2016年12月30日金曜日

冬薔薇

今年も明日で終わりである。また1年が
始まるだけだと思いつつも、新しい年を
迎える清々しい空気が街に漂っている。
写真は、丸之内の三菱一号館美術館の
中庭に咲いていた冬薔薇である。今年は
いろいろな事が実現して良い年だった。
来年も自分を信じて頑張ってゆきたい。

2016年11月13日日曜日

天覧山

今月からテニススクール通いを再開したが、
体力的にきついので続かないかも知れないと
山ガールに話したところ山登りを勧められ、
「幼稚園児が登る」天覧山を教えてもらった。
西武池袋線の飯能駅から歩いて40分程で
山頂に着いた。駅の案内所でもらった地図
のとおり歩くと、名栗川沿いに飯能河原も
あってなかなか楽しかった。山頂から見える
富士山を撮ったのが上の写真である。元は
愛宕山と呼ばれていたが、徳川綱吉の時に
十六羅漢の石仏が寄進され羅漢山となり、
明治天皇が行幸して天覧山となった。山頂
からの眺めだけは変わっていないのだろう。

2016年10月23日日曜日

びわ滝

八王子へお墓の掃除をしに行くついでに
高尾山でハイキングをしようということに
なった。そのことを山ガールに話したら、
親切に古い地図などを下さって、びわ滝
を通るコースを薦められた。高尾山へは
今まで何度か行っていて、徒歩で下りた
記憶もあるが、このコースは今回初めて
だった。小川に沿って上っていくと、祠の
ようなものもあって、要するに修験者の道
であったことがわかる。びわ滝でも滝行を
したのだろう。登山道はそのまま山頂へ
続くが、薬王院へ行くためにびわ滝から
右へそれてメインの登山道を目指した。
やっと辿り着いた時、これから下りようと
する小さな子供を二人連れたお母さんに
「大丈夫でしょうか?」と尋ねられたので
「お子さんは軽いから大丈夫ですよ」と
答えた。登山は重力との闘いである。

2016年9月26日月曜日

瀬田の唐橋

瀬田川を西側から渡る中洲にある「あみ定」
から見たもの。俵藤太物語絵巻によれば、
唐橋に大蛇が横たわっていて三上山の百足
を退治してくれと頼まれたというが、実際は
唐橋から三上山を見ることはできない。大蛇
は瀬田川の龍神の化身で、瀬田川を渡った
東側を南へ少し行くと龍王宮秀郷社がある。
物語に登場する俵藤太と実際の歴史上の
人物で平将門を討伐した藤原秀郷が同一視
されている。龍王宮秀郷社へ通じる道沿い
の大津東ロータリークラブが立てた看板に
「瀬田橋を制するものは天下を制する」と
書いてあり、唐橋を舞台にした出来事が
並べられている。壬申の乱、藤原仲麻呂の
乱に続いて「藤原秀郷による百足退治」と
なっているところがなんとも微笑ましい。

2016年9月11日日曜日

白河小峰城

東北本線白河駅から見た白河小峰城。
日本100名城の一つに数えられるだけ
あって秀麗な姿である。東日本大震災
により石垣等に被害を受けたため、今も
修復中であるが、城の中に入って天守
まで上ることができる。秀吉の奥州仕置
により会津とともに白河も蒲生氏郷の
領地となった。子の蒲生秀行の時代に
城も整備されたと言われているが、江戸
に入って丹羽長重による大改修があり
徳川譜代の居城としての印象が強い。

2016年8月16日火曜日

己高山

己高山と書いて「こだかみやま」と読む。湖北の
木之本から山側に少し入った古橋に登山口がある。
標高九百二十三メートルというから、さほど高い山
とは言えないだろう。この山に前から一度登りたい
と思っていた。その理由は山頂の近くに鶏足寺跡が
あるからである。鶏足寺は「己高山由緒」において
行基によって創建され泰澄も入山した後に荒廃し、
最澄が再興したと書かれている。琵琶湖を望む台地
に礎石、石垣、庭園等が姿をとどめているとのこと
であり、そこまでの登山案内図が上の写真である。
下の写真は往時の鶏足寺の様子を描いたもので、
そこにかつて安置されていたとされる仏像が収蔵
されている麓の己高閣(「ここうかく」)の前
あった。右上に白山が描かれているが、己高山
山頂まで登れば遠く白山を望むことができるそう
である。膝を痛めていたこともあって、六地蔵の
手前までしか行けなかった。白山への道は遠い。


