先日、湯島聖堂へ行った日、知人と昼食をした後で上野公園へ出かけた。実は、夕食も別のメンバーと一緒にすることになっていて、時間を潰す必要があった。
週末のお昼過ぎとあって外国人観光客などで混んでいたが、まず寛永寺開山堂へ向かった。開山堂は一般に「両大師」と呼ばれ、二人の大師が祀られている。
一人は寛永寺を開山した慈眼大師天海で、もう一人は天海が尊崇する元三大師良源であり、おみくじの始まりと言われる元三大師のおみくじを引きたかった。
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東叡山 寛永寺のパンフレットより |
上記の山内図のとおり、JR上野駅の公園改札口を出て国立科学博物館の前を通り過ぎると東京国立博物館の右手に開山堂はある。
その日は元三大師の月命日で朝は法要が営まれたようだが、私が訪れた時には閑散としていた。しかし、ここにも外国人観光客の姿があった。
お参りを済ませて寛永寺のパンフレットを買い、元三大師のおみくじを引いた。おみくじのことは拙著『やっぱり滋賀が好き』の元三大師の項に書いているので、ご興味のある方はそちらをお読みいただきたい。
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「上野公園マップ」より |
開山堂を出てから上野公園の案内図を見ていて、西郷隆盛の銅像の手前に王仁博士の碑(上記マップの赤で囲んだ左の方)があることに気づいた。
今まで王仁博士のことを何も知らなかったが、あることがきっかけで百済から日本に渡来し、千字文(漢字)と論語(儒教)を伝えたとされる伝承上の人物であると、最近になって知った。
記紀に記述されているが、伝承上の人物ということで学校で教わらなかったのだろうか。中学や高校の歴史の授業で聞いた記憶がない。
王仁博士の碑 |
王仁博士の碑は昭和初期に朝鮮人の発起により、日本からも有名な政治家や思想家も協賛
して建立された。当時の時代背景もあったのだろう。
私が王仁博士を知るきっかけとなったのは、来月に訪問予定の滋賀県・近江八幡市にある日牟礼八幡の「日牟礼」の由来である。
日輪(太陽)から来ていると伝えられているが、和邇氏・日觸使主(わにうじ・ひむれのおみ)の「日觸」が転じたものとする説がある。
和邇氏は応神天皇に縁の深い近江土着の氏族とされている。王仁は、日本書紀では王仁、古事記では和邇吉師(わにきし)と記されているらしいので、「和邇」と「王仁」が関係するのは間違いない。因みに、王仁は音読みすると「おうじん」となる。
王仁は百済からの渡来人であるが、百済だけではなく新羅や高句麗からも海を渡って来たに違いない。近江には百済寺も新羅善神堂(三井寺)も高麗寺もある。
渡来人が関係している古代史の話となると近江には多くの痕跡が残り、興味が尽きない。やっぱり近江は奥が深い。
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