2015年10月31日土曜日

千福の半纏

ご近所にある酒店が今日限りで閉店した。写真の
半纏はお店のおかみさんから記念にもらったもの
である。広島県呉市にある三宅本店の「千福」を
扱っていて、同市生まれの自分としては親近感を
持っていた。また、東京では珍しく滋賀県草津市
にある太田酒造の「道灌」も扱っており、時々買い
行っていた。なくなってしまうのが残念でならない。
数年も経てば、酒屋があったのも忘れられてしまう
だろう。この世で変化しないものなどない。人間の
記憶なんていい加減なものである。半纏を羽織って
みると着心地がとても良かったが、「今すぐにでも
丁稚になれそうだ」と家族から言われてしまった

2015年10月24日土曜日

二匹目のウナギ

2012年から飼ってたウナギが死んでしまった。
「なぎ助」という名前を付けて、家族みんなから
可愛がられていたが、生餌しか食べなかった。
エサ用の金魚や食用のドジョウを買って与えて
いたので、エサを確保するのが一苦労だった。
二代目「なぎ助」はまだ稚魚でかなり小さいが、
水槽育ちなので練り餌も食べられる。「二匹目
のドジョウ」ならぬ「二匹目のウナギ」である。
 

2015年10月18日日曜日

晴暘の仏像

「小川晴暘の仏像」という写真集である。
仏像写真を芸術に高めた第一人者で、
文化財写真の宝庫「飛鳥園」を創業した
と箱に付いている帯に書いてあった。
百貨店の特設売り場で定価16,000円が
半額で売られていた。それでも高いが、
収録されている写真が美しかったので
思わず買ってしまった。本来は信仰の
対象であるが、確かに芸術品のようだ。

2015年10月12日月曜日

月島

地図は四方田犬彦氏の「月島物語」から拝借した。
同書の記載では、1891年(明治24年)7月6日の
東京市市会によって、「築島」あるいは「月島」という
名前が確定され、翌92年に新しく市有地として編入
された地域は「月島」と呼ばれることになったという。
三日月の形ゆえに名付けられたのかも知れないが、
その一部の佃島は江戸時代から存在していた島で、
残りは明治以降の浚渫工事による埋立地だそうだ。
知人がやっている焼肉屋があるので、最近、月島に
行く機会がある。ムーン・アイランドとは洒落ている。

2015年10月3日土曜日

両大師

慈恵大師と慈眼大師をまつるので両大師と言われて
いる。慈恵大師は良源大僧正で永観3年(985)正月
3日に死去しているので元三大師とも言われる。慈眼
大師は寛永寺の開祖天海僧正であり、元三大師を深く
信仰していた。今日は毎月3日の法要があるせいか、
10時前から人出がある。千年以上法要が続いている
のはすごいが、今の僧侶は元三大師をどれだけ知って
いるのだろう。「応和の宗論」で教条主義の南都六宗
を論破した姿勢には崇高な学僧のイメージが重なる。
その教えは現代にも通用するに違いない。実りの秋、
上野公園には銀杏拾いの後の臭いが少し残っていた。