2015年9月23日水曜日

大山参り


大山参りについて書くつもりだったが、良辯のこと
なりそうだ。良辯は東大寺の初代別当で、755年に
大山寺を開山したと伝えられる。その際、最初に水行
を行ったのが、良辯滝ということである。鬱蒼とした
佇まいは雰囲気十分で、隣に小さな開山堂があった。
良辯については、白洲正子の「かくれ里」の「金勝山
をめぐって」の中に記載がある。聖武天皇の命により
近江の金勝寺の創立に関わったとされ、百済の帰化人
の子孫という。東大寺の創建にまつわる金鷲行者とも
関連しているとされる。一方で、相模の人されるので
大山寺の開山者になったのかも知れない。689年の
生まれとすると開山時は66歳だが、ケーブルカーの
運休により徒歩で登った僕は、まだ筋肉痛に悩まされ
ている。おみやげに江戸末期から続く大山まんじゅう
「良辯」を買った。珍しく息子が美味しいと言った。

2015年9月22日火曜日

太田道灌

五連休に一泊しようと伊勢原の大山の麓に宿を取った。
その途中に太田道灌の墓があるというので行ってみた。
太田道灌は、主君に謀殺され1486年に亡くなったと
伝えられる。荼毘に付されたという洞昌院に墓はある。
入口には立派な石碑があるが、小さな石塔があるだけで
周囲はさびれており、訪れる人は少ないかも知れない。
墓の横に、太田道灌と山吹の花との縁を説明した看板が
あった。「花がさいても実のならぬ山吹の花」という
があるが、実はなるが食えないという解釈もあるらしい。

2015年9月19日土曜日

ランボー詩集

吉祥寺の古本屋で先日見つけてから、
我慢していたがやっぱり買ってしまった。
大塚博堂の「私はもう女です」という歌に
「ランボー詩集を手にした時から青春は
後向きに駆けだした」という歌詞がある。
訳者の一人の金子光晴は「あとがき」で
「一世紀に一人二人はむつかしく、五世紀
十世紀かかって出るか出ないかである」
と書いている。本当の天才に違いない。

2015年9月13日日曜日

二十世紀梨

秋の果物と言えば梨、それも二十世紀梨が
私は好きである。中国地方の出身で幼い頃
から食べていたせいだろう。今でもこの時期
には母が送ってくれるので必ず食べている。
ネットで調べると原産地は千葉県松戸市で、
ゴミ捨て場に生えていたものを偶然見つけて
品種改良したそうで、明治31年(1898年)に
「二十世紀」と名付けられたとのことである。


2015年9月6日日曜日

元三大師

山田恵諦著の「元三大師」を読んだ。山田恵諦氏は
第二五三世の天台座主で、平成六年に亡くなられた。
本書は、昭和三十四年に元三大師の九百七十五回忌
を記念して出版されたが、たちまち品切れになったそう
である。僕は平成十一年の第四版を中古で入手した。
写真の彫像も本書から拝借したが、五年半ほど前に
大津市歴史博物館で大師の千二十五回忌を記念した
展覧会が開かれていて同じような彫像をたくさん見た。
当時もそうだったが、本書を読んで元三大師はすごい人
だと改めて感じた。「上野両大師」に行ってみようと思う。