2015年12月14日月曜日

棟持ち猿

日吉大社の棟持ち猿。写真の中央上部に正に棟を支えるかのように挟まっている。
西本宮楼門だけで東本宮楼門にはない。お猿さんは神様のお使いで神猿(まさる)
と呼ばれ、魔除けの象徴として境内で猿が飼育されている。猿のおみくじやお守り
もあり、参拝券を見ると「平成二十八年は申年です」と書いてある。猿だらけである。

雄琴港

夜明け前の雄琴港。雄琴温泉に泊まって朝の散歩をしていた時に撮った。まだ薄暗いので良い写真は撮れないだろうと思っていたが、思いの外きれいに撮れた。中央のはるか向こう、琵琶湖の対岸には近江富士と呼ばれる三上山が霞んで見えている。我々の世代は「雄琴」と聞けば特定のイメージを持っているが、今では家族連れやカップルも多い。豊富な湯量に加え、京阪神からのアクセスの良さを考えれば、人気があるのも頷ける。昭和4年に開業した一番の老舗に泊まったが、文句の付けようがない程心地良かった。また是非泊まりたい。

2015年12月13日日曜日

寿長生の郷

「冬の花」と尋ねられて何を思い浮かべるだろうか?それは「あじさい」と教えてくれた人がいる。その花の写真が撮りたくて「寿長生の郷」を訪れた。写真の真ん中にあじさいの新芽が写っている。色の乏しい冬にその紅は花のように見えるに違いない。そんな感性の鋭い方だった。「寿長生の郷」を造った叶匠壽庵の前会長、芝田清邦氏である。その芝田氏が今年の初めに急逝された事を後で知った。本当はもう一度お会いしてもっとお話を伺いたかった。それができないのは残念でならないが心よりご冥福をお祈り申し上げる。

2015年10月3日土曜日

両大師

慈恵大師と慈眼大師をまつるので両大師と言われている。慈恵大師は良源大僧正で永観3年(985)正月3日に死去しているので元三大師とも言われる。慈眼大師は寛永寺の開祖天海僧正であり、元三大師を深く信仰していた。今日は毎月3日の法要があるせいか、10時前から人出がある。千年以上法要が続いているのはすごいが、今の僧侶は元三大師をどれだけ知っているのだろう。「応和の宗論」で教条主義の南都六宗を論破した姿勢には崇高な学僧のイメージが重なる。その教えは現代にも通用するに違いない。実りの秋、上野公園には銀杏拾いの後の臭いが少し残っていた。


2015年9月6日日曜日

元三大師

山田恵諦著の「元三大師」を読んだ。山田恵諦氏は第二五三世の天台座主で、平成六年に亡くなられた。本書は、昭和三十四年に元三大師の九百七十五回忌を記念して出版されたが、たちまち品切れになったそうである。僕は平成十一年の第四版を中古で入手した。写真の彫像も本書から拝借したが、五年半ほど前に大津市歴史博物館で大師の千二十五回忌を記念した展覧会が開かれていて同じような彫像をたくさん見た。当時もそうだったが、本書を読んで元三大師はすごい人だと改めて感じた。「上野両大師」に行ってみようと思う。



2015年8月30日日曜日

琵琶湖周航の歌

司馬遼太郎は「街道をゆく」1の「湖西にみち」の冒頭で、「『近江』というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである」と書いた。文豪と比べるようで恐縮だが、僕もそれくらい滋賀県が好きである。大きな琵琶湖の周りには、僕の好きな場所がいくつも転がっている。その中の一つ、「琵琶湖周航の歌」資料館へ行った。JR湖西線の近江今津駅と琵琶湖汽船の今津港の間にある。今津港から竹生島へ渡ることができ、お天気が良ければ竹生島の後ろに伊吹山が見える。資料館で久しぶりに受付の方と話すことができた。5年以上経っているが、僕を憶えておられた。湖西の静かな佇まいは素朴で、住人の人柄も優しくて美しい。自分のお土産に写真の絵葉書を買った。

2015年8月16日日曜日

万灯祭(多賀大社)


日本大歳時記によれば、盆は仏教の行事が日本の固有信仰と自然に結びついたものであり、本来、年二期の祖霊祭の一つであるとされている。万灯祭も、御祭神である伊邪那岐大神の
姫神で、黄泉の国を主宰される伊邪那美命に感謝の献灯をする祭(多賀大社由緒畧記)であり、八月三日から五日に行われているが、かつては八月十五日頃に行われたこともあったらしい。万灯祭を含め多賀大社では多くの祭事が行われるが、最重儀は四月二十二日古例大祭である。騎馬多数の供奉が行われるところから馬まつりとも呼ばれるが、その儀式に関する多賀大社由緒畧記の記述を読むと、過去の戦いと関係している気がする