリアへ行ってしまい、出発までもう時間がなかった。
でも悔やむことはない。実は広島から東京への帰りもレストイン多賀で一泊の予定になっている。その時に歩道橋を渡って胡宮神社へ散歩に行けばいい。


2017年5月12日金曜日

古例大祭(馬まつり)

古例大祭で多賀大社から「尼子の打籠馬場」へ歩く途中にある「糸切餅本家ひしや」の店内に掲げてあったもの。江戸時代の「馬まつり」の様子である。「ひしや」は旧中山道高宮宿からの多賀道に面し、店先には鳥居本への近道を示した道標があった。それにしても、糸切餅の由来とされる元寇について、多賀大社の由緒で記載がないのは何故だろう。

2017年3月26日日曜日

2017年2月26日日曜日

玉泉寺

元三大師の生誕地と伝わる滋賀県長浜市にある寺。北陸本線の長浜駅の一つ先の虎姫駅から徒歩20分程のところにある。

2017年2月19日日曜日

おみくじ


 上野の両大師へ先日行った時に撮影したおみくじの説明ペーパーの写真である。
 両大師については、以前にこのブログで紹介したとおり、元三大師と天海僧正が祀られている。

 元三大師はおみくじの創始者と言われており、そのおみくじの見方が書いてある。つまりは、吉凶よりも何が書かれているかが大切であるという。良いことが書かれていても油断せず、悪いことが書かれていれば努力が必要と説く。
 
 まったくおっしゃるとおりだが、ついつい一喜一憂してしまうのが人間の弱さだろう。

2017年1月3日火曜日

白髭神社

元旦に白髭神社へ初詣をした。おごと温泉から湖西線の始発に乗って近江高島で降り、駅から歩くと40分かかるのでタクシーを予約した。神社の相当手前から駐車場に入り切らない車の路上駐車でタクシーを降りるのも大変だった。参拝客は湖上の鳥居の向こうから上る初日の出を待っていたが、山の端に雲がかかってうまく見れない。写真はリーフレットから拝借した。御祭神は猿田彦命であるが、新羅神社の一つと「新羅の神々と古代日本」(出羽弘明、同成社)に書いてある。翌日、大津の三井寺の敷地内にある正真正銘の新羅神社(新羅善神堂、国宝)へ行ったが、訪れる人もなく閑散としていた。

2016年9月26日月曜日

瀬田の唐橋

瀬田川を西側から渡る中洲にある「あみ定」から見たもの。俵藤太物語絵巻によれば、唐橋に大蛇が横たわっていて三上山の百足を退治してくれと頼まれたというが、実際は唐橋から三上山を見ることはできない。大は瀬田川の龍神の化身で、瀬田川を渡った東側を南へ少し行くと龍王宮秀郷社がある。物語に登場する俵藤太と実際の歴史上の人物で平将門を討伐した藤原秀郷が同一視されている。龍王宮秀郷社へ通じる道沿いの大津東ロータリークラブが立てた看板に「瀬田橋を制するものは天下を制する」と書いてあり、唐橋を舞台にした出来事が並べられている。壬申の乱、藤原仲麻呂の乱に続いて「藤原秀郷による百足退治」となっているところがなんとも微笑ましい。