2016年8月7日日曜日

「観音の里」展

東京藝術大学大学美術館で開催されていた
「観音の里の祈りとくらし展」に行ってきた。
終了間近に新聞広告で知って、最終日前日の
土曜日に出かけた。開館の午前10時に到着
したが、さすが東京・上野である。チケット
売場に行列ができていた。「びわ湖・長浜の
ホトケたち」のサブタイトルどおり、湖北の
仏像等が数多く展示されていた。長浜市の方
と少し話をしたところ、地域で本当に大切に
している仏像はなかなか持って来れないとの
ことだった。確かに、医王寺や石道寺で僕が
見た観音は展示されていない。国宝である
渡岸寺の十一面観音を持って来られる訳も
ない。見物客で混み合う中、出稼ぎに来た
観音達には申し訳ないが、現地へ行かねば
ダメと思いながら足早に会場を後にした。

2016年7月29日金曜日

知事公館

知事公館とは北海道札幌市にある建物の
ことである。先日札幌へ行く機会があった
ので訪れてみた。かつては森源三の私邸
であったと聞いたからだが、開館時間前で
四方を塀で囲まれて何も見えなかった。
森源三は長岡出身で河井継之助の側近
だった人物である。維新後は札幌農学校
の創設に関わり第2代学校長を務めた。
北海道で初めての民選の衆議院議員との
ことだが、あまり知られていない。前日
会った北海道大学の教授がクラーク博士
ばかり注目されるが、新渡戸稲造なども
もっと評価されるべきではと話していた。
森源三についても同じ事がいえるだろう。

2016年7月21日木曜日

園生忌

辻邦生が平成11年に亡くなって今年で
17年になる。命日の7月29日は園生忌
と言われるが、初期の短編「遠い園生」
から名付けられたのだと思う。園生忌に
合わせて「春の戴冠・嵯峨野明月記」展
が学習院大学で開催されている。18日
の海の日に行ったところ、直筆資料等も
あって興味深かった。受付の女性の方に
「辻先生はとてももてたでしょうね」と
尋ねると、「いつも女子学生に囲まれて
いたようです」という答えが返ってきた。
羨ましいかぎりである。あやかりたいと
思ったわけではないが、神田の古本屋で
「嵯峨野明月記」を買った。限定五百部
というだけあって、予想通り高かった。

2016年7月16日土曜日

萬葉集

人生の師の一人と一方的に思っている
佐藤氏と万葉仮名についてメールで話
をした時、新潮の万葉集に載っていない
と言ったら、岩波の新日本古典文学大系
を買ったらどうかと勧められ購入した。
神保町の岩波ブックセンターで、巻一と
巻三が品切れで新品では手に入らないと
わかり、岩波専門の古本屋へ行くと五巻
揃っていたので、すぐ買うことにした。
新品とほぼ同じ値段だったが、現金で
払う言うと送料をまけてくれた。新潮の
万葉集を処分しようとしたら、本により
解釈が異なっているので「捨てるな」と
また佐藤氏から指導を受けてしまった。

2016年6月12日日曜日

雨森芳洲

雨森芳洲が滋賀県出身ということは前から
知っていた。高月町の渡岸寺(どうがんじ)
の隣にある歴史民俗資料館で郷土の名士
として展示があったと思う。最近、先輩から
教えてもらって永留久惠氏の「雨森芳洲」
という本を購入した。上の写真もその本の
巻頭に載っている。江戸時代に木下順庵
門下で雨森芳洲は新井白石とともに随一
の人材と言われた。朝鮮通信使を通じて
当時の朝鮮外交に果たした役割は大きい。
隣国と「誠信」の交わりを掲げ、新井白石
を「暴戻の儒」と弾劾することも雨森芳洲
だからできたのだろう。対馬藩に仕官し
その生涯を終えた雨森芳洲は、陶山訥庵、
宗助国と並び「対馬の聖人」と称される。

