一週間後の桜の花。ここ二、三日の陽気で
かなり散って、青葉が目立つようになった。
コブクロの「桜」の「桜の花びら散るたびに
届かぬ思いがまた一つ」という歌詞を思い
出しながら、水無川のほとりを通り過ぎた。
自然は常に変化している。この世に変わら
ないものなどない。しかし、自分の心だけは
一途に思い続けることは不可能ではないの
だろう。季節は急速に初夏に向かっている。
家の近くの水無川のほとりに咲いていた桜の花。
下方から見上げると、つい西行法師の「願はくは
花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月の頃」
と口ずさみたい気になる。今日は旧暦になおすと
2月26日で、西行の入寂は2月16日である。
きさらぎの望月は釈尊入滅の日であり、その日の
往生を願っていたという。窪田空穂は西行法師
(現代歌人研究、昭和13年)で、「釈尊入滅の日
に、桜の花をからませ来り、その桜の下で往生し
ようと願うのは、釈尊の思はくも憚らず、飽くまで
も我を立てたことで、一層西行らしい願ひである」
と書いている。私としては、釈尊に倣うとはいえ、
花冷えの時期に桜の下で死にたいとは思わない。