瀬田川を西側から渡る中洲にある「あみ定」から見たもの。俵藤太物語絵巻によれば、唐橋に大蛇が横たわっていて三上山の百足を退治してくれと頼まれたというが、実際は唐橋から三上山を見ることはできない。大は瀬田川の龍神の化身で、瀬田川を渡った東側を南へ少し行くと龍王宮秀郷社がある。物語に登場する俵藤太と実際の歴史上の人物で平将門を討伐した藤原秀郷が同一視されている。龍王宮秀郷社へ通じる道沿いの大津東ロータリークラブが立てた看板に「瀬田橋を制するものは天下を制する」と書いてあり、唐橋を舞台にした出来事が並べられている。壬申の乱、藤原仲麻呂の乱に続いて「藤原秀郷による百足退治」となっているところがなんとも微笑ましい。
2016年9月26日月曜日
2016年8月16日火曜日
己高山
己高山と書いて「こだかみやま」と読む。湖北の木之本から山側に少し入った古橋に登山口がある。標高九百二十三メートルというから、さほど高い山とは言えないだろう。この山に前から一度登りたいと思っていた。その理由は山頂の近くに鶏足寺跡があるからである。鶏足寺は「己高山由緒」において行基によって創建され泰澄も入山した後に荒廃し、最澄が再興したと書かれている。琵琶湖を望む台地に礎石、石垣、庭園等が姿をとどめているとのことであり、そこまでの登山案内図が上の写真である。下の写真は往時の鶏足寺の様子を描いたもので、そこにかつて安置されていたとされる仏像が収蔵されている麓の己高閣(「ここうかく」)の前にあった。右上に白山が描かれているが、己高山の山頂まで登れば遠く白山を望むことができるそうである。膝を痛めていたこともあって、六地蔵の手前までしか行けなかった。白山への道は遠い。
2016年6月12日日曜日
雨森芳洲
雨森芳洲が滋賀県出身ということは前から知っていた。高月町の渡岸寺(どうがんじ)
の隣にある歴史民俗資料館で郷土の名士として展示があったと思う。最近、先輩から教えてもらって永留久惠氏の「雨森芳洲」という本を購入した。上の写真もその本の巻頭に載っている。江戸時代に木下順庵門下で雨森芳洲は新井白石とともに随一の人材と言われた。朝鮮通信使を通じて当時の朝鮮外交に果たした役割は大きい。隣国と「誠信」の交わりを掲げ、新井白石を「暴戻の儒」と弾劾することも雨森芳洲だからできたのだろう。対馬藩に仕官しその生涯を終えた雨森芳洲は、陶山訥庵、宗助国と並び「対馬の聖人」と称される。
2016年3月20日日曜日
近江国輿地志略
古本屋で購入したもの。先週見つけて欲しいと思ったが、高価だったので買うのを躊躇った。
ネットで調べてもなかなか無いし、第一巻だけでもかなりの値段が付いていたので、思わず買ってしまった。団体が保管していたもので、蔵書印があるし、インデックスが付いていた。「滋賀文化財教室シリーズ」No.231によれば、「近江の歴史を研究する人々にとって『近江輿地志略』ほど重宝な資料(地誌)はないだろう」とされている。近江に関する書籍が相当増えてきたので、古本屋巡りは止めて読まずに貯まった本に目を通していきたい。
登録:
投稿 (Atom)