2016年6月5日日曜日

天ノ朝の研究

図書館で借りた「古代近江文化圏試論 
もう一つの高天原」(原田実、1991年)
から写真の本の存在を知った。ネットで
探すと少し高かったがすぐに購入した。
題は「蝦夷と天ノ朝の研究」であるが、
「蝦夷とアイヌ」と「天ノ朝の研究」に
分かれている。菊池山哉という人物は
東京都府中市の郷土史家とのことだが、
よくここまで調べたものだ。「天ノ朝の
研究」の目次を見ると、「アマの国は
淡海の国か」や「邪馬壱国と狗奴国」
といった興味深い項目が並んでいる。

2016年5月26日木曜日

蛇と百足

清水谷公園で見た蛇を再生の象徴だと
言われて、この本のことを思い出した。
谷川健一は柳田国男、折口信夫と並ぶ
民俗学の巨人だそうだが、僕は古本屋
で偶然ある本を見つけて、その名前を
知った。「魔の系譜」という本で、谷川
健一のデビュー作だと後から知った。
写真の本は百足についてを知りたくて
ネットで買ったが、そのままになって
いた。今回読んでみると、俵藤太の
百足退治の話が出てくる。百足が蛇
に勝つというのは古代の中国の俗信
から来ているそうである。大百足は
近江富士の三上山を七巻半まいた
という。いつかは三上山へ行って
みたい。きっと何かわかるだろう。

2016年5月22日日曜日

ゲニウス・ロキ

紀尾井町の清水谷公園にある大久保利通の
暗殺を悼んだ石碑。ホテル・ニューオータニの
向かいと言った方がわかり易いだろう。近くで
用事があったので立ち寄ったら、蛇の子供が
出てきた。この石碑のことは、鈴木博之氏の
「東京の地霊(ゲニウス・ロキ)」という本で
知った。明治11年5月14日、大久保利通は
ホテル・ニューオータニと赤坂プリンスホテル
の間の路上を馬車で進行中に襲われ、その
生涯を終えた。公園でまどろむ大人や遊んで
いる子供は石碑には関心がないようだった。

2016年5月15日日曜日

Visiting N.Y. after 25years (Day 5)

いよいよニューヨークともお別れである。
最終日は昨夜夕食に付き合ってくれた方
と別の知人と朝食で会う予定にしていた。
待ち合わせ場所のCafe Manhattanは56th st.
沿いの5th ave.と6th ave.の間と聞いていた。
ホテルはBroadway沿いの55th st.と56th st.
の間だからすぐ近くである。早めに着いて
待っていると、知人はほどなくやってきた。
25年前も素敵な年上の女性だったが、今も
それは変わらない。彼女を見ていると国籍
なんて関係ないと思う。いい人はどこの国
でもいい人である。私をrecognizeできない
のでは思ったが、顔の"shape"でわかった
と言う。丸いほっぺたのことを言っている
のだ。朝食の後はかつてお世話になった
団体の新しい事務所に立ち寄ってから、
タクシーでJFK空港へ向かった。写真は
空港で買ったお土産の小物入れである。

2016年5月14日土曜日

Visiting N.Y. after 25years (Day 4)



明日は昼頃には帰国の飛行機に乗るので、
実質的に動くことができる最終日である。
25年前に一度だけ行ったブロンクス動物園
へ行くことに決めていた。以前は直行便の
バスだったが、今回は地下鉄である。59th
st.のレキシントン・アヴェニューから5号線
に乗って北へ向かった。ブロンクス行きの
ためか黒人が多く、治安が良くなったとは
いえ気が抜けない。Donationという言葉は
聞かれなくなったが、突然乗車してきて
施しを求める輩もいた(黒人ではない)。
最寄駅はPelham Pkwyだが、すぐ近くの
2号線ではなく、少し離れた5号線の駅で
降りてしまった。Bronx Zooという表示が
あったのでその方向に歩くと、2号線の駅
があった。すぐ近くのはずだが、なかなか
見つからない。とうとう人に2回尋ねて、
やっと辿りつくことができた。時計を見ると
9時半だったが、開園の10時までは時間が
ある。その時になって、独りで動物園で何
もすることがないことに気づいた。以前に
来た時は連れがいた。そのまま帰ることに
して42th st.まで南下し、7号線に乗り替えて
クイーンズへ向かう。Metsの本拠地である
City Fieldの最寄駅Mets-Willets Pointで下車
したが、様子がおかしい。考えてみれば
当たり前で、その日は平日で試合は夕方
からである。夕食は予定が入っていた
ので、マンハッタンに戻った。ホテルで
ひと眠りした後、おみやげを全く買って
いないことに気づいた。夕食の場所は
グラマシー・パークの近くで、その前に
ユニオン・スクエアの傍のWhole Foods
Marketでお菓子を買った。最後の写真は
ステーキを食べたBLT Primeのメニュー
である。前菜の生ガキも美味しかった。
デザートのバナナ・アイスクリームの量
が多過ぎたが、知人が誘ってくれた若い
米国人女性が美味しいと食べてくれた。


Visiting N.Y. after 25years (Day 3)





朝から小雨が降っていたが、マンハッタンの
北の外れハドソン・リバーを見下ろす高台に
あるクロイスターズ美術館を目指して出発。
ロックフェラー・センターの近くのセント・
パトリック大聖堂(最初の写真)の中に入り、
ミサに加わって暫く祈りを捧げた。それから
セントラル・パークへ向かい、59th st.の中央
から入って96th st.の西側で出て、北向きの
地下鉄に乗ることにした。なかなか来ないと
思っていたら、北向きの各駅停車は運行中止
になったので、一旦59th st.まで南向きに乗り、
北向きの急行に乗り換えるよう放送が流れた。
そのとおりにして190th st.で降り、Fort Tyson
Parkの中を通ってクロイスターズ美術館に
到着すると、開館の10時を少し過ぎていた。
元は修道院だったのだろう、十字架に磔に
なったキリストの像や聖者の柩が多い中に
一角獣のタピストリーがあった(真ん中の
写真)。帰りもセントラル・パークの中
をジャクリーン・ケネディ・オナシスの
名前が付けられた貯水池を半周してから、
螺旋形の建物で知られるグッゲンハイム
美術館(最後の写真)に行った。改装中で
一部が見れないため、入館料が$25から$15
に引き下げられていた。歩き過ぎで疲れて
いたが、クロイスターズ美術館のチケットで
入館できるメトロポリタン美術館に立ち寄り、
ホテルに戻って夕食まで死んだように寝た。

2016年5月9日月曜日

Visiting N.Y. after 25years (Day 2)


朝早くからBrooklyn Botanic Gardenへ
行こうとしたが、10時に開園なので
Brooklyn Bridge Gardenにとりあえず
行くことにして、Fの地下鉄に乗った。
いきなり路線変更があったため、Bに
乗り換え、適当な駅で降りて歩いた。
Bridge Gardenを望む高台から撮った
ものが上の写真である。Botanicでは
ちょうどSakura Matsuriが開催されて
いて、八重桜が満開だった。その後
7th Ave.の14th st.近くにある知人の
コンドミニアムを訪ねた際、屋上から
撮ったものが下の写真である。また
地下鉄に乗ってBroadwayの25th st.
と26th st.の間にあるRizzoliに寄り、
本を買ってからホテルまで歩いた。

2016年5月8日日曜日

Visiting N.Y. after 25years (Day 1)

4月29日から5月4日までニューヨークを
25年ぶりに訪れた。JFK空港に着いた後
Air TrainとLIRRを乗り継ぎPenn Stationに
到着。34th st.からスーツケースを引きずり
ながら、Broadway沿いの55th st.と56th st.の
間にあるMarriott Marquisに辿り着いた。
夕方の6時を過ぎていたが、夕食を食べる
ため外出。昔行ったことのあるレストランを
探したが、なくなっていた。写真は25年前
住んでいたコンドミニアムの入口である。
当時世話になったドアマンがまだいるか
と尋ねると15年前に亡くなったとの答え
が返ってきた。25年の歳月とはそういう
ものなのだろう。今回から続けて5回、
ニューヨークで感じたことを書きたい。


2016年4月10日日曜日

一週間後の桜の花。ここ二、三日の陽気で
かなり散って、青葉が目立つようになった。
コブクロの「桜」の「桜の花びら散るたびに
届かぬ思いがまた一つ」という歌詞を思い
出しながら、水無川のほとりを通り過ぎた。
自然は常に変化している。この世に変わら
ないものなどない。しかし、自分の心だけは
一途に思い続けることは不可能ではないの
だろう。季節は急速に初夏に向かっている。

2016年4月3日日曜日

願はくは

家の近くの水無川のほとりに咲いていた桜の花。
下方から見上げると、つい西行法師の「願はくは
花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月の頃」
と口ずさみたい気になる。今日は旧暦になおすと
2月26日で、西行の入寂は2月16日である。
きさらぎの望月は釈尊入滅の日であり、その日の
往生を願っていたという。窪田空穂は西行法師
(現代歌人研究、昭和13年)で、「釈尊入滅の日
に、桜の花をからませ来り、その桜の下で往生し
ようと願うのは、釈尊の思はくも憚らず、飽くまで
も我を立てたことで、一層西行らしい願ひである」
と書いている。私としては、釈尊に倣うとはいえ、
花冷えの時期に桜の下で死にたいとは思わない。


2016年3月20日日曜日

近江国輿地志略

古本屋で購入したもの。先週見つけて欲しいと
思ったが、高価だったので買うのを躊躇った。
ネットで調べてもなかなか無いし、第一巻だけ
でもかなりの値段が付いていたので、思わず
買ってしまった。団体が保管していたもので、
蔵書印があるし、インデックスが付いていた。
「滋賀文化財教室シリーズ」No.231によれば、
「近江の歴史を研究する人々にとって『近江
輿地志略』ほど重宝な資料(地誌)はない
だろう」とされている。近江に関する書籍が
相当増えてきたので、古本屋巡りは止めて
読まずに貯まった本に目を通していきたい。

2016年3月12日土曜日

俳風柳多留

「はいふうやなぎだる」と読むのだそうである。
古本屋の店頭で安く売られていたので購入した。
箱の帯には「“川柳”発祥の本」と書いてある。
明和二年(1765年)編纂の句集の口語訳で、
昭和五十九年(1984年)に出版されている。
全部で756句のうち第47句の「子が出来て
川の字形に寝る夫婦」の注は「それまでの夫婦
の共寝を匂わせる」であり、確かに洒落ている。


2016年3月6日日曜日

ジバニャン

妖怪ウォッチの地縛霊、「ジバニャン」のお面
である。百貨店で駄菓子と一緒に売っていた。
人気があるそうで展示品しか残ってなかった。
最近、たまたま鈴木博之氏の「東京の地霊」を
読んだ。地縛霊はともかく、それぞれの土地に
まつわる過去は確かに存在し、それを知れば
人は影響を受けることになる。そう考えていくと
地縛というより自縛の方が適当かもしれない。
 

2016年2月21日日曜日

古酒

1994年醸造の常温長期熟成酒。人から
いただいたものだが、24年ものである。
1年前でもよく覚えてないぐらいだから、
四半世紀前となると全く思い出せない。
少し前に買っていた3年ものの熟成酒と
飲み比べてみると、まろやかさが違う。
酒も人も歳月を経ると丸くなるのだろう。

2016年2月15日月曜日

アヒージョ

アマゾンで買ったアヒージョ用の鉄鍋である。
最近、ホテルのバーで熟成ラム酒のロックを
飲む時、エビとマッシュルームのアヒージョを
食べている。友人から家でも簡単に作れると
聞き、料理用に専用の鍋を買うことを決めた。
とりあえずイカとエリンギで作ってもらったら、
確かに簡単にできた。「大切なおつまみ」が
たちまち「家族の好物」になってしまったが、
美味しいものは大概そういう運命にある。

2016年2月8日月曜日

ソーメンカボチャ

近所の商店街にある八百屋で買ったもの。
昭和12年生まれのご夫婦が営んでいる。
ご主人によれば昭和38年に店を始めた
とのことで、その頃は近くに鰻屋と酒屋と
八百屋の3軒しかなかったそうである。
奥さんの話では、お店からお彼岸の時に
霊園に向かう青梅街道の車列が見えた
そうであるが、今では家が立ち並んで
全く想像できない。ソーメンカボチャは
ツナとサラダにしたら美味しかった。


2016年1月1日金曜日

新芽

今年の元旦は穏やかな晴天に恵まれた。早々に初詣
すませて、朝からお屠蘇でおせち料理を食べ、一風呂
浴びてから、少し運動しなくてはと散歩に出かけた。
玉川上水沿いの桜並木をよく見ると、新芽がたくさん
出ている。暖冬と言われているから例年よりも早いの
かも知れない。でも、寒さはこれからが本番である。
新芽が成長するまでには時間がかかるだろう。温暖化
と言っても本当は何が原因か良くわからない。自然の
営みは人智の及ばないところで続いている気がする。